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空気

作者: 十一橋P助

 これは、笛の音だろうか。ホイッスルのような耳に響く音。それで目が覚めた。

 ところが視界は真っ暗だった。瞼を開けたはずなのになにも見えない。あたりはただ闇に包まれている。

 咄嗟に自分の目が見えなくなってしまったのかと思った。それを確認するため目の前で手を振ろうとして気がついた。動かないのだ。右手どころか全身の自由が利かない。

 どうにかしようともがいていると、

「誰かいるんですか?」

 どこからともなく聞こえた若い男の声に一瞬びくりとなり、思わず逆に問い返す。

「誰?」

「ごめんなさい。驚かせてしまって。僕はカタセヒロキと言います。あなたは?」

 柔らかな物言いに少し安堵しながら、

「コンドウマキよ。ここはどこ?いったいどうなってるの?」

「地震が起きたようです。そのせいで僕らは生き埋めになったのかと」

 そうだ。私は気ままなひとり旅の途中だった。本州最南端のW県に向かうため、ローカル線に揺られていたのだ。長閑な景色を眺めながら列車が山際に差し掛かったとき、突然大きな揺れに襲われた。その直後車輌が激しく傾き……そこで私の記憶は途絶えていた。恐らく土砂崩れが起き、列車は埋もれてしまったに違いない。その衝撃で気を失ったのだろう。

 それならばのんびりしている場合ではない。なんとかこの窮地を抜け出さなければ。私は体の自由を取り戻そうと身をよじらせた。するとカタセの冷静な声が聞こえる。

「あの、ヘタに動かないほうがいいと思います。その振動で周りのものが崩れる可能性があるので」

 確かに一理ある。私が身動きできないのは多分車内に流れ込んできた土砂のせいだろう。こうして話ができるのは幸運にも顔のまわりに空間ができたと言うことだ。蟻の一穴で堤防も崩れると言うが、私が身じろぎしたことで微妙なバランスで保たれていた土砂が一気に崩れないとも限らない。彼の言うとおり、おとなしくしているのが得策だろう。だがそれ以外にもできることはある。大声で助けを求めるのだ。

 ところがそれに先立ってカタセの言葉が聞こえる。

「助けが来るまでおとなしくして、体力の温存をするほうが賢明でしょう。大声を出すのもやめたほうがいいと思います。そのためにこれもありますし」

 その直後、笛の音が短く響いた。さっきの音は彼が出したものだったのか。災害に遭ったときのために笛を携帯するべきだという話は耳にしたことがあったが、実際に身につけている人は始めてだ。

「カタセさんとか言ったかしら?あなた準備もいいし、やけに落ち着いているわね。まさかこんな目に遭うのは初めてじゃないとか?」

「そんなわけないですよ。ただ、母がとても心配性なんです。だから小さい頃から口すっぱく言われていました。身の回りには常に気を配りなさい。危ないものには近寄らないこと。準備は万全に。ってな具合です」

「なるほど。だからその笛も持っていたってわけね」

「ええ。一応非常食もあるんですけど、よかったらお分けしましょうか?」

「そんなものまで?でも、こう真っ暗じゃなにも見えないし、そもそも私は身動きが取れないのよ」

「だいじょうぶですよ。声の響き方からすると僕とコンドウさんの距離は手の届く範囲です。幸い僕の右手だけは動きますから、食べさせてあげることもできますが、どうしましょう?」

 どうしましょうと言われても、こんな目隠し状態で赤の他人からものを食べさせてもらう気にはなれない。でもこのまま助けが来ず、のっぴきならない状況に追い込まれたらそんなことを言っていられないかもしれないのだから、無下に断るのは避けたほうが良いだろう。

「ありがとう。でも今はまだ大丈夫よ」

「そうですか。もしお腹が減ったらいつでも言ってくださいね」

「わかったわ。ところで、今右手が動くと言ったけど、携帯は?電話はかけてみたの?」

「残念ながら繋がらないんです。もしかしたら壊れたのかもしれません」

「だったら他の人はどうかしら。車内には他に乗客や乗務員がいたはずよね。この惨状は外部に伝わっているのかしら?」

「さあ。それはわりません。でも先ほどからここ以外の物音は聞こえませんし、もしかしたら生きているのは僕らだけって可能性もありますね。気を失っているのでなければ」

「そうなると、助けなんて本当に来るのかしら?」

「来るはずです。今頃はきっと災害救助に自衛隊も動き始めていますよ」

 そうだといいのだけど。これほど大きな地震が起きたと言うことは各地で被害が出ているはずだ。そうなるとより規模の大きいほうに支援が向けられるのではないだろうか。こんな田舎のローカル線で、客もまばらな二両編成の電車が埋もれたことなど忘れられてやしないだろうか……。

