ひさしぶり、幼なじみ①
現場には誰もいない。水妖は見失った。
捜査は暗礁に乗り上げたかと思ったその時、ファルサーミが鼻をすんと鳴らした。
「臭いが残っている」
「たどれそうか」
アスラの問いにファルサーミは答えなかった。考え込むようにうつむく。
「ファルサーミ?」
「……覚えのある臭いだ」
「会ったことのある水妖なのか。でもファルサーミは森を出たことがないんだろ?」
「五年前、千尋の森にいた獣人ならば誰もが知っている臭いだ。当時はもっと強烈で鼻がもげるかと思ったくらいだったからな。忘れようにも忘れられん」
アスラは自身の顔が強張るのを感じた。五年前。水妖。ここまで揃えば示すものはただ一つ。忌まわしい記憶が呼び起こされる。
「これは『紅蓮の人魚』の臭い。狼族を壊滅させた水妖の残り香だ」
あいつがここにいる。つい先ほどまでここにいた。
アスラの全身の毛が逆立った。探し求めていた仇。倒すべき宿敵が人間の国にいる。じっとしてなどいられなかった。
「どこ?」
「落ち着け。まだ本人だと決まったわけではない」
ファルサーミは注意深く周囲を探った。
「でも、急がないと」
「わかっている」
嗅覚が劣っていることを、こんなにももどかしく思ったことはない。ファルサーミは路地裏の方へと足を向けた。臭いをたどるファルサーミの後にアスラは続いた。
五年だ。突如として狼族の集落を襲って皆殺しにし、紫苑を氷漬けにした水妖。赤々としたあの鱗は、今でも鮮明に思い起こせる。それが、ここにきていきなり。ようやく。ついにーーはやる気持ちを抑えてアスラは歩いた。
が、不意にファルサーミが足を止めた。目の前にあるのは薄汚れた建物。酒樽が置いてあることから食堂か、酒場のようだが、それにしては寂れていた。
「ここなのか」
「臭いが消えた」
ファルサーミは呆然と呟いた。
「いや……変わった?」
「どういうことだ」
忽然と臭いが消えたのか。ファルサーミは眉間に皺を寄せた。
アスラは「あ」と小さく声を漏らした。ファルサーミの言わんとしていることが理解できた。アスラとて半分は獣人の血をひいている。気配を察知することはできた。水妖ではなく、獣人族の匂いならば。
「ここに獣人がいるのか」
「そのようだな」
真っ昼間だというのに暗く人の気配もない建物。そかし獣人の嗅覚が、そこに潜むものを感知した。
アスラは人間の流儀にならって、扉を手で引き開けた。微かな陽光しか差さない建物内は薄暗かった。商談をするためと思しきカウンターに、気だるげに座る男。その背後には地下へと続く階段が見えた。
「この時間に客とはめずら、」
「獣人を探している。ここにいるはずだ」
店主と思しき男に向かって、一方的にファルサーミは告げた。
「はあ?」
「案内しろ」
「よせ、ファルサーミ」
アスラはファルサーミの袖を掴んだ。
「そんな訊き方はないだろ。いくらここが非合法の奴隷屋だからって」
「な……っ!」
ファルサーミはつかつかと歩んで、カウンターの店主の前に立った。
「人間が人間を売ろうが食おうがどうでもいい。貴様らの勝手だ。だが、獣人と人間の区別もつかんとはどういうことだ」
「尻尾もケモミミも消してたら気づかないって」
「ちゃ、ちゃんと鎖に繋いでいる!」
「「は?」」
ファルサーミとアスラの声が合わさった。