こぶしで挨拶⑤
獣化ができなくても、負けるわけにはいかない。あの水妖を倒し、紫苑を救わなければならない。その一心で、アスラは四年もの間鍛錬に鍛錬を重ねた。
それでも届かないのか。命懸けで身体を鍛えても、まだ足りないのか。どれだけ願っても、努力しても、半分しか獣人の血を引いていないというだけで、敵わないのか。
ふざけるな。
喉も裂けよとアスラは叫んだ。悲鳴と呼ぶには猛々しく、威嚇にしては悲痛な咆哮だった。骨が砕けているのも無視して腕を振るった。握った拳はセザ——ではなく傍らの噴水の台座を粉砕した。腕を突っ込み中に設置されているパイプをへし曲げ、口の一部を指で塞ぐ。圧力によって噴出した大量の水が、鉄砲のようにセザを直撃した。
「ぐ……っ、おおお!」
さしものセザも圧されてたたらを踏む。視界が覆われて怯んだその隙に、アスラは跳ね起きて飛びかかった。辛うじて動かせる左の拳を渾身の一撃として、セザの腹に叩き込んだ。
「が、は……っ!」
手応えを感じたその瞬間、視界に火花が散った。平衡感覚をも奪う衝撃が頭を襲う。アスラの身体が吹っ飛んだ。激突した石壁にのめり込む。
呼吸ができない。喉の奥から熱いものが溢れ出る。それが自身の血だと気づくのに、やたらと時間がかかった。頭を揺さぶられているような感覚。少しでも気を抜けば、そのまま意識がどこかへ行ってしまいそうだった。
ゆらりと、視界に現れたのはセザだった。
先ほどまでの薄ら笑いは消え、敵意と怨嗟を露わにして睨みつけてきた。肩で息をするほどダメージを負っているが、足取りはしっかりしている。
これは死んだな。
ひっくり返った状態でアスラは悟った。実力差があり過ぎる。悔しいという感情さえ消えた。侮っていた半獣ごときに苦戦させられ、ご立腹なセザを見れただけでもよしとするべきか。
「棕櫚」地を這うような低い声が唸った「貴様、よくも、」
胸ぐらを掴まれる。軽々と、乱雑に、満足に動けない身体を持ち上げられた。顔を引っ掻こうにも両腕は鉛のように重かった。
荒い息遣いが耳元で聞こえた。殺気に血走った目に、自分の顔が映るのが見えた。
セザが、自分を見ている。自分だけを。
どうしてかわからないがアスラの頬が緩んだ。最後の最後で緊張が解けたのかもしれない。状況に全くそぐわない、しまりのない笑みを浮かべるアスラに、緑色の瞳に動揺が走って、そして——
銃声が響いた。