8話
「随分と懐が温かいんだな。狼の」
目の前にあった輝きを背後から声をかけてきた人物に掠め取られた。眼前で行われていなければ気づくことすら出来ない鮮やかなこの手並みと仄かに香る葡萄酒の香り、背に当てられた柔らかな肉の感触からその人物が誰であるかのはすぐにわかった。
「"赤狐"か、俺から物を盗ったってことは死ぬ覚悟ができてるんだろうな?」
「おぉ怖い怖い。昔の仲間の冗談にそこまで言う必要はないんじゃないのか、"寝取られ狼"(エルスウィン)? それにこれは盗んだんじゃない、お前が勝手に使ってる技術の使用料さ」
赤毛の見た目だけは秀麗な獣人、かつて共に勇者一行に加わっていた"赤狐"のルナは図々しくも席に着いて足を組み、机の上に並んだ料理に手を付け始めた。彼女はいつの間にか盗み出したナイフ、ナールが先程まで使っていたカトラリーで肉を切り分けている。
"寝取られ狼"(エルスウィン)、彼女が俺を呼ぶのに使った呼称は童話に出てくる狐に寝取られた女狼の名前だ。俺と彼女との間にあったとある出来事を弄って楽しむためにそう呼んでいるのだろう。
「あれ? それ、それナールの!」
「付け加えるなら、今から売る情報の代金も込みでこれで払って貰おうと思ってる。さっきの男からの頼まれ事に関する情報、欲しいだろう?」
使い終えたナイフを弟子に手渡しながら、コソ泥は俺の欲する声を悪戯っぽい微笑を浮かべて待っている。相変わらず腹立たしい奴だ。
「聞かせろ」
「……それが人に物を頼む態度かい?」
ルナはそう言うと、肉を口の中に放り込んで黙り込んだ。綺麗な面に薄ら笑いを浮かべ、こちらが下手に出てお願いするのを待っている。危害を加えようと襲ってきたり、こちらに害を及ぼす素振りは一切無く、只々こちらをからかいたいのだ。
もし仮にこちらが力任せに聞き出そうとしても、無視したとしても彼女はそれすら良しとする。ルナは俺がどのように反応するのかを見たいだけ、強く叩いた玩具がどのように反応するのか見たいだけなのだ。
「オシエテクダサイ」
「探している女は貧民街4番地にある阿片窟、"洞窟"って場所に潜んでる。私が手配した借家に引き籠って、何かを待っているみたいだったな」
つまらない返しをわざわざ考えて、それを返した事が面白かったのだろう。ルナは口角を上げ、事件の核心に迫る重要な事柄をさらりと口走りながら住所が書かれた紙を机の上に置いた。
「それはつまり、自分から行方不明になったってことか。だが何の為に?」
「さぁね、関わったのは家の手配だけだし、興味が無くて調べてないから詳しくは知らない。だけど、会った時に少しばかり気になることは言っていたな」
「何を言っていたんだ?」
「聞きたいかい?」
こちらの質問が投げかけると、ルナは愉しそうな顔になった。情報の見返りとして、俺に良からなぬ事をさせようとでも考えているに違いない。
「それなら追加で情報料を貰おうか。そうだなァ今はおかげさまで金には困っていないし、質問に答えてくれるならその代わりに教えようじゃないか」
「答えられる範囲で答える。その代わり、答えられたらちゃんと教えろよ」
「わかってるわかってる! じゃあ質問だ。その子は何だい? こさえたのかい? 誘拐したのかい? お前が愛していたケイ……"振り香炉の勇者"が魔神になった孤児、"大火"に殺されて時以来、子供嫌いになっていたお前がどうして子供を連れているんだ?」
ナールを指差しながら、ルナはしたい質問を全て口にした。答える内容は大した事の無いものばかりなので別に構わないが、得られる情報が1つなのに対して質問の数が多過ぎるのではないだろうか。
