7話
貧民街と表通りの間にある酒場"行方知れず"。酒気と紫煙が常に漂い異国の音楽が響くこの酒場は、明日をも知れぬ傭兵や命すら賭ける博徒、表に出せぬ仕事を行うならず者や教えに背く生臭坊主などの業の深い連中の吹き溜りとなっている。
その客層の混沌ぶりは種族の面でも表れており、人間や長耳のエルフ、動物の耳や尻尾を持つ獣人や背丈の低い種族である小人やドワーフといった表通りでも見ることのできる種族に加えて、店内には異形の魔族や竜の角や翼を持つ竜人の姿も見受けられる。
誰であっても客として受け入れるこの場所で、俺とナールは豪勢な夕食を取っている。大きな机の上に並んでいるのは浅瀬鰐の丸焼きに白身魚の揚げ物、塩茹でにされた玉蜀黍と豆、バターの塊が添えられ白パンの山と火酒。贅沢の極みといった具合の光景と香りだ。
「お師匠様、お師匠様はナールに教えられるくらいには綺麗に食べられるのに、何故いつもそのような食べ方をするのですか?」
肉を切り分けずに貪り食い火酒を溢しながらラッパ呑みしていると、対面に座る弟子が不思議そうな顔でそう言った。俺とは対照的に、彼女は使うようにと渡してある銀製のカトラリーを器用に使い、肉汁の滴る鰐肉を手元を汚さずに食している。
「人除けの為だ。こうしていれば、用が無い奴は怖くて近寄って来ないだろ?」
「そうでしょうか? ナールはそう思いませんけれど……」
「それはお前が俺と長く過ごしてきたからそう思うだけだ。普通の子供であれば悲鳴を上げて泣き叫ぶか、持っているものを放り出してでも逃げだすぞ。ほら、その証拠にガキ共が近づいてこないだろう?」
口にしていた肉を骨ごと嚙み砕きながら、客引きを行う娼婦に交じって客席の間を行ったり来たりしている子供達を指差す。
彼等は安値で売られた娼婦の見習いで、年上の身の回りの世話をしなくてもよい時は客に愛嬌を振りまいて腹と懐を満たしている。彼等を買った酒場の店主からは大した食事を与えられていないので何時も空腹であり、料理が並んだ机を見つけたならば、座っているのが魔族であろうが凶悪な面をした博徒達であろうが関係なく蟻のように群がっていく。それが来ないのは、彼等が俺の食事風景を見て本能的な恐怖を感じたからに違いない。
「懐が温かいのが目に見えるのに誰1人近寄って来ない。効果覿面だろう?」
「確かに誰も――。いえ、誰か来ましたよ! あの男の人がお師匠様の顔を見て、こちらに向かって来ていますよ!」
弟子がいつも通りの大きな声を出し、接近してくる人物を指差した。彼女が指差した方向を向いてみると、この酒場に似付かわしくない豪奢な服を着た優男がこちらに歩いてくるのが見えた。こんな時間にこんな見た目の俺に用があるだなんて、どんな問題を抱えているのやら。
「何の用だ? 傭兵を雇いたいなら、俺よりもあっちに居る奴らの方が良いぞ」
視線を近寄ってきた身形の良い男に合わせたまま、命懸けで手に入れた金で博打を打つ傭兵の集団を指差す。貴族や金持ちの争い事に巻き込まれても良い事は無い、雇われるのなんて真っ平御免だ。
「普段ならそうしたかもしれませんけど、今日は貴方に用があって此処に来たんですよ。この首飾りに見覚えはありませんか? いえ、あるはずですよね?」
優男は席に座ると、見るからに手作りの首飾りをポケットから取り出して俺に見せた。鹿の角か何かを削って作られた物で、製作者の不器用さが如実に表れているその首飾りには見覚えがあった。今日の昼間まで牢獄に放り込まれる原因となった悲鳴、その悲鳴を響かせた少女が首に掛けていた一品だ。
「あの時の女の物か、確かに見覚えがあるな」
「彼女は私の屋敷で働いていた使用人でしてね。日頃の勤労に報いるために休みを与えたのですが、この街に出かけたきり帰ってきていないのですよ。随分長く仕えてくれている子でね、一言も告げずに急に居なくなったりするような子では――」
