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書き続けるための条件〜誰がどのくらい書くのか・どうすれば書けるのか〜

「とにかく書け」と言ったところで、言われた作者の行動はなかなか変わりません。執筆に伴う人の心の反応について、まったく考慮していないアドバイスだからです。本エッセイでは、執筆が作者にもたらす費用と便益に注目し、モチベーションを保つ条件を考察しました。「書く前のワクワク感を保つ・高める」「文章を楽しく書く」「文章を書く喜びを維持する」「執筆の喜びをちゃんと意識する」ことが重要と示唆し、そうするための方針も合わせて考えました。


注:執筆に際し経済学の知見を活用していますが、あくまでエッセイであり、学問的な論考などではないことを記しておきます。


◯導入:「とにかく書け」?


 いったいどのようにして文章を書くモチベを保つのか。

 どうすればたくさん書けるのか。

 この二つは、物書きをやっておられる人、特に「小説家になろう」などのWEBサイトで執筆活動されている方にとって、とても重要な問いです。三度の飯より大事かもしれません。少なくとも僕にとっては、親孝行などよりも遥かに存在感の大きい、もはや人生のテーマの一つです。そして言語化が非常に難しい。自力で納得の行く答えを見つけられず、他者にアドバイスを求めたい方もいるはず。実際に、ツ◯ッターではたくさん見受けられるように感じます。疑問を抱き実際口に出す人は、疑問を抱く人のごく一部と考えれば、呟き以上にもっといます。多分。

 しかし、この重要な疑問に対して、最もよく目にする答えは「(ぐちぐち言う前に)とにかく書け」。書籍化している猛者たちが、まるで絶対の真理の如くそう仰られてます。もちろん疑問には全然答えられていません。国語だったらゼロ点です。まあ採点されるわけじゃないですから、単にめんどくさいだけなのかもしれません。あるいはしかし、自分でも言語に出来ていない可能性もあります。「小説家になろう」などのWEBサイトで覇権を握るのは、国語の出来る秀才ではなく、スコッパー読者の夢と願いを叶えてくれるランプの魔人です。猛者であることだけを理由に、ちゃんとした答えを求めるのは筋違いでしょう。

 とはいえ、文章を書くモチベの保ち方について、まったく答えがないわけじゃありません。これは万人にすんなり当てはまる魔法のモチベ保持方法があると言っているのではなく、確かに一人一人固有の続け方というのがあるのだろうけれど、同じ人間である以上(なろう作家が人間とは限りませんが)、何か共通の理はあるんじゃないかという主張です。例えば、現実の企業について考えてみましょう。運営方法は十人十色である一方、機械などの資本と構成員による労働力を使って、グッズやサービスを生産しているという大きな共通点がありますよね。上の主張は、こういう社会の一般的な性質から類推したものです。

 結論から言うと、僕たちが長期的に書き続けるためには、①執筆は費用と便益を伴うと知ること、②トータルで楽しむこと、③一文字一文字を楽しむこと、④執筆の喜びを持続させること、⑤便益についてはっきりと認識することの五つが必要になります。まとまった文章を書くコストは非常に大きいです。単純に、「書く」という作業は頭を使って大変なこと、また思ったように書けない・読まれない悔しさに加えて、その時間は仕事が出来ませんし、小説・漫画・アニメを見て癒されるのも無理だからです。支払った労力に見合う利益がないと、人は「書くのつまんない」という帰結に至り、執筆しなくなります。だからこそ、この利益をしっかり見据えておかないといけません。狭く朧げな便益観では、費用とシーソーゲームさせた時に、トータルで負けてしまうでしょう。利益には大まかに、現在進行形で感じる「執筆そのものの楽しさ」と、将来、書き終えた時に感じられるだろう達成感、書き続けていればいずれ人の目に止まるかもしれないという期待感があると思います。これらをいかに上手く認識・意識出来るかが、執筆を続けられるかどうかの鍵です。

 このエッセイでは、文章を書くモチベの保ち方の、人類の共通項について主に考察します。第一節では、「小説家になろう」などで執筆する際の費用便益の構造を見ます。第二節では「誰がどのくらい書くのか」、第三節では執筆する、あるいは執筆量を増やすための試みを考えます。最後に結論を述べます。

