幕間
紅蓮の人魚は鍵の束を叩きつけた。耳障りな甲高い音を立てて鍵が床に散らばる。
「獣風情がぁ……っ!」
地を這うような低い声で紅蓮の人魚は唸った。獣王が持っていた鍵を調べ、全てが偽物だとわかった瞬間にこれだ。
「残念だったねえ」
哀れんでやると、射殺さんばかりに睨まれた。ルビセルは肩をすくめた。
「わかっていたことじゃないか。そう簡単に水門の鍵を渡すはずがないって」
「では、あの獅子族が鍵を」
彼以外に誰がいるというのか。愚鈍さに呆れつつもルビセルは「たぶん、そうだろうね」と同意した。紅蓮の人魚がさらに阿呆なことを言い出す前に、釘を刺しておくことにした。
「水門の鍵との人質には使えないし、さっさと殺しておくことをオススメするね」
「だが、仮にも獣王だぞ。鍵は無理でも交渉材料には」
「ならないよ」
ルビセルはきっぱりと言い捨てた。やはりこの水妖は獣人族について何もわかってはいない。害獣や実験対象程度にしか見ていないからだ。
「水門の鍵を守るものが獣王だ。鍵を渡した時点で王位を放棄したようなものだよ。捕まることを覚悟して、あの半獣はあえて自分の価値をとことん下げたんだよ」
今頃はセザが王位簒奪を宣言していることだろう。おめでたいことだ。それがルビセルの一番の狙いであることも知らないで。
元・獣王、しかも半獣の価値はいかほどだろう。ただの獣人以下であることはまず間違いない。
獣人族は一族の絆が強い種族だ。一人が受けた傷、流した血は一族の痛みとして受け止められる。しかし、半獣となれば別だ。
半獣のアスラを助けに来る獣人はいない。いるとしても千花くらいか。しかし森の掟を破ってまで半獣を助けようとする獣人がどれだけいるだろう。
獣人族にとって、アスラの価値はなくなった。殺すならば今だ。アスラの価値に気づかれる前に始末しておくことが得策。
「無駄骨だったということか」
「獣王を二代に渡って始末するんだから、無駄とも言い切れないんじゃないかな」
「鍵が奪えなければ意味はない!」
紅蓮の人魚は感情的に叫んだ。
「獣をいくら狩っても、鍵がなければ……っ!」
焦燥を露わにする紅蓮の人魚。それもそのはずだ。五年前は狼族を壊滅にまで追い込んでおきながら、水門の鍵は奪えず、前回は獣王ゼノを殺しておきながら水門の鍵は奪えず、今回も獣人を攫って獣王アスラを誘き寄せておきながら水門の鍵は奪えなかった。失態もここまで続けば、喜劇に近い。その間抜けさにルビセルは笑い出しそうだった。
紅蓮の人魚は気づいていない。たった一人の半獣によって、弄した策はことごとく打ち破られていることを。
五年前、あのちっぽけな『混じりもの』を殺せなかったことが、一番の失敗だったのだ。