真相は異世界の森の中
異世界転生ものの純文学です。
A 1/2
貴女が目を覚ますと、緑でいっぱいでした。一面の緑。木々、いや、森というのに相応しく、空気が澄んでいるのかどこか安心感の感じさせます。
様々な色の緑色に目を奪われますが、直ぐにここが自分の知らない世界であることを唐突に理解するでしょう。
そして、先ほどまで家にいたということを思い出し、外に出ても大丈夫な格好だったか気になった貴女が自分が裸足であることを自覚した時、ソレは突然現れました。
大きな、大きなソレは貴女の身長をはるかに超える大きさで、ぎょろりとした大きな目に貴女をいともたやすく丸呑みに出来そうな口、貴方の腕よりも大きな太さの指を持つ、巨人です。
その巨人は貴女の目の前まで迫り、何を言っているのか分からない言葉を咆哮して右手を貴女に伸ばしました。
D
異世界から来たのなら、森の番人を頼ると良い。
異世界のことを思い出したのなら、森の番人を頼ると良い。
この世界が生きづらいのなら、森の番人を頼ると良い。
森の番人は優しい番人。きっと君の力になる。
森の番人は強い番人。きっと君を守ってくれる。
森の番人は世界の番人。彼が居ない世界なんてありえない!
B
あるところに、それはそれは横暴で王族最低最悪と言われる暴虐無慈悲な王様がおりました。
昼まで寝ている王様を起こしてしまわぬようにと、王城から離れているのにもかかわらず王都の民は昼頃から仕事を始めるくらいに畏怖しておりました。
王様のお蔭で王都は発展を遂げ活気を得ているので、機嫌を損ねたからと民の首を容赦なく撥ねる王様に、誰も文句は言えませんでした。
ある時、王様は普段は目に留めもしない郊外に目をつけました。
王都から離れた小さな村々は今まで大した接点もなく存在していましたが、近年ある一つの共通点が出来ていることに気づいたのです。
それは、宗教でした。
この国には珍しく宗教がありません。信仰するならば王を信仰せよ、という方針でしたので。
しかし、厳しく取り締まっているわけではありません。
なので気付けば同じ宗教の教会が郊外全ての村に建っておりました。
これは厄介だと王様は急いで宗教の撤廃を求め、教会から一人代表者を王城に連れてくるように命じました。
そうして、やってきたのは一人のシスターでした。
この国には無い瞳の色でしたので、王様は直ぐにシスターが異世界の者で、生贄に差し出されたのだと分かりました。
それならば、お望みどおりに見せしめに首を斬ってやろう。
王様が剣に手をかけ、胸の前で手を組む哀れなシスターの首を撥ねようとしたところです。
シスターはか細い口を開きました。
「懺悔を一つ、聞いていただけませんか?」
と。
人々の懺悔を聞いて神に祈ってきたシスターが、無為に人を殺める王様に懺悔をするというのです。
王様はそれだけで面白くなり、口を開く許可を与えました。
「私に記憶力があればこの物語を千夜一夜物語のように美しく彩らせることも出来たでしょうに、申し訳ございません。大して面白くもない話になります。面白いおとぎ話ではない、ただの実話ですので面白くなりようがないのでございます。
それでもどうか、ご清聴くださいませ」
「お前のような薄汚い娘に面白い話など何も期待してはいない」
シスターは「そうですか」と与えられた水を一口飲み、ぽつりと口をこぼしました。
「私は、人を殺めたことがあります」
「ほう? 誰を殺した?」
H
森の番人は死んでしまった。
もう誰も元の世界に戻れない。
あんなに優しい人はいない。
森の番人を殺したのはきっと悪魔だ
G
バレなかった。だから大丈夫。怒られもしなかった。
人を殺してしまったけれど、私だって殺したくて殺したわけじゃない。
だって、怖かったんだもの。起きたらいきなり知らない土地で、私のことを簡単に転がしてしまえそうな大男が居たんですもの。
怖くて怖くて、彼が後ろを向いている間に手ごろな凶器を持って殴りつけても仕方ない。
仕方なかった。そう、仕方がなかった。
天は、そう判断した。
だから、私は罪を与えられなかったの。
B
「同じシスターか? 教会の連中か? 他の修道院? 魔導士の連中か? ああ、それとも天罰を防ぐためにと言って出来損ないの村人でも殺したのか?」
「いいえ、いいえ。私がシスターになる前のことでございます」
「ほう? 人殺しでもシスターになれるのか。随分と素敵な宗教なのだろうな。それとも、バレたから此処に生贄に向かわされたのか?」
「いいえ。違うのです。誰も私が殺したと知らないのです。
人々は誰も私が人を殺めたことを知らずに懺悔をして許しを請うのです」
「アッハッハッハ! これは愉快! シスター様は一体誰を殺したんだ?」
「そう、期待なされましても面白い話ではございませんので、当てることなど不可能かと」
「不可能と? 笑わせる。その時点で十分面白い。誇るがいい、人殺しの聖女よ。そうさなぁ、まずありきたりなところから行こうか。郊外の民が殺すとしたら、家族だ」
「いいえ」
「ならば売られでもしたか? 売られた先か、仕事先の人間か」
「いいえ」
「それならば痴情のもつれだろうな。婚約者か恋人か……まあ、どちらでもいい。そのような男、もしくはお前から男を奪った女か? ともかく、恋愛沙汰であろう」
「いいえ」
「ふむ。なるほど大口を叩けるだけはある。お前のような郊外の田舎者が誰に恨みを持っていて誰を殺したいかなぞ此処から出たことのない俺が分かるわけもないと言ったところか?」
「……いいえ。誰にも分らないことと思います。こうして私が口にしたとして、事実であるとは誰も思わないでしょう」
「そうであろうとも。現に俺もまた疑っておるしな。しかし、虫すら殺せぬような大聖女様が人殺しである方が面白い。神の供物であるかのように純粋で素朴な前が人を殺すほどの心を持っているなど誰も思わないだろう」
「そのような深い話でもないのです。私は、特に大きな理由もなく殺したのですから」
「理由がない、と?」
「はい。殺しの中でも最も禁忌であると言えましょう」
「そうであろう。俺ですら、理由もなく人を殺しはせん」
「ええ。分かっております。だからこそ今日この日まで神に懺悔をしたことはありません。頑なに口を閉じておりました」
「私はただ怖いという理由だけで名前も知らぬ大男を殺めてしまいましたことを此処に懺悔いたします」
E
私は、お気づきの通りこの世界の人間ではありません。気付いたらこの世界に居ました。
そういうのはよくあると伺いました。ええ、陛下のご存じの通りです。
しかしそれが常識となったのは数年前ではございませんか?
