さよなら獣王陛下①
参ったなあ、とアスラは頭をかいた。動きに合わせて腕に嵌められた錠と鎖が音を立てる。
狭い部屋だった。寝台、卓と椅子が一つずつ。奴隷を閉じ込めていた牢よりはマシだが、鎖で繋がれていていい気はしない。
「愛玩動物にはお似合いだよ」
褒めているのか貶しているのかよくわからないことを言ったのは、ルビセルだ。アスラを昏倒させて、この状況を作り出した張本人。
「よかったねえ。本来なら地下のカビだらけの暗い牢獄に閉じ込められるところだったのに、王子様の計らいで特別待遇だ」
「そりゃどうも」
アスラはパンを掴んで齧りついた。水妖の前で食事をとることに抵抗はなかった。毒を盛るならアスラが目覚める前に殺しているはずだ。
香ばしく、中は柔らかい。美味しいパンだった。味は申し分ないがいかんせん量が少ない。おかわりをお願いしたら持ってきてくれるのだろうか、と考えた。獣人族は人間よりも食べる量が多い。傷を癒すためにも血や身体の素となる食物はたくさん欲しかった。
「なんで殺さなかった」
「どうして逃げないの?」
質問に全く違う質問で返された。アスラは鼻白みながらも答えてやった。
「逃げたらラントを殺すつもりだろ」
「うん。だから君を殺さなかった。殺す必要がないから」
ルビセルは部屋に一つしかない椅子に腰掛けた。
「はっきり言って今の君には毛皮以外の価値はないんだよね。水門の鍵も持ってないだろうし、後はあの猫くんが王位簒奪を宣言すれば獣人族は盤石だ。君を殺しても獣人族は痛くも痒くもない」
ファルサーミや牡丹が忠誠を誓ってくれるのは、アスラが獣王だからだ。ただの半獣に粉骨砕身する獣人はいない。水妖に敗れ人間に囚われるような間抜けな半獣ならばならおさらだ。むしろ獣人族の恥として軽蔑するだろう。
「だからこれは、僕の『お遊び』みたいなものなんだよね。どうせ死ぬなら、君にはできるだけ惨めな最期を迎えてほしい」
「良いご趣味なことで」
「それを知っていながら付き合う君も、相当良い趣味してるよね」
ルビセルは酷薄な笑みを浮かべた。
「そんなに大事かな? たかが先代獣王の血をひくだけの半獣が」
やはり気づいていたか。アスラは首の後ろに手を当てた。
知っていたことは別段驚かなかった。一目でアスラを『混じりもの』と見抜いたルビセルが、ラントの血筋には気づかないという方が不自然だ。むしろ、誰よりも最初に気づいたのがルビセルだったのかもしれない。
「……いつから知っていた」
返答は期待していなかった。しかしルビセルは迷う素振りもなくあっさりと答えた。
「五年くらい前かな」




