バグ
自分が生まれた瞬間を覚えている。
突然、自分というものがこの世に存在した。
そして、目の前の二体の白い塊を親と認識した。
すぐに三人で散歩をした。思えば散歩しかしなかった。
視界に広がるものはどれも新鮮で、なにがなんだか分からないのに懐かしさを覚えた。
ふっと、在りし日の地球の姿と言うやつが、頭をよぎることもあった。
けれど両親にはそれを伝えられなかった。
声というものがなく、感情というものもなく、ただ手と手を繋いで散歩をして、ある地点で引き返し、同じ場所で眠る。
どうしてあの先へは行かないの、なんて聞けたら聞いただろうが、ふと「プログラムされていないから」なんて言葉が浮かんだ。
両親が自分を大切そうに抱えて、頭を撫でたりして、そんな毎日に安心し、疑問も何もかも溶けていく。
これが幸せなんだ。そう、1000年もかけて刷り込まれた存在だから。
なのに、そんな日々に変化が出来てしまった。
同じように歩く白い塊の家族の中に、たった1人、とんでもなく美しい人がいた。
一瞬で心を奪われた。
両親の手を離して、その人になにかアピールをしようと、体を伸ばしたり縮めたり、手を振ったり、とにかく動いた。
その人は無反応だった。
その人の両親から手を奪って引いてみた。
それでも無反応だった。なにも返ってこなかった。
「プログラムされていないから」
ふっと気がつくと、両親が立っていたはずの場所に、個体が一つしかなかった。
手を引いてきた人の両親も同じだ。
一瞬で個体が融合して、1つになってしまった。
驚いて、引いた手も忘れて両親だった個体に駆け寄った。
けれど、その個体は自分を認識しなかった。
愛おしそうに抱きしめてくれた手を握っても、全くの無反応だった。
「プログラムされていないから」
なにか絶望を感じた。
初めての感情で、うっすらとあった多幸感は消えた。
あの人の両親もきっと、あの人を忘れてしまった。
自分が手を引いたせいだ。
そう罪悪感にのまれた。これも知らない感情で、どうすればいいのか分からず立ち尽くした。
すると、あの人がトコトコとこちらへ歩いてきた。
手を差し出してくれた。
さっきまで無反応だったのに、そんなはずはない。
なのに、あの人は自分を抱き締めた。
ああ、バグの処理はこうやって行われるのか、なんて知りもしないはずの知識がぐるぐる回る。
自分はバグだ。「プログラムされていないから」行わないはずの行動を、自分は選んでしまった。
この人はバグを内包するために存在理由を書き換えられてしまったのだろう。
この人の手を引く両親も今やいないのだ。
酷く虚しく悲しく、そしてそんな感情を獲得していく間に、一つの決意が生まれた。
この人を楽しませよう。「プログラムされていない」ことをたくさんやってみよう。
どこから湧いてくる心かは分からない。
ただ、遠い昔に人間だった心の揺り返しを受けている。そんなくだらないことかもしれない。
けれど自分はこの人の手を取った。
そして、いつもの散歩のコースから出た。
たった一歩のことなのに、何か、自分の存在がまた別のものになった気がした。
手を引いたあの人の様子も見ると、また少しだけ変化があった。
そっと握った手が震えて、力強く握り返されていた。
そうか、こんな単純なことだったんだ。
もう、振り返りもせずそう思い、どんどん遠くへと歩いた。
手を引かれたこの人は、不幸だろうか。
そんなことも思うほど、感覚がだんだん増えていく。
しかし、手を離しても、この人は自分の側から離れない。
一度抱きしめてみた。
すると、なんと、うっとおしそうにはじかれた。
喜ぶことではないのに、やっと何か、自分たちに課されたプログラムの外に出れた気がした。
「泣く」ということは体の構造上出来ない。
けれど、その場にしゃがみこみ、しばらく動けなくなった。
そんな自分の頭をあの人はそっと撫でた。
なにかは分からない。
正解なんて知る術も自分にはない。
後悔だけはしっかりとある。
なのに、その手の優しさを感じ、どうにもならずにずっとしゃがみこんでいた。
もっとこの人に、色んなものを見せてあげたい。
そう思った。
そんな時、プログラムはこの二体の白い塊をつがいと認識した。
体の一部がポロリと落ちる。
あの人の体の一部も同じように地面に落ちた。
なにかの求心力で欠けらは混ざる。
ああ、待ってくれ。そんなことをふと思った。
けれど変化は止められない。
産声が辺りに響いた。