6話
「あの……その……」
夕食時なってようやく目を覚ました少女は、身を起こすとナールを抱えて座る俺に話しかけてきた。俺に殺しや盗難を行った様子がなく、自分も愛しい人も傷つけられていないのを見て、少し安心したのだろうか。こちらが顔を向けても、少し怖がる程度で気絶はしなくなっている。
「貴方は悪い方……ではないんですよね?」
「悪人かどうかは自分でもわからないが、少なくとも俺はこいつの服を作ってもらいに来ただけの客だ。この店やお前に対しては、金を支払ってそれに見合った物を手に入れる以外の用も悪事を働く気も無いぞ」
眠っている弟子の頭を撫でながら、少女の問いに出来うる限りの穏やかな口調で答えを返す。そしてそれに続けて、彼女が気絶してから今に至るまでに起こった出来事を話していく。何が起こったのかを聞かされた彼女の顔は罪悪感からか、目に見て分かるほどに青ざめていく。
「私達、お客様に何てことを……。申し訳ありませんでした……」
「実害は出ていないし、怖がられるのには慣れてるから別に構わんさ。だがもしどうしても詫びたいというのなら、採寸の時にでもこいつに助言をくれてやってくれ。見ての通りの男の元で育ってきたから、自分にどういう服が似合うのかなんてわからないはずだ」
柔和な表情を作り、ナールの頬を小指で優しく突く。金銭を受け取ったり代金を安く設定させては後々何を言われるか分かったものではないが、この程度なら悪評を立てられたりすることはないだろう。
「……是非、是非やらせてください! 私、これでも誰かの服を選ぶのは得意なんです! 店の人形が着ている服も、靴から帽子まで全部私が考えて作ったんですよ!」
何かお詫びをしたいという気持ちに加えて何かそうしたいと思う動機があるのだろうか、青年にぺリアと呼ばれていた少女は、弟子の顔を見たその瞬間から先程までの大人しい喋り方から打って変わって急に饒舌になった。
「あぁ、その子だったら何が似合うのかな。シンプルなワンピースかな、それとも形式張ったドレスかな? 布地は白がいいかな、それとも黒のほうがいいかな? ふへっ、ふへへっ!」
彼女はナールを様々な方向から観察し、どの様な服で彩れば良いかの創造を自分の世界に入って行い始めた。前髪で目がよく見えない上に口角が上がったその顔は少しばかり、いや非常に気色が悪い。もし他の客の前でこの顔をしてしまったことがあったのなら、この店が寂れているのはそれが原因だと断言できるだろう。
「大丈夫だから大丈夫だから、安心して身を任せて頂戴。健康的な体に綺麗な黒髪、古傷は一杯残ってるけどそれはそれで野性的で……。あぁ、なんて……なんて想像力を擽ってくれる身体なんでしょう!」
「お師匠様! 助けてくださいお師匠様! この人、手付きと視線が変です! なんだが気持ち悪いです!」
採寸のために試着室へと連れていかれたナールが、創造する欲求を満たしたい変態によって全身を調べ上げられ、今日何度目になるのかわからない助けを求める声を上げている。
「あれが、この店がこの店である理由なんだろうな……」
「えぇ、腕は良いし悪い子じゃないんですけどね。あっ、お茶のお代わりを注ぎますね。砂糖はいくつ入れます? そうだ、茶菓子の方も新しい物を持ってきましょうか?」
弟子によって気絶させられていた青年が陶器製のカップに茶を注ぐ。少女よりも少し後に目を覚まし事情を説明された彼は非礼を詫び、申し訳なさからかやや過剰な接客をするようになっている。
「ぺリウスだったか、一つ聞いてもいいか?」
「僕に答えられることはそこまで多くないですけど、それでよければ……」
「俺をならず者だと判断した根拠を聞きたい。絵物語の悪役と同じ姿だからとか、女が倒れてるからそう思っただけなのか? それとも、事前に何か事件が起きていたとか何か悪い噂を耳にしていたとか、早計な考えに至る理由があったのか?」
体に対して小さ過ぎる茶器で茶を飲みながら、菓子を載せた盆を運んでくる青年に尋ねる。この質問は別に少年の動機が気になったからしたわけでない。もし仮に何か事件が起こっているのなら、俺が持つ情報の価値は更に高まるだろうと思って質問をしただけだ。
「ここだけの話にしていただけるなら……」
「心配せずとも口は堅い。それに、俺が話しても信用する人間は少ないだろ?」
