魔法が解けたら、さようなら①
深い深い森の奥には大きなお城があり、そこには恐ろしい野獣が棲んでいました。
友達も、召使いもいない広いお城でただ一人――失礼、一頭。孤独な野獣は寂しさ、哀しみ、そして絶望を募らせるだけの日々を過ごしていました。
ところがある日、お城に一人の少女がやってきました。屈強な騎士でさえも恐れる野獣を前にして少女は、頬を赤く染めました。
なんて凛々しい方でしょう。
毛並みは輝く黄金色。白銀にも勝る鋭い牙。雄々しい腕、力強い脚。まさに、森を統べる王に相応しい貫禄。
人間の誰もが忌み嫌う姿を褒めそやし、少女は野獣に求婚した。野獣の大きな手を取り自身の胸に当て、古式ゆかしい獣人の作法に乗っ取って。
どうか私の番になってください。
アスラが誓約の言葉を述べると、目の前の野獣がその場に崩れ落ちた。
「……え?」
口から間の抜けた声が漏れた。恥じる余裕もなくアスラは突如として倒れ込んだ野獣を見下ろした。
こちらの呼びかけにも応じず、膝と前脚を床について浅い呼吸を繰り返す野獣。明らかに様子がおかしい。
「大丈夫か」
アスラが屈んで手を伸ばそうとした瞬間、野獣が発光した。眩い光にアスラは思わず目を閉じる。瞼を閉じていても感じるほどの光量。反射的に目を手で覆った。
永劫とも刹那ともつかない時の後、恐る恐る目を開けると――野獣の姿は消えていた。
代わりに一人の若い青年が床に倒れていた。
身に纏っているのは先程まで野獣が身につけていたと思しき衣服。丈が合わないので裸に布を被っているような姿だ。
気を失ってはいるが青年の呼吸は穏やか。命に別条はないだろう。人間の、そう、人間の青年だ。黄金の毛並みも、岩をも切り裂く爪も牙もない。ただの人間。
「ど、どういうこと?」
状況から導き出される結論は至極単純で明快。
この青年が、野獣だったのだ。
アスラは血の気が引いていくのを感じた。頭では理解していても心が納得してくれない。嘘だ。だって、今まで、ついさっきまで、どこからどう見ても立派な野獣だった。匂いも気配も獣のそれだった。なのにどうして——これは悪い夢だ。そうに違いない。
意識を失っている青年に縋りつき、アスラは叫んだ。思いの丈を込めて、真剣に、切実に。
「早く元に戻って!」