実は突然異世界人が増えたのではありません。今までも、あったのです。
ただ、今までは直ぐに返されていただけなのです。正されていた、だけなのです。
突然トリップしてくる異世界人は元の世界に。
前世の記憶を取り戻してしまったこの世界の人々は前世を忘れるように。
これを行っていた者が居ました。
異世界からくる人間は必ずこの泉に来るからと、見つけて保護して帰還する術を教えてくれる心優しい大男が居ました。
彼は、森の番人と呼ばれておりました。
全て、森の番人の善意でこの世界の秩序は守られ、異世界の人間もまた守られていたのです。
しかし、今のこの世界はそうではない。
ええ、もうお気づきのことでしょう。
私が、殺めたのはその大男です。
異世界に来て直ぐ、私は碌な話も聞かずに大男を、森の番人を殺しました。
直ぐに逃げ出しましたが、いずれ罰されることは理解していました。人を殺したら罰せられる世界に居ましたので、私も直ぐに捕まり罪を償うように罰を与えられると思っておりました。
しかし、バレなかったのです。
殺されていたことはみんな知っています。ですが、私を疑う人は誰もいませんでした。
私は、罰を与えられなかったのです。
罪を、償うことすら許されなかったのです。
F
そして、私が一体どんな人を殺めたのか、その事実が本当の意味で重くのしかかったのはシスターになる前の一昨年になります。
私は村の商人に養子として迎え入れられ、不自由なく暮らして居たある日のことです。
婚約者がカミングアウトをしたのです。
自分は異世界から来たもので、森の番人から帰る術を教わるのを断り、このままこの世界にとどまったのだと。
森の番人にお礼を言いたい人はたくさんいる。君もその一人だろう?
命日に、助けてもらった人たちで集まるそうです。忘れてしまった人たちの分まで。
私はそこで初めて自分が殺してしまった大男の人となりを知りました。
自分のしでかしてしまった大きな罪の前に、流す権利もない涙を流して。婚約を断り、シスターになったのです。
J
でもおかしいよ。
とってもとっても小柄なシスター。非力で巻き割りすらできないシスター。
この子がどうやってあんなに大きな森の番人を殺したの?
頭を殴って殺した?いやいやどうやって二倍くらいある背丈の大男の頭を殴れるんだい?
長い長い木の棒を森の番人にばれないように小柄なシスターが振りかぶれると思うのかい?
それなら刺して殺したんだ。
現場は森だ。刺して殺せるものなんかあるもんか。
じゃあどうやってシスターは彼を殺したの?
どうやってなんて関係ないよ。彼女は悪魔で、森の番人を殺したんだ。
それだけさ。
I
「どうして、殺した?」
「申し上げたではございませんか。怖かったのです」
とても。怖かったのです。
私は恐怖から聞く耳を持たずに彼を殺めました。
「怖いから殺した、というのは理由としては欠けていると理解しております。だから、理由もなく、名も知らぬ人を殺したということになります」
「本当にお前が殺したのか?」
「はい。間違いなく殺したのは私です」
陛下よりも大罪人ですね。とシスターは目を伏せた。
A 2/2
目の前の巨漢が崩れ落ちた。
そうして、あたりは恐ろしく静かになった。
はぁ、はぁ、と上擦るのは私の呼吸の音。
ばくばくどくどく忙しない血流の音は私の心臓の音。
どれだけ耳をすませても目の前の巨漢の男の音はしない。
肩で息をしているせいで私だけが揺れていて、目の前の男の胸は微動だにしていないし、開ききった瞳孔はピクリともしない。
ああ、私。人を殺してしまったの。
唐突にそれを完全に理解してしまって。膝をつく。
手から滑り落ちた凶器が固い地面に吸い込まれてカランと音を響かせた。
とても、静かになった。
まるで、心臓に重石を置かれたように私の鼓動な実に大人しくなり、
ただ、もう怯えなくてもいいという事実だけが私の心の中で鈍く光り輝いていた。
「それでは、最後に問うておこうか。お前はどうして涙を流したのか。本当の理由を聞かせてくれればその命を見逃すことも考えてやる」
「……あまり、藪の中をつつくものではありませんよ」
死ぬのは試したことがなかったので、これで元の世界に帰れるかもしれませんね。