「僕は副業で人形作成をしているんですが、城に入る機会がありまして……。その時に侍女が話しているのを聞いてしまったんですよ」
俺が答えるとぺリウスは周囲を確認し、小声で話し始めた。どうやら世間には知られていない、知られてはいけないような事を知っているようだ。
「何を聞いたんだ?」
「『凶悪な外観で半裸、闇夜に光る瞳を持つ魔族が数え切れない程の婦女を攫っている。被害者の中には王族の娘もいるらしい』っていう噂です。不安が広まらないように、緘口令が出されているそうですが広まるのも時間の問題でしょうね……」
少年は言い終わった後に再度周囲を見渡し、誰にも聞かれていないことを確認した。自分の口から広まったと知られれば、どのような罰を受けるか分かったものではないと怯えているのだろう。
「それで俺を悪党だと決めつけたと。詳しい内容は聞いていないのか?」
「聞いてますよ。なんでも攫われた王族はレベッカという王陛下の孫娘で、鷹狩りの見学に行った帰りで連れ去られたそうです。王族や彼女の婚約者が血眼になって探しているみたいですが、供の死体以外は何一つ手掛かりを見つけられていないとか」
「王族付きの護衛をどうにかして誘拐を成し遂げられる程の手練れが居て、帰路を把握できる情報網を持った誘拐犯達か。確かにそんな奴らが捕まっていないと聞いちゃ不安になるのもわかるな……」
話を聞き、ぺリウスが早まった行動に走った理由に納得した。力を持った正体不明の何者かに襲われるかもしれないという恐怖は、表通りで安全に生活している者にとってそれはそれは大きなものだったはずだ。
「お師匠様ぁー!」
採寸が終えたナールが更衣室から飛び出し、丸椅子に座っている俺の腰に飛びついてきた。彼女は変質者の域に達した職人と密室に入り、その者に体を触られた記憶を上書きするかのように頬を擦り付けている。
「えへっへへへ……。あっ、これ私が考えてる服を作る場合の見積書です」
「随分安いんだな。……おい、年齢が間違ってるぞ。数え年ならこいつは10歳じゃなくて8歳のはずだ。確か、初めて会ったときは2歳だったよな?」
「はい! 雨季と乾季が8で、あの場所に居た時は2歳。お師匠様と24の季節を過ごしたのでナールは8歳です! お姉さんが間違っています!」
弟子は埋めていた顔をぺリアに向け直し、自信満々にそう言い放った。どうやら彼女の出身地には四季が無く、雨季と乾季しかなかったらしい。そして季節が4つ過ぎれば1年であるという教えをそれに当て嵌めて考えてしまっていたようだ。
「10歳だな、間違いない」
「いやぁ、やっぱりそうですよね! 8歳にしては身体つきがしっかりしているし、10代くらいの女の子くらいから匂い始める独特な甘い香りを漂わせていましたし!」
「ひぇっ!」
ナールは小さな悲鳴を上げ、気色の悪い発言をしたぺリアの視界から消えるために俺の後ろに身を隠した。貧民街に時折現れる露出魔や追剥に出会っても彼女はここまで怯えることはない。弟子はこの人物が心底苦手なのだろう。
「完成予定は3日後か。早過ぎるくらいだが、本当に出来るのか?」
「任せてください! 仕事の早さと品質の良さは祖父の代から表通り一……いえ、アルバルド一ですから! 必ずその日までには完成させますよ!」
職人としての誇りと確かな実力があるのだろう、ぺリアは腰に手を当て胸を張ってそう言った。人としてかなり問題のある人物ではあるが、仕事を頼んでも問題は無さそうだ。
「ありがとうございました! その、もしよろしければまた来てくださいね!」
「……用があればな」
「えぇ、是非是非! ナールちゃんの服も作りたいですし、それに私……お客様の服も作りたいです! 何でしょうかお客様からも磨けば光る何かを感じるんですよね。あっ、すみません……私ったらまた暴走してしまって……」
金と証文を交換し終えた後、店の前まで見送りに出てきたぺリアは挨拶と共に生暖かさを感じる視線と言葉を投げかけてきた。ナールだけでなく、俺にも目を付けていたようだ。是非ともやめて欲しい。
「貶されたわけでもないし別に構わんさ。ほらナール、隠れてないで挨拶しろ」
「服屋のお姉さん……さよなら」
「えへへ、またねナールちゃん」
ぺリアは小さく手を振るナールの姿に微笑んだ。今までとは違い、気色悪さが薄れた笑顔だ。単に小さな子供の可愛らしさに微笑んでしまったから彼女の問題となる気質が表に出なかったのだろうか。