夢見るアロマランプ①
「キリネ、買い物行くよ」
「はーい!」
サイが呼び掛けるととびきり元気のいい返事が聞こえた。
今日は定休日。『close』の看板を二つの出入り口にかけると、こちら側用の扉を少しだけ開いてサイはキリネを待つ。
「いってくるねー」
キリネは何かにそう言うとパタパタとサイの方へ走っていった。
そのキリネの後方を見渡しても誰がいるわけでも何がいるわけでもない。キリネは一体何に話しかけていたのだろうか。
「ん? マグカップさんたちだよ! お留守番してもらうからご挨拶してきたの」
問うとキリネはどや顔でそう言った。なるほど、確かにキリネが話し掛けた方向には商品棚があり、そこにはマグカップを筆頭とした商品たちが並んでいる。
だが、いくら人間が生きていた頃の記憶を宿しているからといって、その商品たちが何かを語るわけではない。何をするわけでもない。挨拶をするような存在ではないとサイは認識している。
しかしまあ、置き方一つをとっても並々ならぬ情熱を注いだキリネのことだ。きっと、何か別の考え方があるのだろう。サイはそう結論付けて考えるのをやめた。
「おっかいっものー、おっかいっものー」
サイと手を繋ぐと、キリネは上機嫌そうに歌い始めた。それもそのはず。今から買いにいくのはキリネの服なのだから。
事の発端は、この前三人であちら側の世界にいって帰ってきたあとのこと。
「はァ!? キリネちゃんの服、着物かパジャマの二択なのォ!? 有り得ない、本ッ当に有り得ない!」
キリネとの生活のあれこれを根掘り葉掘り聞いた直後、キリネの衣服について聞いたジェンヌはそう叫んだ。耳が壊れんばかりの声量だった。
「仕方無いわねェ! 買いにいくわよ、キリネちゃんの服。ついでにアンタの服もいい加減買いなさいよ。どうせいつものその服と、ずっと前に私があげた服しか持ってないんでしょ? いい? 絶対に来なさいよ。来なかったらどうなるか分かってるわよね?」
まくし立てるようにジェンヌはそう言って、「でも」も「だって」も言う暇を一切与えずに約束を取り付けたのだった。
そして今日がその約束の日。
流石にいつもの服装だと殴られるだろうと考えたサイは、ジェンヌにずっと前に貰った服を着ていくことにした。初めて見る格好にキリネが「今日はマスターさんどうしたの?」と本当に不思議そうな顔をしてきたので、なるほど服装を改善した方がいいかもしれないとサイは考え始めていた。
手を繋いで歩くこと十数分。大きな建物が目の前に見えてくる。
「マスターさん! あれなに? あのおっきいとこはなぁに!?」
興味津々に目を輝かせながらキリネが尋ねる。そんなキリネがとても微笑ましくて、思わず笑みをこぼしてしまいながらサイは「今からいくところだよ」とだけ答えた。
建物の中に入ると、キリネはより一層目を輝かせた。
たくさんの店に、見たこともないものの数々。入り口は吹き抜けになっていて、上にも店があるのが伺える。
今はとりあえず店を見には行かずに、まずはジェンヌとの待ち合わせ場所に向かった。入り口付近は人がたまりやすくとても待ち合わせには向かない為、入り口から少し離れた場所を指定されているのだ。
「いい? キリネ、今から絶対にアタシの手を離したらダメだからね」
「わかった! 絶対にマスターさんにくっついてる!」
キリネが迷子になってしまうことを防止しつつ二人はしっかりと手を繋いでショッピングモール内を歩く。
一階の一番北にある喫茶店。そこにジェンヌはいた。だがジェンヌ一人で居るわけではなく、一緒にオレンジ色の髪をした少女が居る。二人は楽しそうに何かを話ながら喫茶店名物のケーキセットを食べていた。
「あら、ちゃんと来たわね」
やって来た二人に気付くとジェンヌは微笑みながらサイにそう言った。それに対してサイは「流石にね」と目を細めて返す。
「で、なんでアリカも?」
アリカというのはオレンジ色の髪の少女の名前だ。サイに名前を呼ばれると、アリカは少し照れながら笑って「リュウちゃんにお呼ばれしました!」と答えた。ちなみにリュウちゃんとはジェンヌのことだ。
「さっきまでユイトさんの話で盛り上がってたんですよー!」
「へぇ……そりゃあ、懐かしい名前で」
席を立ちながらアリカが言う。サイはそう言うが大して懐かしむ様子はなかった。むしろ、そんなことよりもキリネがキョトンとしているほうが気になったらしく、アリカのことを簡単に紹介する。
「何て言えばいいかな……後輩、みたいな存在って言っても分かんないよね」
「……わかんない」
「んー、まあ、年下の知り合いって感じかな。歌を歌う仕事をしてるんだよ。アリカって名前」