 拙い分析ですが、一人でも多くの人の役に立てれば幸いです。


◯第一節:楽あれば苦あり


 導入でも書いた通り、執筆には費用と便益の両方が伴います。「小説なんて書くだけなんだから楽」などと言う人がいますが、とんでもない誤解です。Aを押して「あああああ……」と打ち続けるだけならともかく、人に読んでもらう文章を書く作業のコストは、新世界の想像(あるいは創造)、パソコン画面への集中、第三者的な俯瞰、誤字脱字チェックを含む推敲、「こんなものしか書けないのか自分は」という苦悩、「なんで書けねえんだ」という自責などなど、枚挙に暇がありません。とても疲れます。休みたい本能に抗って書いてます。また、例えば一時間に800~1000字くらい進められるとして、一話2500字とすると書くのに三時間もかかります。その時間、僕たちは他の娯楽に興じることも、働いてお金を得ることも出来ません。時間は貴重です。東京の最低賃金で換算すれば3000円くらい損してます。機会費用というヤツです。恐ろしい。余談ですが、機会費用という概念を知ってしまった後、人生の面白みがなんだか三分の一ほど減ってしまった気がします。あと、いくら趣味でやってると言っても、せっかく書いているのに読まれなければちょっと辛いです。星1を喰らうとクるものがあります。否定的な感想をもらうとタヒにたくなります。

 一方で、コストばかりが嵩むわけでもありません。執筆には何物にも代え難い喜びがあります。文字を書く没入感は酔いしれて心地よく、現世の辛さを一時だけでも忘れられます。夢を描く全能感と、物語を紡ぐ特別感も素晴らしい。自分にとって足りないもの、例えば愛などを描写すれば、なんとなく飢えを満たした気分になります。章を結んだだけでも大きな達成感があります。読まれればなおよし。星5を入れられればもっとよし。肯定的感想はもはや麻薬。いつか読まれるかも、ひょっとすると書籍化するかもと妄想するだけで嬉しい。書くほど、書き続けるほど、読まれる確率も書籍化する確率も少しずつ上がっていきます。別に下手でも良いんです。自己満足で構いません。素人の作品は、読者とのサイレントバッドコミュニケーションの積み重ねで味が出るってもんです。僕はそう信じてる。

 少し熱くなってしまいました。クレバーになりましょう。

 ここまで、執筆に伴う費用と便益の源を色々と列挙してみました。費用と便益を定義出来れば、それらを数値化することで、両者を比較出来ます。この作業は費用便益分析と呼ばれたりします。上に挙げた例などにより発生する感情の動きはすべて、正負のある数に直すことが出来ると仮定しましょう。費用にはマイナスの感情、便益にはプラスの感情が湧き上がると考えれば、それほどおかしい考え方ではないはずです。一日Q字だけ書くとC(Q)の費用、B(Q)だけの便益がもたらされるとしましょうか(執筆の負担と満足は文字数のみで表されるものではないとは分かっていますが、文字数以外の要素は作者さん一人一人の個性で異なってくると考えられ、入れると考察が非常に複雑になります。よって単純化のためにこうします)。つまり一話2500字書くと、C(2500)の費用と、B(2500)の便益が生じます。純便益はB(2500)−C(2500)。これがゼロよりも大きければ、作者は一日2500字は書いてもいいと感じることになります。逆にゼロよりも小さければ、作者は一日2500字書くのに乗り気ではないということになります。

 文字数が増えれば増えるほど、頭は麻痺し執筆時間は増していくので、費用は増え便益は減ります。よって純便益がゼロを下回る可能性が高くなります。費用の増え幅・便益の減り幅は、文字数が大きくなるごとにどんどん上昇していきます。まだ500字しか書いていない時と、すでに5000字書いた時の自分を比べてみてください。さらに追加のシーンを入れるとなると、後者は「もう勘弁して」となっているケースが多いと思われます(ごく稀にランナーズハイ的な現象が起き、5000字でもまだまだイケる! となる日もありますが)。


