2話
皮革製の投石紐から放たれた石が風を切り裂きながら飛翔していき、的として置かれた煉瓦に当たって林中に小気味良い破砕音を響かせる。彼方此方から聞こえていた木の葉の音や鳥獣の鳴き声が一斉に止み、束の間の静寂が訪れる。
「どうだ、地味だが悪く無いだろ?」
「おぉ! 凄いですお師匠様! 硬い煉瓦がバラバラになってます!」
俺が木端微塵にした煉瓦の欠片を拾い上げ、ナールは興奮気味に声を上げた。どうやら今から俺に教えてもらえる技術がお気に召したらしい。
手軽に手に入る物を組み合わせて行うこの投石器という武器は古今東西の文明で活用されており、熟練した者による投石は頭蓋を打ち砕く威力となる。習得が難しいという欠点こそあれど、弓よりも応用が利く上に必要な物は手軽に持ち運べる物ばかりと利点は多い。
「これナールにも出来ますか? お師匠様みたいに出来ますか?」
「しっかり練習すればな。ほら、こいつがお前の紐だ。失くすなよ?」
「はい! ナール頑張りますね! 出来るように頑張りますね!」
投石紐を渡されたナールは、早速拾い上げていた煉瓦を包み勢いよく振り回し始める。その姿勢や振り方はおざなりで指導したくなるような状態だが、やる気に満ちている。あれやこれやと口出ししてやる気を削ぐより、何度かやらせてから良い点と改善点を伝えてやった方が良さそうだ。
「若いだけあって、勢いだけは立派だな。どれ、頑張る弟子を肴に一杯」
蜂蜜酒に手を伸ばし栓を抜き、飲み口へと鼻を近づけ香りを鼻孔へと流し込む。"黄金酒"と呼ばれる限られた産地で作られる至極の酒、数ヶ月間少しずつ貯金してようやく買えた高級酒の良い香りが体内に満ちていくと共に、幸福感が沸き上がり口内に唾が湧き出してくる。
暫くの間それを楽しんだ後、甘露を舌でも味わおうと瓶を傾けゆっくりと口内へと運んでいく。しかし舌に届くまさにその瞬間、「あっ」という声と共に弟子によって振り回されていた石がこちらへと飛来した。そしてそれは俺が手に持っていた酒瓶を射抜き、美酒を俺の顔面へとぶちまけさせた。
「あの、その、お師匠、わざとじゃないんです……」
「わかってる……。ったく、投げ方を教えてやるから河原で的になる物を取って来い」
「は、はい! 取って来ますね! ナール、取って来ますね!」
河がある方を指差し指示を出すと、ナールは大慌てでそちらへ駆けて行った。ほどほどに頑丈で狙いやすい物、的として丁度良い物などそうそう落ちているはずがない。少なくとも俺が身なりを整え、今は無き好物への想いを断てるまでは帰ってこないはずだ。
「お師匠様お師匠様、取って来ましたよ! ナールは良さそうな物を見つけましたよ!」
「随分と早いな。……おい、ナール」
「何ですか?」
「その気色が悪い銅像は何だ、魔神崇拝でも始める気か?」
手拭いを取り出し、濡れた顔を拭き終えたたところでナールが帰ってきた。走って行ってすぐに帰ってきた彼女は不気味な雰囲気の銅像を両手で抱えている。柱に3本の触手が巻きついたデザインの、邪教徒の隠れ家を襲撃して戦利品を漁った時にでも手に入りそうな一品だ。
「的です! とっても頑丈そうですし、きっとナールが上手になるまで壊れませんよ!」
ナールはそう言いながら銅像を掲げてみせた。見たところ、確かに彼女の言う通り頑丈そうだ。金槌や棍棒で叩きつけても、小さなへこみが出来る程度で壊れることはないだろう。
「的としては申し分ないが……。うん? この像、何かおかしくないか?」
「そうですよ。見ての通りおかしな像ですよ?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな。ほら、ここに不自然な溝が――」
像の表面に薄らと見えた溝になぞる。すると魔術か何かで封がされていたのか、大した力で触ったわけでもないのに像が線に沿って割れ、中に入っていた身の毛のよだつ収集物が露わとなった。
封じ込められていたのは大量の指。随分昔に入れられたのであろう乾燥状態の物から、昨日今日切り落としたのであろうまだ湿り気が残っている新しい物まで、50かそれ以上の指が真っ二つになった象の中から転がり落ちていく。辺り一面に広がった鉄臭さと腐敗臭は、この空間を日常から切り離していった。
「ぎゃあ! 指が! 指が!」
「あぁ指だ、それも小さな指だ……」
出てきた指は全て親指で、ナールくらいの歳の子供の手についているような物ばかり。それらには創痕が付いており、何か鋸の様な刃物で骨ごと荒々しく切り取られたことが見て取れる。切断はとても合意の上でやったとは思えない、泣き叫び抵抗する子供を押さえつけて事を成したのは間違い無いだろう。
「ど、どうしましょうお師匠様!? ナールは、ナールは大変な物を見つけてしまいました!」
「俺達には関係ない、誰かに見られる前に元の場所に戻してこい……と言いたいところだが、見つけちまった俺達は見つかっちまったみたいでな。どうにかしなきゃならないらしい」
「え……? お、お師匠様! お魚さんの頭の人達が! か、囲まれてます!」
像やら指やらに気を取られていた俺達は、気づかぬうちに魚面の魔族に取り囲まれていた。頭が魚のそれで体に鰓や鱗がある彼らは鰭の付いた手でサーベルや銛、弩や棍棒といった武器を携えている。こちらに向けている魚眼は血走り、視線は殺意に満ち満ちている。交渉の余地は無く、殺すか殺されるかしか道は無いようだ。