彼岸を唄う燈籠③
何もかもを思い出したのは、焼けた木に刺さっていた小刀を見つけた時だった。
それまでは、もしかしたら本当にサイの大切な人の生まれ変わりがキリネで、キリネの大切な人がサイなのかもしれないと思っていた。願っていた。そうだったらいいな、と子供のように無邪気に思っていた。
だから、小刀が見つかったときは得体の知れぬ感情がこみ上げあふれ出した。行き場のない思いが、言葉にならない感情が、キリネを激しく揺す振りながら記憶を呼び起こした。
「そっ……か、キリネは、小刀だったんだね……」
それまではサイの知る記憶と同じものを見つける度に嬉しくなった。サイが自分越しに|別人≪イロハ≫を見ているという寂しさも、もしかしたら自分の前世のことなのかもしれないと思うと胸が熱くなった。だというのに、自分を見つけてからはとてつもなく怖くなった。
自分がイロハで無いのなら、何故サイと同じ記憶を知っているのか。どこで知ったのか。イロハによく似たこの姿も、いったいどこから。怖くて怖くて考えたくも無いのに勝手に思考が巡り、何度もスカーフの世界に閉じこもっては一人で泣いた。そうしてキリネは事実から目を逸らし続けていた。
「あの日、本当に死んでしまった人物……それは、イロハさんを殺したとされている人物です。今となっては彼なのか彼女なのかもわかりませんが、ね」
「こんなに想い続けているのに顔も思い出せないし名前も分からない。男だったような気がするけど、本当に男だったのかもわからない。着物を着ていたかもしれないけど、それは小刀を持っていたからそうだと思い込んでいたのかもしれない」
「あの人は、七年前のあの日、あなたが殺したんです。死ぬ瞬間は見ていなかったとしても、あなたから受けた傷が致命傷となってあの人は死んだんです。あなたは、とっくに仇を討っていたんですよ」
店内にある記憶たちからアリカの推理を聞いた辺りから、事実から目を逸らし続けるのも難しくなった。流石探偵と言うべきか、こちらの感情など置き去りに容赦無く真実を暴いていく姿にはいっそ笑えてきた。楽しくすらあった。全く笑えたものではなかったけれど。
想い続けているのに顔も名前も思い出せない、着物姿の男かもしれない人物というのにはキリネにも心当たりがあった。桜のペンダントに込められた記憶の中にいる人物と、キリネがずっと探し続けている『大切な人』。断片的だった情報が繋がり、最も残酷な真実を導き出す。
「キリネの、大切な人……。キリネは、本当は……」
愕然とした。こんなの、知りたくも無かった。ずっと記憶が無いままでいられたらきっと幸せでいられた筈なのに。
キリネが探し続けていたのは、サイがこの世で最も憎んでいる人物であり、キリネはサイに消えない傷を刻み込んだ恐怖の対象だった。お互いにお互いを通して大切な人を見ていたくせに、どちらも大切な人の仇だった。なんて無様で、なんて滑稽な話なのだろう。
「思い、出しちゃった……キリネが、キリネが斬ったんだね……」
鮮明に蘇ったイロハの喉元が切り裂かれた時の記憶は、誰よりも、何よりも近いところからの視点だった。その時に触れたイロハという魂の記憶がキリネに人の形というものを教えたのだ。キリネがイロハによく似た姿になれたのはただの偶然であり、運命がもたらした必然だった。
イロハの喉元を切り裂き、ユイトの目を潰すと『大切な人』は逃げるように走り出す。二人を殺すのが目的では無かったのだろう。回収されることなく逃げ切れれば、きっとなんでも良かったのだ。
走り出した直後に『大切な人』の身体がガクンと揺れる。少しずつ速度は落ちていき、やがてキリネは紅葉の大木に取り残された。キリネを落としてしまったことに気付かずに、『大切な人』は身体を引き摺りながら去っていく。これが『大切な人』と過ごした最後の記憶だった。
桜のペンダントに遺されたのは、『大切な人』の最期を記憶したものだ。誰の記憶なのかは分からない。偶然『大切な人』の姿を捉えたのだろう。
小刀が刺さっていたので、恐らくユイトの目を潰した小刀を返されたのだろう。それ以外にどんな傷を負ったのかは分からないが、『大切な人』はそれらが致命傷となって消えていったのだった。
「……ほんとうに、もう、どこにもいないの?」
