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夏の風に馳せて

作者: 聖心秒

夏、少し長めの休暇を貰った。

最低限の荷物だけで、私は出かけた。


東京を離れ、行く宛もなく電車を乗り継ぎ、景色は銀から緑に変わっていく。

理由はない。ただ、なんとなくで降りた場所は廃れた無人駅。

初めて来る場所ではあるが、どこか懐かしさを感じる。

都会では常に平淡だった心が弾むのが自分でも分かった。


ホームを出て空を見上げれば、小さな雲と水色の空がどこまでも続く。

心地良い風が吹く涼しい夏。

麦わら帽子を深く被り、私は彷徨う事にした。


見渡す限りの緑。遠くにポツポツと古い造りの民家が見える。

畦道に沿って歩いていたらばふと、大きな百葉箱のようなものが道の先にある事に気付いた。


近付いて看板を覗き込む。

「無人販売 どれでも100円」

色鮮やかな野菜が中に並んでいた。


荷物の中に調味料などない。

そのままでも食べられそうなキュウリとトマトを1つずつ買う事にした。

何故か嬉しかった、それだけの理由で1000円をお代の箱の中に入れ、立ち去る。


虫の鳴き声が騒がしいが、この騒がしさは嫌いではない。

都会と違い、人工的な音が一切ないからだろうか。

澄んだ空気と大自然の合唱に包まれながら彷徨う。

腕時計を見ると、ホームを出てから2時間も経過していた。


人気のない、少し開けた草原に着いたので小さな布を頭の下に敷き、寝転んだ。

ゆっくりと、ゆっくりと、雲が動いているのが見える。


キュウリとトマトを齧る。

上手く表現が出来ないが、暖かみを感じる味がした。


食べ終えた後、荷物袋から瓶と水を取り出し飲み込む。

少し太陽が眩しい。麦わら帽子を自分の顔の上に被せる。


現状に何か不満がある訳ではない。

金銭面での苦労も、自分の容姿への不満もない。

心を許せる友人は多くはないが、少なくもないと言ったところか。仕事仲間も、皆素晴らしい人ばかりだ。


けれども、今の自分が欲しいものはどれでもない。

夏になると決まって夢を見る。少年の頃の夢を。


体や頭脳は成長する中、唯一衰退する感性。

何をしても胸が高鳴らない、ただそれだけの事が心を蝕んでいく。


思えば、自分の故郷も一面緑の田舎だった。

鬼ごっこ、虫取り、ザリガニ釣り、少年時代の記憶が蘇る。

心の底から楽しかった。心の底から嬉しかった。


この先、この心の渇きが潤う事はないだろう。

無邪気で純粋な感性はいつの間にか失くしてしまった。

昔を懐かしみ、藻掻く事しか今の自分には出来ない。


瞼が重い。

また、夢の中で少年に戻りたい。醒めない事を願って。





顔に被さる麦わら帽子が夏の風に運ばれた。

男の寝顔は優しい笑みを浮かべている。


ゆっくりと、ゆっくりと、雲は動き続ける。

男は、動かない。

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