さよなら獣王陛下⑧
「あー……じゃあ、僕はこの辺で」
大方の事情はわかった。援軍は望めない。セザは単独で水妖が待ち受けているであろう人間の国に向かった。ならば自分が行くしかない。他の部族を回って貢物を預かっている場合ではなかった。
「あんた、行くの?」
「僕は千花じゃないからね。森を出てもいいでしょ」
ニニは人差し指を横に振った。
「それに僕以外の誰が、あのセザの面倒を見れるっていうのさ。連れて帰るよ、獣王陛下もついでに」
生きてたらだけど、と内心で付け足す。大層ご立腹なセザに半死半生の目に遭わされる可能性は高かった。
「私も参りますわ」
それまで様子を見守っていた菖蒲が言い出した。
「菖蒲、貴様は千花だろう」
「やめました」
ファルサーミの指摘にしれっと答える。大人しい顔をしてやることが大胆だ。
「そんな勝手にやめられるわけなかろう! 獣王陛下のお許しがない限り」
「ではお許しをいただきに参ります」
「菖蒲、いい加減にしろ。屁理屈をこね回して遊んでいる場合じゃないことぐらい、貴様でもわかるだろう」
「ふざけてこんな真似はできません!」
菖蒲の大音声が響いた。獣耳と尻尾を立てて菖蒲は威嚇した。穏やかで優しい普段からは想像もつかないほどの剣幕だった。
「獣王である前に、アスラ様は私の妹姫です。紫苑お姉様から託された大切な妹です。見捨てることが森の神の定めならば、私は逆らいます」
問答の終了を示すように菖蒲はファルサーミに背を向けた。呆気に取られるニニに、先ほどまでとは打って変わって慈愛に満ちた微笑を浮かべる。
「恐れ入りますが、ウィンヴィリア王国へ案内していただけますか?」
無論断れるはずがない。ニニはこくこくと何度も頷いた。
「走ればたぶん一日で着くよ。でも獣王陛下が今、どこにいるのかまでは……」
「アスラ様の匂いでしたら存じ上げております。私にお任せください」
好都合だ。可憐な容姿ではあるが菖蒲もまた千花の一人、猫族で屈指の戦士なのだ。これほど心強い獣人はそうそういない。
「ちょっと、置いてかないでよ」
玉座から飛び降りた杏が小走りで追いかける。ファルサーミは「杏!」と声を荒げた。
「まさか貴様まで世迷いごとを」
「あー違う違う。ちょっと人間の国に行ってみたいだけー。千花やめる気なんて全然ないから」
杏は悪びれもなく言った。
「掟破りだぞ!」
「だって今、獣王陛下は不在でしょ。森の掟破っても罰する人がいないもの。森を出る絶好のチャンスじゃない。三日ぐらいで戻るから後よろしくね」
「牡丹姉に怒られるぞ……」
額に手を当てる山吹ではあったが、止めようとはしなかった。挙句「水妖が何体いるかもわからないんだ。くれぐれも注意しなよ」と助言する。反対しているのはファルサーミ一人だけだった。
「き、貴様ら、そんなことが許されるとでも」
「あーもう、ごちゃごちゃうるさいわね」
杏は腰に手を当てて凄んだ。
「行くの? 行かないの? どっち?」
ファルサーミはたじろいだ。獣人族でも屈指の戦士が、自分よりもはるかに若く小さな獣人相手に。それはとても奇妙な光景だった。