「回りくどいな……。要は消えちまった女を俺に探させたいんだろう?」
「まぁそんなところです。彼女を見つけ出してくれるのならば、これくらいは出そうと思っておりますがどうでしょうか?」
そう言いながら彼は3枚の小銀貨を机の上に置いた。大工の日給が大銅貨1枚であり、それを30枚集めたのと同じ価値を持つこれは人探しを雇う報酬としては過剰な物である。この男にとって、探し人はそれほどまでに大切な者なのだろう。
「足りんな。前金でそれを、達成した場合もう一度同じ額を払うなら請け負おう」
「2、2倍ですか!? お師匠様、それはいくらなんでも高すぎるんじゃ!?」
「付けこめる隙を見せた方が悪い。どうだ、これで嫌なら俺じゃなくてその女を"助けた"冒険者達にでも頼みに行け。真偽を問わず噂話が大好きなあいつ等にな」
優男と女が主人と使用人という関係を越えているであろうという予想を下に、報酬を引き上げようと試みる。貴族同士の問題解決のために雇われるのではないのだと分かった以上、搾り取れるだけ搾り取るつもりだ。
本当に許されぬ恋をしているらしく、彼は法外な価格を提示されてもすぐには断らず悩み考え始めた。もう一押しといったところだろう。
「……っと言いたいところだが俺も鬼じゃない。使用人を心配するその姿には心打たれるものがあるし、今なら前金で2枚後金で2枚の銀貨4枚にしておこうじゃないか。もちろん口止め料込みでこの価格だ」
同情的であるかのように、機会が今しかないように見せかけながら要求を少しばかり引き下げる。この手法はかつて仲間で交渉役を担っていた"赤狐"、悪党のルナが使っていたものだ。関わっていて酷い目にあわされたことも多かったが、その代わりに彼女からは様々な物を学び取れた。
「報酬を吊り上げられるだけの自信があるのですか?」
「鼻は利く方だ、御覧の通りな」
自分の顔、狼面を指差し口角を上げる。我ながら中々に良い冗談を言えたのではないだろうか。
「ふふっ、でしたら貴方に頼みましょう。探してほしい使用人の名前はエレーナ、見つけたのなら生死を問わず、事情があって居なくなったのならその事情を包み隠さず教えてください。帰ってくるのに手伝いが必要な様子でしたら、助けてあげてくれると嬉しいです」
「善処しよう」
「ではこちらに署名を。あぁ、私の名前は事情があって書けないのですが代わりに血判を押すので安心してください」
優男は腰に差していたナイフを抜き、契約書と共に机の上に置いた。契約の不履行が起こらなければ使用することのない血判を使い名前を明かさないのは、やんごとなき身分の者で何者にも名前と秘密を知られたくないからなのだろう。
書かれている契約内容に問題が無いか確認してから署名する。男はそれを見届けた後に自らの小指指の先を切り血判を押した。大抵の場合血判に使われる親指や人差し指ではなく小指を使ったのは、複製した場合に誰がそうしたのかを明白にするためだろう。なんにせよこれでもし契約不履行となれば、第三者が関わることになりこの男にとって不都合な出来事が起こるようになった。
「前金はここに。エレーナのこと、よろしくお願いしますね」
契約書の上に銀貨2枚を置くと、優男は周囲を執拗に見渡しながら足早に去って行った。自分が何者であるか気づいた者が居ないか気になって仕方がない様子だ。
「お師匠様、お師匠様! 見てください!」
「何だ?」
「この銀貨ピカピカです! 良く見る汚れた奴とは大違いです!」
「そりゃそうだろうさ。公の場で見るやつは、交易で各地を行き来しているせいで手垢と錆で汚れちまってるが、こいつは仕舞い込まれていて外に出ていない物だったんだろうからな」
俺に見せようと弟子が掲げた銀貨を取り上げ、指の上で転がす。銀貨は惚れ惚れする程に輝いており、見る者を惑わす魅力を放っている。もしも裏通りに投げ捨てたら、こいつを巡って何人の老若男女が殺し合いを始めるのだろうかと思える程だ。