◯第二節:「誰がどのくらい書けるか」


 第一節では、執筆による費用と便益の構造について考えてみました。次に、この構造の下で、「誰がどのくらい」小説を書けるかについて見てみましょう。

 費用C(Q)と便益B(Q)は、それぞれ「あるまとまった文字数」に対する数値です。これらの数値は、文字数Qに対しての純便益(B(Q)−C(Q))は教えてくれますが、しかしどの文字数がこの純便益を最大にするのか、という非常に重要な問いについては、そのままでは分かりません(グラフを書けば大体予想がつきますけれども)。この問いを探るためには、慣れていない人にとっては少し奇妙な思考を展開する必要があります。

 費用も便益も、どちらも一文字一文字追加して書いていくことにより累積した感情の動きの、最終的な着地点を表します。ある作者Aさんはすでにq文字書いていたとしましょう。この時、費用はC(q)、便益はB(q)の位置にAさんの心があります。さて、プラスして一文字書きました。Aさんの心は、費用C(q+1)、便益B(q+1)の地点に移動します。感情の新たな動きは、マイナス面ではC(q+1)−C(q)、プラス面ではB(q+1)−B(q)となります。

 仮にC(q+1)−C(q)よりもB(q+1)−B(q)の方が大きかったとしましょう。すると、今の文字数qから新たに一文字増やす方がAさんにとって得です。便益の増分が費用の増分を上回っているからです。逆にB(q+1)−B(q)よりもC(q+1)−C(q)の方が大きいとすると、費用の増分が便益の増分を上回っているため、これ以上文字を増やさない方がAさんにとって得になります。すなわち、ちょうどC(q+1)−C(q)がB(q+1)−B(q)を上回ったq文字で、Aさんは一日の執筆を終えます(恐らく現実のAさんは、このqに近いキリの良いところで執筆作業をやめます)。

 例を示します。アルファベットに「^2」と付けた場合、そのアルファベットの「二乗」と解釈してください。Q文字書いた時、Aさんは費用として


C(Q)=500+0.001Q^2、


便益として


B(Q)=1000+10Q−0.001Q^2


だけ感じるとしましょう。つまり、100文字書くと


費用:C(100)=500+0.001×100^2=510、

便益:B(100)=1000+10×100−0.001×100^2=1990


だけ、1000文字書くと


費用:C(100)=500+0.001×1000^2=1500、

便益:B(100)=1000+10×1000−0.001×1000^2=10000


だけ感情にマイナス(費用)とプラス(便益)の動きが生じます。分かりにくければ、「Aさんにとっては、100文字書けば実質的に、510円取られるも1990円貰えるのと同じ」なのだと捉えてください。0文字、つまり今日はまだ執筆を行っていない段階で費用便益ともにゼロでないのは(C(0)=500かつB(0)=1000)、なろう作家のAさんが、書き始める前からワクワクしている一方、まず最初の一文字を書くのに苦労するタイプであるという性質を表しています。

 Aさんの費用と便益が以上のように表される時、肝心の「一文字追加で書いた時の感情のジャンプ」はどのようになるでしょうか。面倒ですが、単純にC(Q+1)−C(Q)とB(Q+1)−B(Q)を計算すれば導けます。やってみると


C(Q+1)−C(Q)=0.001(2Q+1)、

B(Q+1)−B(Q)=10−0.001(2Q+1)


と導けます。Q=0、つまり書き始める前では


C(0+1)−C(0)=0.001(2×0+1)=0.001、

B(0+1)−B(0)=10−0.001(2×0+1)=9.999


と、プラス方面での感情ジャンプが大きいです。その後一文字二文字……と書いていく間、しばらく


C(Q+1)−C(Q)<B(Q+1)−B(Q)


という状態が続きます。しかし、Q=2500、つまり2500字書いた辺りで


C(2500)−C(2499)<B(2500)−B(2499)


から


C(2501)−C(2500)>B(2501)−B(2500)


と不等号の向きが逆転します。2500字書いた時点で、新たに一文字追加する費用が、その便益を上回るのです。Aさんは「もういいや」となり、キリの良いところでその日は締めます。

 少し数字をいじってみましょう。便益について、Aさんの


B(Q)=1000+10Q−0.001Q^2


から


B(Q)=1000+20Q−0.001Q^2


に変えてみます。文字を書くのがAさんよりも楽しいというタイプです。すると、不等号の逆転が起こるのは5000字書いた時点となります。Aさんの2500字よりも多く書けています。