ペンダントの中に入り込み、相変わらず桜の木の下にいる『大切な人』に話しかける。記憶の残滓でしかないそれが当然応えるわけもなく、桜を散らす風の音だけが返ってきた。
「ねえ、もういっかい、なんか言ってよ」
それでもキリネは縋るように言う。初めてここに来た時、確かに何かを言った筈なのだ。キリネに声を掛け、手を伸ばしたのは確かだった。一言でも聞ければ、もしかしたら何かが変わるかもしれない。そのほんのわずかな期待にキリネは縋り続ける。
「……キリネを、おいていかないで……」
キリネの期待には応えられないとでも言うように、それは微動だにせずただそこにあり続ける。キリネの消え入りそうな言葉は桜と共に消えていった。
だが不思議なことにサイに対する恨みや憎しみは全く湧いてこなかった。少しでも憎むことができたならもう少し楽だったかもしれないのに、どうしてもそんな感情は出てこなかった。だがその反対はどうだろうか。キリネの正体を知ったとき、サイはキリネを憎まずにいられるだろうか。きっと無理だ。『あの人』が居なくなった今、キリネはサイにとって唯一の仇になってしまったのだから。許されるわけがない。
アリカと話をしてからサイはキリネとあまり目を合わせなくなった。そのことがますますキリネを追い詰めていく。だから、壊れてしまう前に自分から壊してしまおうと決めたのだった。
あちら側で『会いたい人に会える燈籠』として活動していたのはせめてもの償いだった。訪れた者の記憶の奥深くを探って、本当のイロハの生まれ変わりを見つけることが出来たなら、サイに対する罪が少しでも軽くなるんじゃないか、なんて考えて。
キリネの告白を聞いてまず湧いたのは戸惑いの感情だった。次に怒り。恨み、憎しみ、そして恐怖。忘れることなど出来るわけもない、八年前の記憶が蘇り、びちゃりと血に沈んでいったイロハの虚ろな目がユイトをじっと見つめる。
キリネのことをあの日の小刀なのだと意識すると、嫌な汗が全身から噴き出た。急に空気が無くなってしまったかのように息が詰まり、寒くもないのに手足が震え歯がガチガチと鳴る。視界は赤と緑に点滅を繰り返し、グルグルと回るような眩暈で上下が分からなくなっていくようだった。
きっとそれがキリネにも伝わったのだろう。相変わらず泣きじゃくりながらも、少しずつユイトから離れようとしているのが分かった。だからユイトはキリネとの距離を一気に詰めて思い切り抱きしめた。キリネを逃さないように。自分が逃げてしまわないように。
「ま、すたー、さん?」
戸惑うキリネの声を聞き流しながら深く息を吐いてみると少し気分がましになったような気がした。刀だと分かるような姿をしていないのが幸いだった。こうしていればただの幼い子どもだ。
「……馬鹿だね。馬鹿だよ」
恨みも、憎しみも、怒りも、恐怖も消えていくわけではない。むしろ黒いドロドロとした塊となって今にもこみ上げそうな程だ。しかしその一方で、愛しいと思う気持ちも確かにそこにある。酷く矛盾していた。
いっそ復讐心に飲み込まれたまま嫌いだと割り切れたらどんなに楽だっただろう。突き放して、お前も殺してやると言えたなら、こんな思いをすることは無かっただろう。だがそう思うには共に過ごした時間が長すぎた。お互いのことを知りすぎたし、お互いの心に触れすぎてしまった。一年という時間が消えることは無いのだ。
「……アリカもジェンヌも、アタシに全部は話さなかったんだ」
強く強くキリネを抱きしめたまま、ユイトは掠れた声で言った。
二人とも、キリネがイロハを切り裂いた小刀だと分かっていたのだろう。それでいてユイトには何も言わなかった。キリネが居るであろう場所だけ伝えて、「後は自分次第だ」なんて言ってユイトを送り出したのだ。本当に、質が悪い。
だが結局はユイト次第でしかないのも事実だった。本当の意味でキリネのことをどう思っているのか、それはユイトにしか分からない。ユイト自身ですらたった今分かったところだ。
呼吸を整えて、気持ちを落ち着かせて、しっかりと言い聞かせるようにユイトは言う。
「アタシの中で、キリネはとっくに『大切な人』だったんだよ」
この日、初めて二人は本当の意味でお互いのことを見ることが出来た。