 しばらく沈黙が流れた。カタセがどこかに行ってしまったのではないかと不安になる。

「ねえ。いるの?」

「いますよ。お腹が空きましたか?」

「違うわよ。ちょっと心配になっただけよ」

「心配?どうしてですか?」

「だって、これほどなにも見えない真っ暗闇で一人取り残されたら怖いじゃない」

「怖い?一人になることが?それとも暗闇が?」

「どっちもよ。もしもこの状況で一人ぼっちだったら、多分気が変になっていたんじゃないかと思うわ」

「そうですかね」

「そうよ。こんな状況に置かれて改めて思ったわ。見えなくなることほど恐ろしいことはないって。もしも目が見えなくなるくらいなら死んだほうがましよ」

「大げさな。なにも死ぬことはないでしょう」

「まあ死ぬことはないにしろ、死に値するってことよ。例えば私は旅行が好きじゃない。それは美しい景色をこの目で見るためなのよ。目が見えなけりゃ旅行に行く気にもならないでしょ」

「見えなくたって、その場所に行けば空気を感じることはできますよね」

「空気なんて感じるわけがないでしょ。そんな気になっているだけよ」

「そうだとしても、旅行くらい行ってもいいと思うんですけど」

「それなら旅行はいいわよ。だったら読書はどう?目が見えなければ本を読むこともできないじゃない」

「プロが朗読したものを聞けばいいだけです」

「それだと自分の感性で行間を読むことができないじゃない。人それぞれ読み方ってものがあるんだから」

「それでもストーリーはちゃんとわかりますよね」

「なによあなた。いちいち突っかかってくるわね」

「別にそんなつもりはありませんよ。ただ目が見えなくたってそんな悲観することはないんじゃないかと」

「いやいや。悲観するでしょ。だって映画も見れなくなるのよ。さすがにこれはストーリーだけわかっても面白くないでしょ」

「それはまあ、そうですかね……」

「でしょ?他にも色々あるわよ。車の運転だって無理だし、パソコンやスマホだって触れない。私はやらないけどテレビゲームだって遊べないじゃない。目が見えないってことは、それだけ不自由ってこと。生きている価値が半減するのよ」

 私のボルテージが上がるのと反比例するように、カタセは「まあそうかもしれませんね」と応じたきり言葉を発しなくなった。

 もしかしてめんどうくさい女とでも思われたのだろうか。議論するつもりはなかったのだが、持論に反することを言われるとむきになり、それを押し通してしまうのが私の悪い癖だ。なんとかフォローしなければと思うものの、ばつが悪くてどう切り出したものか迷ってしまう。

 しばらく無言で考えるうちに気がついた。なんだか息苦しい。口論したせいかと思うものの、どうやら違うようだ。

「ねえ。なんだか苦しくない?」

「僕としたことが、失念していました」

「どういうこと?」

「生き埋めになったことで、完全に外気と遮断されたかもしれないということに」

「ってことは、酸素が?」

「恐らく」

「どうするの?」

「できるだけ呼吸を浅く少なくするしかないかと」

 そんなことできるわけがない。ただでさえこの異常な状況で心拍数は上がっているのだ。でもそうしなければ死んでしまう。言われたとおりなるだけ酸素を消費しないようにするつもりが、逆にパニックになって呼吸が速くなってしまう。

 だがそれも長くは続かなかった。すぐに私の意識は混濁し、眠るように落ちてしまった。



 気がつくとベッドに寝かされていた。どうやら助かったようだ。

 医師の話によると、幸いなことに大きな怪我はなく、低酸素による障害もないとのこと。念のために一晩入院するだけで済むそうだ。

 こうして無事明るい世界に戻ってこられたのは、すべてカタセヒロキのおかげだ。私が気を失ったあとも、彼はずっと笛を吹き続けていたようで、その音が決め手となり私たちの位置が特定されたという。それよりもなによりも、彼の助言がなければ私は生き埋めになっていたかもしれないし、彼がいなければ暗闇の恐怖に押しつぶされて発狂していたかもしれないのだ。もしかすると彼は、生き埋めになっていることを少しでも忘れさせるために、あえて議論するように突っかかってきたのかもしれない。

 そう言えば、彼はどなったのだろう?

 確かめずにはいられなくなり、ベッドから抜け出した。ナースステーションで訊ねると、彼もまたここに入院していると言う。

 教えられた病室に向かうと、ドアが開けっ放しになっていた。

 戸口から中の様子を伺う。一人部屋のベッドの上で、青年は上半身を起こした状態で座っていた。どこを見るでもなく、ぼんやりと虚空を眺めている。

 その顔を見た瞬間、私は激しい自責の念に駆られた。

 知らなかったとはいえ、私はなんてひどいことを言ってしまったのだ。

 彼には見覚えがあった。彼は、私があの電車に乗ろうと駅で待っていたとき、白い杖で足元を探りながらホームを歩いていたではないか。

 カタセヒロキは、目が見えないのだ。

 これで全て説明が付く。彼が暗闇を恐れないことも、母親から口酸っぱく注意されていたことも、私の持論に抵抗していたことも。

 それなのに、私はあのとき、見えないくらいなら死んだほうがましだと言ってしまった。

 恥ずかしくて、彼に合わす顔などない。

 このまま帰ろう。そう思いきびすを返しかけたところで、彼は焦点の定まらない視線をこちらに振り向けた。

「あ。コンドウマキさんですよね?」

 どうして気づかれたのだろうかと不思議に思いつつ戸惑っていると、

「ほら、やっぱり感じるものなんですよ。空気って」

 その優しい微笑みに誘われるように、私は病室に一歩足を踏み入れた。




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