「こいつは俺の弟子だ。捨てられていたのを酔ったブロックと間違えて連れて帰っちまってな、捨て直すのも目覚めが悪いから面倒を見ている」
「ナールです!」
「なんだつまらないな。沸き上がってくる獣欲を解消するために、肉奴隷連れ回しているとかなら多少は弄り甲斐もあっただろうに。おや? その腰に差している剣は……まさかケイが持ってた“遺産”かい!?」
両手でパンを持って食べているナールが携えた業物に気が付いたルナは素っ頓狂な顔になった。かつて最愛の者が使っていた聖剣を、未熟な子供に預けていることに驚いているらしい。
「見ての通り、ケイのやつが使っていた聖剣だ。担い手じゃない俺が持っていても抜くことも振るうことも出来ないし、神代の“遺産”に埃を被せておくくらいならと剣が担い手に選んだこいつにくれてやった」
「この子が新しい担い手ねぇ、成程成程……」
「あの、何でしょうか? ナールの顔に何かついていますか?」
「……何でもないさ、見覚えがあったような気がしたけど気の所為だっただけさ」
ナールの顔を観察したルナは何かを思い出した顔をしていたが、それを飲み込んだ。何か弟子について知っていることがあるのだろうが、この反応をした時の彼女の口は堅い。どんな手段を使ったとしても話させることは出来ない。
「それで、気になる事ってのは何だったんだ?」
「『孵るまであと少し耐えなきゃ』って独り言だ。意味は分からなかったが、あれは不気味な響きだった。気を付けろよ狼の、お前はお前が思っている以上の大事件に首を突っ込んでいるのかもしれんぞ」
「忠告感謝する……感謝はするがそいつは置いていけ」
「断る。盗人と相席しているのに、奪われたくない物を机の上に置いている方が悪い」
未開封の酒瓶を掠め取ると、ルナはこちらに背を向けて店を後にした。
歩き去る彼女の服の下からは、貴金属や宝石がぶつかり合う音が聞こえていた。邪教徒が魔神を召喚しようとしていたとしても、巨大な魔物を孵化させ悪事をなそうとしていたとしても、彼女にとってはどうでもよいのだ。自分に害が及ぶか理由がない限りは、何もせずに現金に換えられる私財を身につけてことが収まるまで街を去るつもりなのだ。
「“遺産”……神代からの眠りから目覚め、世界中を復興させ王となった“石棺の一族”だけが扱える物ですよね。え? あれ? という事はナールは“石棺の一族”の血統なのですか?」
「その剣を抜けるって事は世界の基礎を建て直した尊ばれる血筋の生まれで間違いないだろう。まぁお前は余程の理由がなきゃ何も相続出来ん庶子だろうがな」
世界に存在する王国の王侯貴族は基本的には“石棺の一族”に連なっている。つまり彼女もそうである可能性があるのだが、そうであるならこのような場所にいるわけがない。大方、妾や情婦から生まれたのだろう。
「とはいえお前の血筋はそうだという事実だけで大きく意味を持つ。政治的な象徴としても、邪教的の生贄としても、付加価値になっちまう」
「ひぇぇ……ロクなもんじゃないですね……」
「それでもまだ良い方だ。最悪の場合、家の格を上げるための飼い殺しを狙ってくるかもしれないぞ。考える頭も動く為の手足も必要としない用途での誘拐、実例が無いわけではないからな?」
「ひぇっ! そ、そうならないように守ってくれますよね? ナールを守ってくれますよね、お師匠様?」
「15で成人になるまでは守ってやる。だがそれまでには自分の事は自分でやれるようになっておけよ」
心配そうな表情をする弟子から目を逸らし、手にした麺包を噛みちぎる。
ナールの年齢は世間的には“小さな大人”という区分に入り、何処かの親方の元で修行を行うか畑で働き始めている頃合いだ。まだ庇護が必要ではあるだろう。少なくとも、正式に大人になるまでは面倒は見るつもりだ。