 今度は、Aさんの便益


B(Q)=1000+10Q−0.001Q^2


から


B(Q)=1000+10Q−0.01Q^2


に変えてみましょう。Q^2に係る数について、小数点以降のゼロが一つ減りました。これは、持続して書くのがAさんよりも苦しいというタイプです。不等号の逆転が発生するのは455文字書いた時点。Aさんよりもだいぶ少なくなってしまいました。

 また、Aさんが修練を積んだことで、執筆の効率化が進んだ場合を考えてみましょう。この時、費用が


C(Q)=500+0.001Q^2


から


C(Q)=500+0.0001Q^2


に変わりました。Q^2に係る数について、小数点以降のゼロが一つ増えております。すると、不等号の逆転が発生するの、は4545文字書いた時点となります。圧倒的成長です。

 以上で考察したAさんとその他は、一日にちゃんとまとまった文字数が書ける人です。が、世の中そういう人たちばかりかと言われれば、残念ながら違うと言わざるを得ません。ではいったい、どんな人たちが書けないのでしょうか。

 Aさんとは別の、XさんとYさんを登場させます。Xさんの費用と便益は以下のようになっています。


C(Q)=500+Q^2、

B(Q)=1000+Q−Q^2


すなわち、Aさんよりも執筆の効率性が悪く、文字を書くのに魅力を感じずかつ少ない喜びの持続も短いタイプです。新たに一文字書いた時の感情ジャンプは


C(Q+1)−C(Q)=2Q+1、

B(Q+1)−B(Q)=1−(2Q+1)


となります。下から上を引いてみましょう。すると、


[B(Q+1)−B(Q)]−[C(Q+1)−C(Q)]=1−2(2Q+1)=−1−4Q<0


を得ます。これは、0以上のすべてのQでマイナスの値を取ります。つまりずっと


C(Q+1)−C(Q)>B(Q+1)−B(Q)


なのです。最初の一文字から、すでに得られる便益よりも被る費用の方が大きい。ゆえにXさんは執筆しません。

 一方、Yさんの費用と便益は


C(Q)=3000+0.001Q^2、

B(Q)=10Q−0.009Q^2


となっています。Aさんと比べると、最初の一文字を書き始めるのにめちゃくちゃ苦労し、書き始める前に特にワクワクは感じず、喜びの持続も低い(これもXさんよりマシ)です。感情ジャンプを計算すると、500字の時点で不等号が逆転します。Xさんと違って、一文字さらに書く事による追加的な便益は、その追加的費用をしばらく上回っています。だから執筆するのかと言われると、答えは「No」です。なぜでしょうか。純便益B(Q)−C(Q)を計算してみましょう。


B(Q)−C(Q)=−0.01Q^2+10Q−3000=−0.01(Q−500)^2−500<0


です(数の二乗は常にゼロ以上なので)。執筆することによる便益が、常に費用を下回っています。Yさんは、そもそも執筆で得しないタイプの人なのです。よって書かないというわけです。すべてのQでB(Q)−C(Q)がゼロを下回る人は、最初から筆を取りません。

 以上から、小説を書く人に共通する特徴が分かります。それは、


(i)少なくともある文字数で執筆の純便益がゼロ以上

(ii)ある文字数までは、一文字追加するごとのプラス側の感情ジャンプが、マイナス側の感情ジャンプよりも大きい


の二つです(突き詰めればもっと細かい条件を出せますが、面倒かつ無意味なのでやめておきます)。この二つを満たし、なおかつ


・執筆の効率性が高く、

・文字を書くのが楽しく、

・執筆の喜びが大きい


ような作者さんほどより多産となります。

 当たり前と思われたでしょう? しかし、「書くためのモチベーションをどう保てばいいのか」「どうすればたくさん書けるのか」を語る際に、上の「当たり前」を念頭に置かれている方は非常に少ないと感じます。心の構造は、「とにかく書け」と他人に言われて変わるものでしょうか。僕はそうは思いません。

 書く量を増やすためには、心のありようを変えるための、「とにかく書く」というド根性以外のアプローチが必要になります。次節では、それを言葉で探ります。


◯第三節:書く喜びを深く知る


 小説を書くモチベが保たれる条件、たくさん書く人の特徴はすでに記しました。この節では、書き続けるため、より多く書くために必要と考えられる日常的な試みについて見たのち、「便益への鈍感さ」が起こす執筆の不具合について触れたいと思います。

