さよなら王子様①
喧騒が遠い。忙しない足音と怒号が聞こえるが、離れているのですぐには見つからないだろう。
セザを路地に転がすと、アスラはその場に座り込んだ。
「これからどうする?」
ニニは積み重ねられた荷箱の上に腰掛けた。この少年がリビセルの注意を引きつけていなければ、逃走は難しかっただろう。
「さっきはありがとう」
「どういたしまして」
蛇族の少年は快活に応じた。
「でも王様がセザを連れてくれたから、おあいこだね。僕が言ったんじゃ絶対に引き下がろうとしないもん」
問答無用で抱えて逃げただけなのだが。アスラはセザを見下ろした。走っている間に静かになったと思ったら、単に気を失っているだけだった。意識を保っていられないくらい消耗していた。
「一刻も早く、ゾアンに戻らないと」
「問題はそこなんだよねー。さっき港も含めて町の出入り口を全て封鎖するとか言ってたから」
ニニは背伸びした。細腕を回しながら考えることしばし、結論はあっさりと出た。
「強行突破かな」
「水妖に見つかる。セザを抱えながらはきついよ」
「僕だけだったら、なんとかなるかも?」
アスラは顔を上げた。
蛇族は隠密行動に長けている。おまけにニニは小柄で幼い少年。大立ち回りも演じていないので、衛兵達に顔が割れていない。ニニ一人ならば目立たずに町から脱出することは容易いだろう。
「獅子族の薬師を連れてくるよ。それまで隠れて、」
「いや、駄目だ」
アスラは首を横に振った。
「セザがもたない」
思った以上に強力な毒だ。おまけにセザは体力をかなり消耗している。ニニが薬師を連れて戻ってくるまで待てない。
それに、解毒のための薬草は各部族の倉庫で豊富に取り揃えている。そこに患者であるセザを連れて行った方が確実だ。
「じゃあ、どうするのさ。町の中をしらみ潰しに探し回って医者と薬草を探す?」
「セザを担いで、ゾアンに戻るしかない」
アスラは懐から鍵束を取り出した。先代から受け継いだものだった。木製、鉄製と多種多様な材質と形状の鍵が金の輪に束ねられている。その中から、古びた鍵を一つ選んで、セザの懐に入れた。
「それって、まさか……」
ニニの顔がひきつる。
「荷が重いかもしれないけど」
「やだよ! これで取られたら僕のせいじゃん!」
「鍵だけじゃどうせ水門は閉ざせない。ゾアンに戻れば、牡丹もファルサーミもいる。やすやすと侵入を許したりはしないさ」
ルビセルには鍵を取られたら終わりだと言ったものの、実際のところはそうではない。水門は千花達が守っている。たとえ鍵を奪われたとしても、水妖達を水門に近づけなければいいのだ。
だから、大丈夫。仮にこの鍵を奪われたとしても、セザは王位を継げる。何の問題もなく。
「セザを担ぐのはいいけど、それで脱出するのは無理だよ」
「私が囮になる。港の方に逃げて注意を引きつけるから」
ルビセルならば囮と見抜くだろうが、水妖族として捨て置くことはできやしない。何せ水門の鍵を持っている獣王だ。
「悪いけど、菖蒲に『ちょっと帰りが遅くなる』と伝えてくれる? 獣王城で留守番してる猫族の千花だ」
ニニは青菜に塩を振ったような顔をした。
「犠牲になるの?」
「そんな悲壮なものじゃないよ」
アスラはセザの金髪を撫でた。先代のそれとまるで変わらない。面影に血の繋がりを感じた。混血の流し子である自分では、決して得られないものだ。
「約束を果たすだけだ」
感傷を振り払ってアスラは立ち上がった。




