おはよう、獣王陛下①
誰かに頭を撫でられたような気がする。優しい微睡みの中で、アスラの意識は徐々に覚醒した。
最初に目についたのは、尻尾だった。先端にふさ毛のついた特徴的な尻尾が、ゆらゆらと動いていた。狼族のそれとはまるで違う。幼い頃は興味深々で弄っては怒られていたことをアスラは思い出した。
視線を上に向ける。寝台に腰掛けている尻尾の主は、眉間に皺を寄せて腕を組んでいた。
「…………セザ?」
掠れた声が出た。アスラは周囲を見回した。獣王の城の寝室だ。思い出すのに時間がかかったのは、数えるほどしかここでは寝ていないからだ。
数拍後に意識を失う直前までの記憶が蘇る。ガレナを後一歩のところまで追い詰めて、ルビセルの邪魔が入って、それでラントを殺そうとしたセザを止めようとしてーー思いっきり殴られたのだ。
「お前、怪我は大丈夫なのか」
ガレナを退け、暴走する半獣も鎮静化させていたとはいえ、人間の国、いわば敵地のど真ん中で、アスラはセザにぶん殴られて倒れた。お荷物と化した自分を連れて千尋の国に戻るのは骨の折れる仕事だったに違いない。
「お目覚め早々、何を言い出すかと思えば」セザはため息を吐いた「随分と余裕だな、棕櫚」
皮肉たっぷりの台詞。自分を殴った相手の心配をする自分はたしかに間抜けだ。しかしそれでもアスラは安堵した。
いつものセザだ。思わず笑みが溢れる。執拗に殴られ、複数箇所の骨を折られ、爪で切り裂かれた自分。ガレナの妖術をまともに喰らったセザ。お互い完治する間もなく再び水妖や魔獣と戦う羽目になり、相当に酷い怪我を負っている。だが、セザも自分も生きている。
「あの……ラントは?」
獅子の尾を踏んでいる自覚はある。しかし確認しておかなければならないことだ。
「い、生きてるか……? まさか殺して、」
一瞬、視界が金色に染まった。眼前に青い瞳。セザがこちらを覗き込んでいる。いや、セザに押し倒されているのだと、ようやくアスラは気づいた。
鋭い相貌が凄みを帯びる。
「二度と、あの男のことを口に出すな」
押し殺した声音でセザは「生きている」とだけ告げた。追及しようものならくびり殺されかねない迫力だった。
が、竦むような威圧感よりも驚愕の方が遥かに大きい。ラントが生きている。アスラが意識を失う間際、あの絶体絶命の状況で。ファルサーミがセザを止めたのか。それとも邪魔が入ったのか。
あれこれ考えていると、セザの目が眇められた。
「何故あの男を庇った。半獣同士、情でもわいたのか」
人間として生きるラントと獣人として生きるアスラ。半獣でも相当違う。同類だと思ったことは正直なかった。
ラントには母がいる。接する時間は少なかったかもしれないが、慈しんでくれる父がいた。兄がいる。妹がいる。どれもアスラには持ち得ないものだ。
「私に同士なんていないよ。わかっているだろ?」
獣人にもなりきれない。間をゆらゆらと漂っているようなおぼつかなさを、いつも感じている。棕櫚の籠に入って川を流れていた時から、自分はたいして変わっていない。
「あ、でも獣化した時は結構好みだった」