おはよう、半獣①
ラントは立ち尽くした。その顔に浮かぶのは困惑の色。何故自分が指差されたのか、全くわかっていないようだ。
「僕が……何を……?」
途方に暮れた表情でこちらを見やる。アスラは自由な右の拳で床を殴った。よりにもよって他の人間がいる前で――いや、せめてセザがいなければ。
首を捻ってセザの様子を伺う。少し身じろいだだけで拘束は解けた。セザが腕を放したのだ。
元々感情表現が豊かな方ではない。目に見えて動揺はしていなかった。セザは狼狽えるラントを推し量るように見つめた。やがて小さくため息を吐いて、呟いた。
「半獣か」
「ご明察」
ルビセルは愉しげに肯定した。
「存在自体が秘匿とされていた先代獣王の息子。人間だと思い込んで生きてきた王子。本人が覚えていないのも無理はない。何せ覚醒と同時に発狂したからね。アスラちゃんが見つけた頃にちょうど正気に返ったんじゃないかな?」
くつくつとした含み笑いはやがて哄笑になった。ルビセルは腹を抱えて嗤った。
「こんな滑稽な話があるかい? 君が生涯をかけて超えようとした獣王が、半分しか獣人の血を引いていない人間ごときに殺されて! おまけに当の本人は何も知らないまま生きているときた!」
「お前……っ!」
掴みかろうとしたアスラをセザが制した。
「それが、貴様の言う『種明かし』か」
「そうだよ。気に入ってくれたかな」
セザは無言で右足を思い切り振り下ろした。靴底が石造りの床を粉砕し、深々と食い込む。
「全員殺す」
セザは言った。落ち着いた声音だった。が、その威圧感に人間達が、魔獣達が、震え上がり後ずさった。そばにいるだけのアスラも毛が逆立ち、ニニに至っては支柱の影に隠れて「あーあ、怒らせちゃったよ」と避難する構えだ。
セザは完全に据わった目で紅蓮の人魚を一瞥した。
「五年前の『礼』を返す」
周囲を取り囲む魔獣達を見回し、
「目障りな雑魚どもを狩る」
呆然と立ち尽くすラントに視線を送り、
「分をわきまえなかった半獣を討つ」
最後に舞台の中心に立つルビセルを睨みつけた。
「俺を愚弄した代償は高くつくぞ」
「穏やかではないねえ」
「全員殺す」
セザは再び宣言した。獣化こそしていないが、獲物を見定める様はまさに捕食者のそれだ。
「まずは貴様からだ」
「そんなに怒るほどのことかい。彼だって一応先代の血を引く息子でもあるんだから。獣の王たる資格ならあると思うよ」
殺気を向けられてもルビセルは笑みを絶やさない。何か、ある。まだ何かを企んでいる。不意に、アスラは視界の端でガレナが密かに動いていることに気づいた。ルビセルはこちらの気を引くための囮だ。
「なんなら、ここで証明しようか。彼が獣の血を引く者であることを」
「菖蒲! ニニ!」アスラは声を張り上げた「そいつを殺せ!」
アスラが言い終わる前に菖蒲もニニも動いていた。ガレナを標的と見定め、各々の武器で仕掛ける。しかし、菖蒲の爪やニニの牙が届くよりも先に妖術が発動した。
「遅い遅い!」
勝ち誇るガレナ。突き出した手から赤い光が放たれる。一条の光は近衛兵達をすり抜け、ラントの胸を直撃した。