 本題に入る前に注意しておきたい点は、「費用構造の方については、残念ながら一朝一夕ではそう変えられない」ということです。執筆の効率化には相応の訓練が必要ですし、書く時間に伴う個々人の機会費用は、通常ほとんど変わらないでしょう。もちろん、機会費用を認識しなければ心で感じるマイナスは減ると思いますが、だからと言って、無理して機会費用を意識から外すと生きるのが下手になるので、あまりオススメは致しません。よって以下では、心の持ち方で改善が見込まれる可能性が高い、便益の方へと注目します。


*「一文でもいいから書き続ける」というステージに乗る

 小説においては、文字を書かないで物語を紡ぐのはさすがに無理があります。己の「無」は己にしか価値がなく、空白で以って「俺の物語だ」と主張しても他人には分かりません。何か書かなければ、自分の作り上げた世界を他者に伝えるのは不可能です。そしてそれは、十文字や百文字で終わるものではないのが普通です。書き続けなければ、十分に意味を持たせてあげられません。少しずつ、一文ずつでもコツコツ溜めていくのが大事です。

 とはいえ、「書き続ける」のは非常に難しいことです。最初は書けたのに。だんだん書けなくなって、ついにはやめてしまう。「時間がなくなった」はどうにも出来ませんが、時間があるにもかかわらず書けなくなったという人もそれなりに見ます。なぜでしょう。個々に理由があると思います。すべてに言及するのは無理です。しかし、何らかの理由で「書く前のワクワクがなくなった」or「文字を書くのが楽しくなくなった」という共通点があるのではないか、と上で扱ったモデルから予測を立てることが出来ます。

 第二節のYさんに、再びご登場願いましょう。実はYさんは、最初は書けている人でした。書き始めるのは確かに大変だったのですが、自分の生み出したキャラクターに愛着があり、今日はどういう風に動くのだろうと、毎日楽しみに出来ていたのです。感動的な最終回も思い描けていました。また、書いたら読んでもらえないかな、あわよくば書籍化しないかなという期待もありました。元々の便益はこうでした。


B(Q)= [1000] + 10Q−0.009Q^2


[・]で囲った部分が、現在のYさんとの違いです(第二節では、[・]内は0でした)。B(0)=1000で、文字を書く前からワクワクしています。そして、毎日約500字ずつ書き、一話おおよそ2500字、大体五日に一回のペースで更新していました。

 が、「小説家になろう」という場所は、後ろ盾なき無名の人間が五日に一回のペースで更新して読まれるような、甘い世界ではありません(僕も最近は一日一回更新することが多いのですが、全然読まれません。『寄奇怪解』ってタイトルの面白い妖怪モノなんですけど。端的に言って読んでください)。一年経っても読者がつかず、その間、Yさんのやる気はだんだん減っていきました。読まれる期待とともに、キャラへの愛着も消えていきます。ついには、かつてあったはずの、書く前のワクワク感が無くなりました。結果として「条件(i):少なくともある文字数で執筆の純便益がゼロ以上」を満たさなくなり、Yさんは書くのをやめたのです。

 あくまでフィクションですが、いかにもありそうな話です。もしかするとXさんも、小説内の表現を感想欄やツ◯ッターでバカにされ、文字を書く楽しさが減り、「条件(ii):ある文字数までは、一文字追加するごとのプラス側の感情ジャンプが、マイナス側の感情ジャンプよりも大きい」が満たされなくなったのかもしれません。書く前のワクワク感や文字を書く楽しさに形なんてありませんから、ちょっとした理由で壊れてしまってもおかしくありません。加えて、意識して保つ以上の対策が取れない厄介なものです。これらを維持するに「絶対にこう!」と言える一つの画期的方策はなく、個々の特性により個々に適したプランがあります。が、同じ人間ですので、モチベの上がる事象には、ある程度の共通項があるはずなのです。もちろん完全ではありませんが、これを読んでくださっている皆さんにも当てはまりそうな(多分……きっと。恐らく)、いくつかの大雑把な方針を示したいと思います。

