さよなら仇⑤
鋼鉄をものともしないほどの一撃だったのか。いや、強化されてはいたが普通の獣化の範疇だ。相手が強くなったのではない。こちらが弱くなった。
ガレナの身体強化が解けてしまったのだ。
「何故だ」
必死に考えを巡らす。解いた覚えがないのに妖術が解ける。妖気は十分にあった。つい先ほどまでは。
ガレナは自身をとりまく妖気を『視』た。ほとんど残っていない。玉座の間に充満していたはずの妖気がいつの間にか希薄なものとなっていた。
「無駄だよ」
アスラが酷薄に笑んだ。
「全部使ったから」
使った? 妖気を? 獣人が?
仇を前にしてまるで緊迫感のなかったアスラを思い出す。酩酊状態だった。まるで大量の妖気に酔いしれていたかのように。
「……妖気を、喰らったのか」
半獣が自在に獣化できない理由は、覚醒させる方法がわからないからと言われている。生命の危機に瀕した時、怒りで我を忘れた時、本能がリミッターを解除してようやく獣化できるのだ。
ガレナがラントを獣化させた原理は至極単純。いわゆる興奮剤だ。理性を奪い、獣性を高めて覚醒させてやった。
妖気を喰らうことで獣化するなんて聞いたことがない。ましてや、他者の妖気を簒奪し自らのエネルギーに転化する能力なんて、知らない。そんなことが、ありえるのか。
「ふざけるな!」
ガレナは絶叫した。
「そんなこと、そんな、馬鹿なことが!」
妖気を奪われることの意味をガレナは正しく理解していた。すなわちこの半獣が、真っ当な獣人族ですらない『まがいもの』が捕食者として君臨することに他ならない。
獣人はすべからく水妖に踏み躙られる存在だ。決して逆ではない。目障りな害獣。賤しい下等生物。野蛮な愚物。本能のままに動く様には知性の欠片もない。そんなものに自分が、水妖である自分が劣るなどということは、絶対にあってはならないのだ。
「滅びろ下等生物がぁっ!」
激昂したガレナは絶歌『禍つ花園』を解き放った。この場にいる獣人達を全滅させる猛毒。ガレナが実験を重ねて練り上げた強力な神経毒だーーしかし。
その威力が発揮されることはなかった。何故なら精製した毒は、立ち上る間もなくアスラによって喰われたから。
妖気を喰らい、牙を剥いて襲い掛かるアスラを前に、ガレナはなすすべもなく立ち尽くした。押し寄せる大津波に対して、あまりにも無力だった。
殺される。
一分も疑いが挟む余地もなく、そう思った。自分は殺されるのだ。理不尽なほど圧倒的な力によって。ずっと蔑んでいた獣人ごときに。
奇しくもそれは五年前、ガレナが狼族の獣人達に味合わせた絶望であり、屈辱だった。




