死神とお爺さん
真夜中の日本家屋。
辺りに街灯はなく、その家を照らすものは何もない。
今日は曇りで、月明かりもない。
家の周りは空地だらけで、隣の家も遠い。
窃盗をするのに、絶好の場所としか思えなかった。
俺は黒い格好をして、庭に侵入し、まっすぐ縁側に向かう。
数日前の夜に、縁側の窓ガラスがまったく施錠されていないことを確認していた。
木の板でできた背の高い壁の向こうから、通行人の気配がしないことを確かめてから、俺は慎重に窓を開けて侵入した。
ペンライトで、足元を照らしながら、部屋の中を進む。
この部屋には、お爺さんが布団に寝ているのを知っている。
今も、薄いタオルケットが上下していることから、死んでいなく、ちゃんと寝ているのだと分かる。
冷房のない部屋は、暑い。
マジであちい。
今夜は熱帯夜だ。
よくもまあ、こんな環境でぐっすりと寝られるものだ。
すでに自分の脇に、びっしりと汗がにじんでいる。
脇から流れ出た汗が、胴体を伝っていくのを感じ、あわてて半袖の生地で吸い取った。
あぶねえあぶねえ。
俺がここにいた痕跡は、残してはいけない。
たぶん、DNA検査とかで分かってしまうんだろう。
それにしても、金目のものが見つからない。
収納棚を片っ端から開いているのだが、空っぽなのだ。
高い所には手が届かなくて分からないが、とにかく何もない。
なんか、長い間開かなかった金庫を開ける番組を、ハラハラしながら見ていて、結局何も入っていなくて、期待損した時のことを、ふと思い出した。
こんなくだらないことを思い出せるということは、自分の心に余裕があるのかもしれない、と思った。
何しろ、ド田舎の郊外にポツンと建っている家だ。
外からの気配がしたら、すぐに気がつく。
誰かにすぐに見つかる心配は少ない。
それに、お爺さんが声を発しても、そこまで驚かなかった。
赤の他人が夜中にゴソゴソとしていたら、もしかしたら目が覚めるかもしれない、と予感していたからだ。
「……誰だね?」
かすれた、とても低い声だ。
恐怖は感じていなさそうで、まるで友人や知人を出迎える時の、そんなおだやかな声だ。
さすがに、俺は最低限の警戒はしていて、手を止めてふりかえり、ペンライトで探りながら、老人の顔の近くに移動して見下ろした。
いざとなったら、両手で彼の口をふさいで、大声で人を呼ばれないようにできる。
警戒心は忘れていないが、それでも、頬が痩せこけていて、無数のしわができた棒のように細い首を見て、俺でも簡単にやれそうだと思って、安心感が高まって、
「俺は死神だ。迎えに来た」
以前、深夜アニメで聞いたセリフとまったく同じことを言ってみた。
ペンライトで照らされたお爺さんは、少しの間キョトンとした顔をしたが、すぐに真顔に戻った。
「そうか……」
ん、なんだ? この反応は。
本気で信じたのか? ボケてそうな感じだしな。
それとも、俺の方がボケていると思われてて、それに反応するのがバカらしいのか?
なんか恥ずかしくなってきたぞ?
暗くて分からないだろうけど、今の俺の顔、めっちゃ赤いんじゃないか?
「盗るものを盗ったら行く。それだけだ」
俺は、とりあえず金目のものだけ懐に入れて立ち去る、というつもりで言った。
「この老いぼれた命でも、あんたには魅力的なものに映るのか?」
「え?」
「私の命を獲りに来たのだろう? それなら遠慮なく獲っていきなさい」
あ、これはボケてるパターンだわ。
窃盗に入られていると思っていないな、これ。
せっかくだから、話を合わせようか。
「その通りだ。お前の命をもらいにきた。だがその前に、金目のものをもらっていくぞ」
するとお爺さんは、
「ああ、好きなものを持っていきなさい」
と、淡々と答えた。
え、ナニコレ。
俺はただ、人んちから何かを盗む、というゲームをしに来て、そのスリルを味わいたいと思っていたのに、何でも持っていけと言われては、何かやりがいがない。
「……何も、金目のものが見つからねぇんだけど」
泥棒のくせになんで愚痴をこぼしているんだ、と直後に気づいたが、発した言葉が口に戻ってきて、なかったことにはできない。
「だろうな。何も残したくなくて、ほとんど処分したからな。あるのは保険証くらいだ。いるか?」
そんなものもらって、何に使うんだよ!