 書く前のワクワク感を掻き立てるには、「面白い作品を見て、特に気に入った部分を絶対に真似してやると心に決める」といいです。(実際に出来上がるものはともかく)将来自分を感動させた名シーンが、いくらか形が変わっても自分の手で再現されると想像するのは、とても高揚するモノです。「終わりのシーンを常に妄想する」のもいいです。達成感の先取りです。生み出したキャラの行き着く先には、どんなバッドエンドでも誇らしく感じませんか? また、「何をするか分からないキャラ」を入れてみるのもありかもしれません。ワン◯ースのル◯ィとか、ハ◯ター×ハ◯ターのヒ◯カとか、か◯や様は告ら◯たいの藤◯千花とか、ウ◯娘のゴール◯シップとかを参考に。ボー◯ボは行き過ぎですけれど、ああいう類のクレイジーキャラは予想を覆してくるとあらかじめ分かっているので、書く前から楽しくなります。

 逆に、自分に扱い切れる以上の謎を入れるのはやめた方がいいです。義務感で書くのも良くないです。書く前から憂鬱になります。加えて、もし精神的疾患により強制的にワクワク感が減らされているならば、素直に精神科を受診し、きちんと薬を処方してもらうべきです。

 文字を書く楽しみを上げるには、「縛り」行動が有効です。例えば僕の場合は、イマイチ筆が乗らない時も、最初の一文書けたら漫画一話読む(またはツ◯ッター見る)、次は二文書けたら、その次は三文書けたら……と繰り返すと、初めの数回で脳が集中モードに切り替わります。「縛り」には、他にもたくさん種類があると思います。とにかく、文字を書く=報酬が与えられると脳に覚え込ませれば良いのです。すると、小説に文字を追加するごとのプラス側の感情ジャンプが高くなり、条件(ii)を満たせる可能性が高まります。


*書く量を増やす

 「一文でもいいから書き続ける」というステージに乗れ、少しずつでも書き溜めていけるなら、それはとても素晴らしいことです。心から称賛します。しかし一方で、数多の作品が跋扈する世の中ですから、外に出すスピードが遅ければすぐ忘れられてしまうのも確か。人の目に触れる機会を少しでも増やしたければ、執筆量を増やし、更新頻度を高めなければなりません。

 この方法については、正直僕が教えて欲しいくらいですけれども、第二節の例から「文字を書く楽しさを増やす」「執筆に伴う喜びの持続力を大きくする」ことが大事だと分かります。例えば、ツ◯ッターでは「セリフを先に書いてしまう」ことを勧める方々がいらっしゃいます。これは非常に有効だと感じます。一つ一つのセリフの橋渡しはとてもパズル的で、文章を紡ぐのに知的な喜びが生まれるから、また「ここまでやる」という目標を作りやすく、ゆえに飽きにくくなるからです。


*便益に対する鈍感さ

 ラノベ、というかラブコメの世界では、「鈍感さ」が美徳として書かれていることが多い気がします。異性からの好意に気づかない、あるいは、薄々気がついていても本当に好かれているか自信がない。まあ、好意を抱かれているかどうかも分からないのにガツガツ行くパッパラパーが嫌いなのは非常に共感出来ますけれども、しかし現実では、鈍くて得する機会はそう多くありません。ここぞというチャンスをバンバン逃しますし、もっとやっとくべきなのに中途半端で終わらせてしまいがちになるからです。僕の周りにも、「大学でもっと勉強すべきだった」と後悔する同期は結構います。ツ◯ッターは「もっと青春を謳歌すべきだった」とグチグチ言いまくる、鈍い奴らの温床です。僕もその一人。嗚呼青春。

 執筆でも、やはり便益に対する鈍さはマイナスにしかなりません。第二節のAさんを召喚します。彼は本来、便益として


B(Q)=1000+10Q−0.001Q^2


だけ感じます。しかし鈍感さゆえに、その0.7倍しか意識出来なくなってしまったとしましょう。0.7B(Q+1)−0.7B(Q)とC(Q+1)−C(Q)の間の不等号は、2059文字書いたところで入れ替わります。元は2500字書けていたのに、約二割減ってしまいました。書く喜びを正しく意識出来ていないために、Aさんは自分のポテンシャルを発揮しきれていません。とてももったいないことです。

