横やり失礼④
セザが歯噛みした。食いしばった牙から獰猛な息づかいか聞こえる。まんまと策にハマった自身への怒りか、姑息な水妖への憤りか、射殺さんばかりに眼光鋭くリビセルを睨んだ。戦意は全く損なわれていない。だが、身体がついていけない。
「さて、状況は見ての通りだよ、獣王陛下」
ルビセルは両手を広げてみせた。折れたはずの左腕はいつの間にか治癒されていた。
「獣人族最強は戦闘不能。半獣の君には毒が効かないから、一対一なら僕に勝てるかもしれない。でも、」
ルビセルは人差し指を立てた。
「もう一人の方がその猫くんを始末するだろう。手を出すまでもないかな。放っておけば全身に毒がまわって勝手に死ぬ」
猫ではなく、獅子だと言い返すこともできない。セザの状態は深刻だった。千尋の森に帰ればいくらでも解毒のしようもあるが、人間の国では無理だ。
「仕方ない。今日のところは見逃してやるよ」
「それって僕が言う台詞じゃないかな。あとこんな絶好のチャンスを見逃すわけないだろ」
アスラは舌打ちした。やはり駄目か。
「要求を聞こうじゃないか」
「水門の鍵」
「却下」
アスラは即答した。
「猫くんは死ぬよ?」
「同じことじゃないか。鍵を奪ったら、水門を閉ざすつもりなんだろう? 千尋の森中の生き物が死に絶える。セザだって死ぬ。取引する意味がない」
「これは困ったねえ」
セザは顎に手を当てて考える素振りをした。
「取引に応じてくれないのなら、君達を殺すしかなくなるなあ」
「だ、れが……取引なぞっ!」
飛び掛かろうとしたセザの肩をアスラは掴んだ。呆気なくセザは取り押さえられる。
「棕櫚、きさ、」
「殺されるだけだよ。落ち着け」
動けばその分毒のまわりも早まる。気遣っての行動だったが、セザの目には怒気がこれでもかとたぎっていた。
「鍵以外で」
「毛皮くらいの価値しかない獣の分際で何を言ってるのかな」
「へー、その獣から数百年も水門の鍵を奪われたままなのは、どこのお魚だったっけ?」
アスラは意地の悪い笑みを浮かべつつ、後ろ手で瓦礫を探った。程よい大きさの煉瓦を掴む。
「取引は不成立だよ」
力任せに煉瓦をぶん投げた。ルビセルは軽く身を捻って避ける。読まれていた。予想通りだ。
「残念だね!」
妖術を発動ーーさせようとしたルビセルから、鈍い音がした。たたらを踏むルビセル。すぐさま振り向き、目を見開いた。
「お前はーー」
「やあ、こんにちは」
にっこり微笑んだ銀髪の獣人、ニニはその背丈の倍はあろうかという石柱を振り下ろした。非力な水妖に受け止めるという選択肢はない。ルビセルは瞬間移動で逃れる。
その隙にアスラはセザを肩に担いだ。何やら文句を言うセザを無視して、その場から脱兎の如く逃走した。
「王が、敵前逃亡だと!?」
「うるさいお荷物! 耳元で喚くな!」
怒鳴りつけ、路地裏に身を隠す。水気のある場所から離れれば、ルビセルとて追跡はできなくなる。獣人族とは違って、水妖族は嗅覚が発達していないからだ。