さよなら獣王陛下②
五年前。狼族が水妖の襲撃により壊滅的な打撃を受けたのと同じ頃だ。
「おかしいと思っていたんだよ。先代の獣王、ゼノだっけ? 忌まわしい『混じりもの』の君を受け入れて、自分の娘のように大切に育てた。襲撃事件の直後に君が寵姫の座を降りたのも、先代獣王の計らいだろう。君を仇探しの名目で千尋の森から遠ざけることで、周りの獣人達から君を守った」
でなければ、アスラは間違いなく獣人族の誰かに殺されていた。襲撃を受けた際に集落にいたにもかかわらず一人だけ生き残った『混じりもの』。裏切り者と疑われるのは当然のことだった。
「過ぎた親切には理由があるに違いない。先代獣王は、君を見捨てることができなかった。君が穢らわしい混血児だと知りながらもーーいや、君が混血児だから、見捨てられなかったと言うべきだね」
ファルサーミは言った。先代獣王と人間のつがいの間に子はない、と。他の獣人ならばいざ知らず、獣王の血を人間なんぞと混ぜることを純血至上主義者達は決して許さないからだ。
先代獣王に半獣の子はいない。表向きにはそうなっている。
「それで調べてみたら、ウィンヴィリア王国の女王が挙がったってわけ。ただ、兄と妹のどっちが半獣なのか、あるいは両方とも半獣なのかはわからなかったから、しばらく様子を見てたんだよね」
ラントは妖術によって獣人の姿に変えられてしまったと思い込んでいたが、実際は違う。あれがラントの本当の姿なのだ。
「ラントを覚醒させたのは、お前か?」
「いや、僕じゃないよ。あいにくそういう毒とか薬には詳しくないんでね」
ルビセルは悪びれもなく言った。
「ただ、あいつに教えてはあげたよ。君も知っているだろう? 五年前に一度会ったあの紅いすい、」
ルビセルが飛び退いた。彼が腰掛けていた椅子がアスラの拳で粉砕されたのとほぼ同時だった。
「この、外道が……っ!」
「獣に道を説かれてもねえ。あと鎖、今ので壊れたよ」
「うるさい!」
アスラは鎖を叩きつけた。
ルビセルの醜悪さは、自分の手を一切汚さないことにある。五年前に狼族を襲撃したのは紅蓮の人魚。ラントを覚醒させたのも紅蓮の人魚。セザとアスラを追い詰めたのも紅蓮の人魚。でも仕組んだのは全てこいつだ。
「怒ったところで状況は変わらないよ。君は逃げられない。大人しくしている限り、僕はあの半獣くんには手を出さないことを約束するよ」
ルビセルは両手を広げた。まるで自らの潔白を主張するかのように。
「信用できるか」アスラは吐き捨てた「どうせ紅蓮の人魚か何かを使ってラントを殺すように仕向けるに決まってる」
「ところがそう簡単にもいかないんだよねえ。我らが海の女王陛下は人間との同盟を望まれている。手を組んで一緒に獣人族を滅ぼすおつもりだ。同盟相手は大切にしないと」
機密事項をルビセルはあっさりと暴露した。アスラに聞かせても獣人族に伝わることはないと考えているからだ。その余裕にますますアスラの怒りはたぎった。
「無駄だよ」
アスラの内心を見透かしてルビセルは嗤う。
「君は千尋の森には帰れない。ここで秘密を抱いたまま死ぬしかないんだよ」




