久瀬と橘3「雨宿りフォーエバー」
私は急いでいた。
下校中、急に雨が降ってきた。傘を持ってなかった私は、暖かい季節とはいえこのまま雨に濡れ続けると風邪をひくだろうと思い、どこか雨宿りできる場所はないかとひたすら探し回っていた。
走る。走る。水が跳ねてスカートにかかっても気にせずに。息がだんだん荒くなり、いつも見ている通学路が知らない物のように、視界にもやがかかってくる。雨と汗で、服が体に張り付き、不快感。そんな中目に入ったのは、誰が経営してるか分からない、古いコインランドリーだった。看板にはツタが這っていて、その年月が窺える。
「ここでいいか」
虫が灯りに誘われるように、ふらっと中に入る。ふわりと洗剤の匂いが漂ってきた。稼働している洗濯機はなく、ただ静かに一時、役目を忘れたようにそこに並んでいた。
一呼吸、落ち着いて店内を見回すと、一つの人影がある。服は同じ学校の制服。いかにも小動物といったような小さな背丈に、絵の具で塗りつぶしたような真っ黒な長い髪。端正に整ったその顔を見てみると——。
「橘さん……。」
つい口に出た言葉に、その人物は反応した。
「ん? あ、久瀬さん……?」
「どうも」
「あ、うん」
橘さんも学校帰りに降られたらしく、湿り気のある制服を着て、首にタオルをかけたまま、ランドリーのベンチに座っていた。
「久瀬さんも雨宿り?」
「うん。傘、持ってなくて、急に降られちゃって」
さっきまで雨に煽られ、私は随分と水も滴るいい女になってしまった。髪からぽたぽたと絶え間なく水が滴り落ちる。ベンチに鞄を置き、私も橘さんの横に座る。靴の中までぐちょぐちょで、なんだか気持ちが悪い。ぽいぽいと靴と靴下を脱ぎ、裸足になる。
「随分、雨にやられたねえ」
「どうやら今日はあんらっきーでーらしい。傘もねえ、タオルもねえ」
「車もそれほど走ってない?」
「? 結構外走ってたけど?」
「いや、知らないならいい……」
伝わらなかったのがちょっと恥ずかしかったのか、橘さんは顔を俯きがちにしながら、首からタオルを取り、おもむろに私に被せてきた。
「拭いてあげる。じっとしてて」
「おー、こりゃすみません」
ごしごしと私の頭をタオルで撫でる。ふわっと柔軟剤が甘く香り、これが橘さんの匂いかと思うと、ちょっと恥ずかしくなった。
「あ、ありがとう。もういいよ」
「だめ、まだ乾いてない」
まるで久しぶりに洗われた犬のように、念入りに頭を拭かれていく。
「……なんだか、慣れてるね」
「あー、うち、妹がいるから。お風呂上りとか、やってあげてるの」
「そういえば、妹いたんだっけ。可愛い?」
「今の久瀬さんと同じくらい可愛いよ」
「あーはいはい、嬉しい嬉しい」
本気なのに……、と橘さんがぼそっとつぶやいたが、聞こえないふりをした。
「……はい、終わり」
「ありがとう、助かったよ」
頭から橘さんの手が離れる。気恥ずかしい時間が終わり、私は少し安堵した。
「雨、やまないねえ」
ランドリーの中は静かで、ぱたぱたと雨の音が鳴り響く。通り雨だからもう少ししたら止むとは思うが、その期待を裏切るように雲は厚く、空は黒く染まっていた。
「このままずっとやまなかったら、どうする?」
雨音の鳴る中、少しでも相手に寄り添うように、橘さんの優しい声色が響く。
「ずっとって、どれくらい?」
「何日経っても、何週間たっても……、もしかしたら、一生雨宿りすることになるかも」
「……それなら、ここを占拠して、コインランドリー屋を開店しよう。雨が止まなかったら儲かるぞ」
一拍おいて、うそぶいた。
「ぶはっ。それはいいかもね」
端正な顔が崩れ、思いのほか朗らかに橘さんは笑った。
「……なんだか、ずっと一緒にいたいかも」
終わりが来ると知っていても。
「橘さん、いつもと違って楽しそうね」
こんな時間が一生続かないと分かっていても。
「久瀬さんが面白い人って分かったからね」
だからこそ、この雨の日の思い出を、忘れないようにしようと思った。