 だから、執筆によるプラス感情をよく噛み締めた方がいいです(便益を過大評価している分には特に問題なし? 本エッセイの視座を超えます)。そうは言っても、実際にお金が入ってくるわけじゃありませんから、どうしても朧げになっちゃいます。ネガティブな人は便益を過小評価しがちです。費用の方を過大評価することもあります。どうすれば、書く喜びをしっかり捉えられるのでしょうか。

 一つには、別に四六時中でなくてもいいので、「書く喜び」という概念自体をはっきりと持つことです。棚があれば本を整理出来るため、読書の効用を意識しやすい環境を作れる一方、棚がなければ本は床に乱雑に積まれる羽目になり、読書という行為は意識外に追いやられることが多くなります。それと一緒です。プラス感情を入れる空想上の箱がなければ、執筆中は喜びに満ち溢れていても、後で振り返った時には1、2のポカンで忘れてしまいます。三歩進んだ鶏にならぬよう、喜びをストック出来るメモリはいつでも用意しておきましょう。執筆だけに限らず。

 「書く喜び」を具体的に並べてみるのも素晴らしいです。例えば僕なら、

・没頭出来て楽しい

・脳内の嫌なモヤモヤがなくなる

・自分に足りないものを主人公に持たせると仮初の満足感が得られる

・キャラに癒される

・読まれる確率が増える

・自己満足で笑える

・書く前には思いもつかなかったネタに、自分の大いなる可能性を感じる

などなどです。「なぜ自分は書いているのか」という理由を突き止めてください。便益構造がクリアになり、なんとなくで今日は書く量を減らす、明日明後日と減っていく、ということが起きにくくなると思います。言語化は、確固とした自我の形成に非常に重要なプロセスです。自分が何に喜び何に悲しむのかを知ると、執筆のみならず、人生に意味を与えやすくなります。このプロセスを経ずに夢や目標を決めるのは、はっきり言って間違いです。先にゴールを定めて進むと、よほど運が良くなければ、人生は狂っちまいます。執筆の目的が書籍化ただ一つであるアカウントは、まあだんだんと壊れていってます。逆に、自分の特性を知った上で「夢や目標を持たずに流されるまま書こう/生きよう」、あるいは「書くのはきっぱりやめよう/別の生きる場所を見つけよう」と決めるならば、それはとても立派な選択だと思います。惰性でも撤退でもなんでも、楽しくやるのが一番ですからね。


◯結論


 このエッセイでは、簡単な数理モデルを用いて、人が執筆するための条件を見たのち、得られた結果を元に、執筆のモチベを保つ・より多く書くための大まかな方針を示しました。大事なのは、根性論で終わらずに、「書く前のワクワク感を保つ・高める」「文章を楽しく書く」「文章を書く喜びを維持する」「執筆の喜びをちゃんと意識する」ための工夫を怠らないことです。示したのはあくまで方針であり、人には人の、それぞれに合うやり方があると明記しておきます。

 また、このエッセイの数理モデルでは考えられていない要素は数多くあります。例えば、昨日書き過ぎたせいで脳が疲労し、今日は上手く書けないという動学的な要素は考慮していません。より現実に近づけるためには、執筆活動以外の消費や労働もモデルに入れた方がいいです。また、小説ではテーマ選び(異世界転生やラブコメ、ミステリーなど)も非常に重要ですが、それについての考察もまったくしておりません。前者は動的計画法、後者はゲーム理論(テーマ選びには他の作者や読者の反応も重要になります)による分析が必要となり、エッセイのレベルを超えます。興味のある人は、ぜひ経済学の世界に足を踏み入れてみてください。


感想等もらえればとても嬉しいです。「数式への解説をもうちょっと詳細に行って欲しい(多くの読者にとってはあまりにも馴染みがないだろうとあえて入れませんでした)」等の要望や、「執筆を楽しくする・書く量を増やすのにもっといい方法がある」等の提案がある方も、ぜひお書きください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 正直に言おうっ! 数式部分がよくわからなかったっ! と。 でも執筆を応援しようとする情熱は伝わってきました。 [一言] アドバイスは「とにかく書け」じゃなくて「とにかく書く」だと思います…
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