「アリカちゃん」
「そう」
アリカちゃんと呼ばれて「キャーっ」という嬉しそうな悲鳴が上がったのだが、サイはそれを無視してジェンヌに「なんで呼んだの?」と尋ねる。決してアリカのことが嫌いだとか苦手だとかそういうわけではないのだが、彼女は仕事柄なんせ目立つ。買い物に連れていくにはとても不向きだ。
「考えてもみなさいよ。私とサイちゃんで可愛い服をちゃんと見てあげられる?」
「……無理」
「でしょう? だから呼んだのよ」
なるほど、と納得するしかなかった。どう考えても無理だ。方やオネェで、方や私服がツナギの女。女児向けの服は選べないだろう。
キリネが欲しいと言ったものを片っ端から買っていけばそんな問題も解決するかもしれないが、ずっと着物を着続けるキリネが服を欲しいと言い出すようには思えなかった。
「キリネちゃん、今日は私たちがキリネちゃんの欲しいもの何でも買ってあげるわよ!」
どこまでおねだりをしてくれるかは分からないが、それでもジェンヌはそう宣言をする。サイがその言葉の後ろに心の中で「財力の化身みたいなのしかいないからね」と付け加えたがそれはキリネの知る由もないことだ。アイドルとして働くアリカは言わずもがな、回収屋のジェンヌと店を経営するサイもかなりの財力を有しているだなんて七歳の子どもが知るべきではない。
ただただ純粋なキリネは、ジェンヌの言葉に「本当!?」と目を輝かせる。そしてサイと繋いだ手をブンブンと振り回しながらこう言うのだった。
「あのね、あのね! キリネすごく欲しいものある!」
欲しいものをねだるキリネがあまりにも可愛かったからか、ジェンヌはキリネを抱き、サイはジェンヌを先導しながらキリネの欲しいものを取り扱う店へ全速力で向かった。
「ええ……」
幼女を抱えた長身の美人と、片目を包帯で隠した黒髪の美人がショッピングモールを駆け抜ける図というのは中々ドン引きするものがある。お陰でアリカはおいてけぼりだった。
アリカが三人を見つけたのは本屋の中、それも料理本コーナーだった。キリネが指差した本を二人のどちらかが手に取り、表紙を眺めながらあーでもない、こーでもないと言い合っている。
「あらアリカ、どこ行ってたのよ」
そんな中、近付いてきたアリカに気付いたジェンヌがそんなことを言い放った。本当に疑問に思って尋ねているのだからたちが悪い。自分達が走り出したことが悪いとは微塵も思っていないようだった。
色々と言いたいことがあるのは山々だが、そんな様子のジェンヌに何を言っても無駄でしかないと判断したアリカは特に文句は言わずに、代わりに「ここで何をしてるんですか?」と聞く。どうしてレシピ本なんか漁っているのだろうか。今日はキリネの服を買いに来たのではなかっただろうか。
「それは勿論、キリネちゃんが欲しいものを探しに来たのよ」
「あのね、キリネ新しい料理覚えたいの! それでね、マスターさんが食べたいものいっぱい作るんだ!」
疑問に対して返ってきたのは決して答えではなかった。そもそも、キリネとサイの関係性をまだ詳しくは聞いていないアリカにとっては訳のわからない話だった。
分かる筈もないだろう。七歳の子どもがサイの食事の世話をしているだなんてこと。
「キリネ、アタシはこのラーメンが食べてみたい」
「ダメよサイちゃん。キリネちゃんが作れる範囲にしなさいよ。その本にのってるのは筋肉自慢のオジサマよ? 絶対に筋肉がなきゃラーメンは作れないわよ」
「むう……じゃあ、焼き鳥……」
「ちっちゃい子に酒のつまみを作らせようとするんじゃないわよ」
言い合っている理由はよく分かった。サイの要望が片寄りすぎているのだ。キリネが作ると言っているのだから、もっと家庭的な料理から始めるべきだ、とアリカはすぐに感じた。そして、サイが喜ぶことも確かに大切だが、何よりもキリネが食べたいものを作るべきだと、アリカはそう考えた。
「あのねぇ、二人とも何も分かってないですよ。キリネちゃんが作ってくれるって言うんだったらまずはこの辺から……」
そう言いながら手に取ったのはグラタンやハンバーグなど、家庭的なレシピが乗った本。中でも子どもが喜びそうな料理が多くのっていそうなものだった。
一見、一番良い選択だったように思える。だが、アリカの選択はすぐさまバッサリと切り捨てられてしまうことになる。
「キリネ、その本はマスターさんにこの前かってもらったよ」
「ああ。そういえば、マカロニグラタン美味しかったよ」
こんなやり取りを繰り返して、ようやく購入する料理本が決まったのは一時間半後のこと。
結局選ばれたのは、サイが食べたいといったラーメンの作り方が乗った本だった。