キオク色のアイシャドウ②
人っ子一人見当たらない夕暮れ時の町を三人は並んで歩いていた。
実際にはきっと、人や車で溢れているのだろうが、三人はそれを認識することが出来ない。そう、三人が今歩いているのはあちら側の世界だ。
「廃墟は町外れにあるそうよ。この道を真っ直ぐ進めばつくわ」
「うぃ」
「後から追い掛けるから先に行っても良いわよ? キリネちゃんには私がついてるんだし」
「あー、じゃあ頼むわ」
サイはジェンヌとそんなやり取りを交わして、キリネに「行ってくる」とだけ言うと走り始めた。その速度はキリネが思っているよりもずっと速く、背中はみるみるうちに見えなくなっていった。
「なんでマスターさんは先に行っちゃったの?」
ジェンヌと繋いだ手をブンブンと振り回しながらキリネは尋ねた。文句を言うつもりはないが、疑問ではあったらしい。
「乙女にはね、見られたくないものが沢山あるのよ」
ジェンヌはキリネの疑問にこんな答え方をした。果たしてこれでキリネは理解できるのだろうか。恐らく出来ていない。その証拠に、「うーん?」なんて唸りながら彼女は首を捻らせていた。
そんなキリネを微笑ましく見守りながら、ジェンヌは見えなくなったサイのあとをゆっくりと追いかける。きっとこの速度で歩けばサイにたどり着く頃にはすべてが終わっているだろう。
のんびり歩いていると、前方から一人の男が歩いてくるのが見えた。高校生だろうか、彼は制服を身に纏っていた。
あちら側で初めて見た人間に、キリネは戸惑ったようにジェンヌを見上げた。あちら側の人間は見えないはずじゃなかったのか。どうして彼は見えるのか。キリネの中でいくつも疑問が浮かぶ。
だが、ジェンヌは何も言わず、前からやって来る彼に気付きこそしたものの、なにをするわけでもない。歩くスピードも変えずに、真っ直ぐ歩き続けた。
もうすぐ、彼とすれ違う。
「……その時が来たらここに来なさい」
すれ違う一瞬の間に、ジェンヌはそう彼に小声で伝え何かをこっそりと手渡した。それが何なのかはキリネにはわからない。ジェンヌがいた為に、彼がそれに対してどんな反応をしたのかもわからなかった。
「大丈夫、そのうちキリネちゃんにも分かるわよ。半年くらいすればくるんじゃないかしら、彼」
ジェンヌはキリネがなにを思っているのか察している。だからこんな言い方をして、茶目っ気たっぷりに微笑んだのだった。
「ねえ、キリネちゃん」それからジェンヌは話題を変えるために切り出す。「サイちゃんとの暮らしはどうかしら? 楽しい?」
その質問にキリネは即答で「うん!」と答えた。その元気のよさにクスクスと笑いながら「ならよかったわ」とジェンヌは言う。それからこう続けた。
「でもあの子、自分のことなんにも教えてくれないでしょ? 頭の包帯のこととか、なんで転生しないのか、とかね」
頭の包帯については気になっていたものの聞くことができないことだった。だが、転生については思ったこともない疑問だった。
「マスターさんはもう転生できるの?」
記憶を集めなければ人間に転生することはできない。その話はキリネがサイの店に来た日にエイゲンから聞いていた。だから、人間になるためにサイはああして店を開いて記憶を集めているのだと、そう思っていた。
「あら、口が滑っちゃったわね」キリネの問いにジェンヌはそう言うが、表情は確信犯であることを物語っていた。
「サイちゃんはもうとっくに転生できるわよ。でも、理由があってここに留まってるの。もし……そうね、キリネちゃんが出来るなら、サイちゃんがここに留まる理由を終わりにさせてくれる?」
「終わりに……?」
「そう、解決させてくれればいいの。具体的な話は私からはとてもできないから、それはサイちゃんに聞いてくれる?」
キリネは「うん」と頷きこそしたものの、ジェンヌの言わんとしたことの意味をあまり理解してはいないようだった。そのなかでも、とりあえず一度サイと色々な話をしなければならない、というところだけは分かったようだが。
「マスターさんはなんで包帯してるの? 怪我しちゃったの?」
今教えてもらえないことをいつまでも気にしていたって仕方ないので、キリネはジェンヌが言ったもう片方について聞くことにする。こっちも教えてもらえなかったらお手上げだ。サイを質問攻めにするしかない。
キリネはそう考えていたのだが、それは杞憂に終わり、こっちの質問にはジェンヌはあっさりと答えてくれたのだった。
「キリネちゃんが来るずっと前にね、サイちゃんは怪我をさせられたのよ。そのせいで左目が無くなって、それを隠すためにずっとああして包帯をしてるのよ」
「おめめ無くなっちゃったの……?」
「そう、無くなっちゃったのよ。すごく綺麗な色をしていて好きだったんだけどねぇ……」
懐かしむようにジェンヌは言った。
サラッと言われてしまったが、目が無くなったという事実に衝撃を受けたキリネは何も言えなくなってしまっていた。目がなくなる怪我という言葉が頭のなかで渦巻いて、痛みを想像して手足に力が入らなくなる。
それがどうしても怖くて、キリネは必死に別のことを考えようとした。だけどサイの目のことが頭から離れない。
そんなキリネの様子に気付いたジェンヌは、キリネを安心させるためかひょいっとキリネの身体を抱き上げた。それからギュッと抱き締めて、背中を軽く叩きながらキリネの耳元で「大丈夫、怖くないわよ」と優しい声色で囁く。
すると不思議なことに、キリネの中で渦巻いていた恐怖が消えていった。
「サイちゃんの左目はね、お空みたいな色をしていたのよ」
キリネを抱っこしたまま歩きつつジェンヌはそんなことを言った。それに対してキリネは「今のお空みたいな色?」と聞き返す。
今は夕暮れ時。傾いた太陽が空をオレンジ色に照らしつつ、東の低いところは紫色の夜空が顔を出し始めている。
「……ええ、そうよ。夕日みたいな色だったの」
ジェンヌが戸惑った表情を浮かべたのを、抱き抱えられたキリネは知らない。故に、ジェンヌが戸惑った理由も知らない。知るわけがない。『空の色』と言われて普通であれば青色をイメージすることも、キリネにとっては知らないことだ。
「全く……とんでもないモノを……」
暫く歩いていると、そのうちキリネはジェンヌに抱かれたまま眠ってしまった。
すやすやと寝息をたてるキリネの髪を優しく撫でながら、ジェンヌはそう独りごちてため息をつく。目を閉じると、目蓋の裏で昔の記憶が流れ始めた。購入した新作のアイシャドウのせいだ。どうやら、つけると昔の記憶が再生される効果があったらしい。恐らくそんな効果、作った本人であるサイも知らないのだろうが。
「キリネちゃん、あなたは……」
目蓋の裏には、まだ左目に包帯を巻いていないサイがいる。そして、その隣には黒髪に着物を纏った少女がいた。その少女はどこかキリネに似ているような気がした。