「何か残しておいてくれよ……」
すっかり気分が萎えてしまって、泣き言まで言ってしまった。
これじゃ、何のために侵入したのかが分からない。
警察に捕まる、というイベントをクリアするのがゴールなのだが、それまでに手に入れたお金でパーッと遊ぶつもりだった。
俺はため息をついた。
「そうだな……。じゃあこれを持っていけ」
お爺さんは、ゆっくりと布団から這い出した。
震える四肢で、四つん這いで畳の上を移動し、ふすまを開けて、その中から、手のひらに収まる小さな箱を取り出した。
まるでそれは、
「指輪?」
よく、プロポーズする時に指輪を入れておく箱によく似ていた。
「そうだ。死んだ妻の骨でつくった指輪だ。受け取ってくれ」
お爺さんは、俺の元まで四つん這いで来ると、ブルブル震える手でそれを渡してきた。
お爺さんは、少し笑みを浮かべていた。
気持ち悪っ、と思って投げ出そうとしたが、できなかった。
彼がしっかりとした握力で、それを俺に握らせて離させようとしないからだ。
ヨボヨボの老人にまだこんな力が出せるとは思わなかったから、少し驚く。
男の人に手を握られたら、普段は本能的にそれをはねのけるのだが、その気も起こらない。
「何でこれを……」
俺は、何でこんな変なものを渡したんだ、というつもりで言ったが、
「これを見ると、妻との楽しかった思い出が次々と思い出す。だが、この家を相続する予定の遠い親戚は、私や妻に一切思いやりが感じられなくてな。たぶん、これを見つけたら、ゴミ箱に捨てられてしまうと思う」
だろうな。俺も今すぐゴミ箱に捨てたい気分だから。
「だが、死神のあんたなら、死んだ妻に会えるだろう? だから、妻に伝えてくれないか。君が死んで辛かった時、この指輪に助けられた、と。この箱も、私の涙で汚れてしまったが、それでも良ければ受け取ってくれ、と」
「自分で渡せばいいじゃん……」
「私は、妻にあの世で会えるか分からないからな。私は罪を犯した。会社の金を横領したり、それがバレそうになって部下になすりつけて成功して自殺に追い込んだり。時効になって警察には捕まらなかったが、君にはお見通しのはずだ」
「俺より悪人じゃん!」
つい口に出してしまった。しかも結構大声が。
「私はきっと地獄へ行く。でも、妻と約束したんだ。あの世でもう一度結婚するって。だからその指輪を、妻に渡してほしい。やってくれるね? 私の命の対価だと思ってくれ」
え、ちょっと待ってちょっと待って。
めっちゃ捨てにくくなったんだけど。
その辺の道端にポイしたら、すごく罪悪感あるんだけど。
なんならもう、何かを盗むのが馬鹿らしくなってきたんですけど。
「分かった、分かりましたよ! もらっていきますよ! だから、俺がここに来たこと、誰にも言わないでくれる?」
「ああ、いいよ。そんなことをしても、もう仕方ないことだしな」
指輪をズボンのポケットにしまうと、俺は縁側へ出ようとする。
いつの間にか、雲が途切れて月が出ていた。
「ああ、やっぱりそうか」
お爺さんが、納得したような声で言ったので、俺は振り返った。
月明かりが、布団を照らしていて、布団の上であぐらをかいて座るお爺さんの顔がはっきり見える。
「まだ何か用?」
「声を聞いて、ずっと思っていたんだ。君はまだ女子中学生かな? 若々しくてとてもきれいで利口そうな顔立ちをしている。背はこれから伸びるだろう。君には、まだまだ先がある。頑張んなさい」
柔らかくてとても優しい声で、俺……あたしにそう言った。
「うっせ。余計なお世話だっての」
あたしは唾でも吐いてやろうかと思ったけれど、彼の声に、自分のじいちゃんが重なり、とても懐かしさを感じたため、つい顔がほころんでしまった。
「笑うと、もっと可愛い。君には笑顔の方が似合う」
今にも死にそうなお爺さんに、ナンパみたいなことを言われるとは思わなかったので、何かもう、おかしくて、笑った。
自分の口から、キャハハ、と弾けるような笑い声が出る。
「つーか、バレてたのかよ。色々」
「ああ。それにしても、君は自分のことを『俺』と言っているのか?」
「……『俺』って言っていれば、強がれる気がしてたんだけど、もう使う必要なくなったっぽい。何か元気出たし」
「そうか。私も楽しかった。いい夜だ。月も出て明るいから、歩いても危なくないだろうが、気をつけて帰るんだぞ」
「はいよ。あんたもせいぜい長生きしろよな」
「努力はする」
そうして、あたしたちは別れた。
二度と会うことはなかった。
一か月後、何となく気になってお爺さんの家へ行ってみた。
侵入してそうっとのぞきこむと、家の中はすっかり片付けられていた。
あたしが漁っていた収納棚や、彼が寝ていた布団もなくなっている。
ふう、とあたしは気分を入れ替えるために、息を吐いた。
さて、前向いて生きるか。