彼岸を唄う燈籠②
こちら側もあちら側も等しく、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降っていた。昼か夕方かも分からないほどあたりは暗く、激しすぎる雨音が他の物音を全てかき消す。
サイは──否、ユイトはその中を一人、全身ずぶ濡れになりながらふらりふらりと歩いていた。顔色は見るからに悪く、足取りもおぼつかない。特に傷を負っているわけでは無さそうだが、満身創痍という言葉がよく似合う。
「……随分と、仕上がってるみたいで」
そんなユイトがやっとの思いで雑貨カフェに辿り着くと、ユイトの帰りを店内で待っていたジェンヌがそう声を掛けた。その表情はかなり複雑そうだ。
重たく一つ咳をすると、やや枯れた声でユイトは「まあね」と自嘲気味に笑ってみせる。だがどんなに表情を取り繕っても、目の赤みや目の下のクマの様なものは隠しきれない。かなり無理をしたのが一目瞭然であった。
「……で、アンタがここにいるってことは、何か見つかったとか?」
ゆらりとカウンター席に座るとユイトはそう問い掛けた。その急かす様なユイトの視線にジェンヌはフッと笑みを一つ零してから「ええ、探偵様からお待ちかねのご報告よ」と一枚の紙を取り出した。紙に書かれているのはどこかの地図のようだ。赤く囲まれた箇所が目的地なのだろう。
「……ふぅん? ここに行けと?」
「概要だけ説明するわね。後のことは自分で確かめろってことみたいよ」
「なるほどね」
そう言って始まるのはキリネの居場所の話ではない。最近あちら側で噂になっているという心霊スポットについての話だ。心霊、というのも少し違うようだが、そういったものは大抵こちら側の住人が関わっているのであながち間違えでもない。
「『会いたい人に会える燈籠』っていうのがあるみたいでね──」
辺りがすっかり暗くなっても雨はやむ気配を見せなかった。激しすぎる雨音だけが世界に響き続けている。ドラムのように雨が葉を叩く山にユイトは一人訪れていた。こちら側でも雨にはしっかり濡れるらしく全身はずぶ濡れだ。同じくずぶ濡れになってところどころ滲んでしまった地図を頼りにここまで来たユイトだが、目的地が本当にこっちで合っているのかは怪しいところだった。まず山の中なので暗すぎて辺りが良く見えない。
「……いや、あってるっぽいな」
もう少し歩いたところでユイトは立ち止まった。そこには話に聞いていた通り苔に塗れた燈籠が三対程並んでいる。きっと、かつてこの先には小さな祠でもあったのだろう。暗さのせいか今は全くその姿が見えないが、用があるわけでもないので放っておいて。
噂では真夜中にこの燈籠の前に来ると突然明かりが灯って、三対並んだ燈籠の向こう側──もしかしたら祠があったかもしれない場所──に、心の底から会いたいと望んだ者が現れるという。心の底から望んでさえいれば死者にだって会えるのだとか。
眉唾物の噂だが、キリネという存在を知っている以上侮れるものでもない。アリカは、ユイトは、その可能性に賭けることにしたのだ。
ユイトは今までのことを思い返しながら地図を仕舞い、代わりに小さな白い布を取り出した。何かを包んでいるらしきその布をゆっくりと開いて行けば、焼けてボロボロになった小刀が顔を覗かせる。ユイトはぐっと歯を食いしばるような仕草を見せてから、中の小刀が見えるように布をさらに開いて燈籠の方へ差し出した。
何が起こるわけでもなく、雨の音だけが響く。
「……風邪ひくよ」
それでもじっと待ち続けたユイトに掛けられたのはとても懐かしい声だった。呆れ顔で、濡れないように番傘をこちらに傾けてくる彼女は、確かに会いたい人だった。ずっと会いたかった人だったかもしれないが、でも『違う』と思った。だからユイトは薄っすら笑みを浮かべて彼女に言う。
「──初めまして、かな」
すると彼女は一瞬驚いたような表情を見せた。だがすぐにユイトの意図を理解したらしく「ああ、そういうこと?」と寂しそうに笑った。
番傘がびちゃりとその場に落ち、彼女の姿は見る見るうちに小さくなっていく。そうして現れたのは、よく見慣れた姿だった。少し拗ねたような表情を見せているが、どこか嬉しそうでもある。
「それはずるいよ、マスターさん」
「それはどうかな。事実、初めましてだからね」
「へりくつだよ」
「でも正しい」
む、とキリネは口を噤んだ。言い返せないようだ。
ユイトに戻ってみる。アリカが提案したそれは、ほとんど意味のないおまじない程度のものだった。キリネの言う通り屁理屈でしかない。
サイは明確に別れを告げられ拒絶された。だけど、ユイトはそうじゃない。そもそもユイトとキリネは出会っていない。言霊の様なものが作用するのならばサイでは絶対に会えなくても、ユイトなら会えるのではないか。その程度のものだ。だけどそれは正しかった。
「キリネはアタシのことを知ってるかもしれないけど、アタシはキリネのこと何にも分からない。だから、ちゃんと話に来たんだよ」
そう言ってユイトは布に包まれた小刀をキリネに手渡した。それを受け取ったキリネは泣きそうな顔で笑うと「わかった、お話ししよう」と言ってユイトを雨に濡れない場所へ案内した。
キリネが案内したのは斜面にぽっかりと空いた洞窟だった。中にはちょうどいい大きさの岩があり、二人はそこに腰掛けた。
目の前には誰かが焚き火をしたような跡がある。きっと前にも他の誰かがこうしてここで一晩過ごしたのだろう。ユイトが焚き火の跡にふうっと息を吹きかけると青い炎が灯った。
「マスターさん、火、吹けるの!?」
「うん、案外できるもんだね」
何度も瞬きを繰り返すキリネにユイトはへらりと笑ってそう言った。今の今まで自分でも火を吹けるとは思っていなかったらしいが、記憶の中にあるドラゴンの火を吹く感覚を再現してみたら出来たようだ。いよいよ人間離れしている。
「さて」灯りも確保したところで、やっと話を始められる。とはいえ、どこから話したらいいのか分からない。散々迷った挙句、ユイトは素直に一番気になっているところから話すことにした。「答え合わせを先にさせてよ」
キリネは何も言わず、焼けた小刀を両手でキュッと握り締めた。その動作を肯定と受け取ったユイトは、自分が用意してきた『答え』を口にする。
「キリネの正体は──その、小刀だね?」
キリネは否定も肯定もしなかった。代わりに小刀を両手でぎゅっと抱きしめて、固く両目を瞑った。それだけで十分だった。
「……いつから、」幾ばくか気持ちが落ち着くと、キリネはようやく諦めがついたような表情で口を開いた。「いつから、マスターさんは気付いてたの?」
どうしても、この事実だけはユイトに知られたくなかったのだ。記憶の奥底に幾つものヒントが散らばっているのは知っていた。それを繋ぎ合わせられないように誤魔化し続けていたが、とうとうどうすることもできないところまで来てしまった。だからキリネは逃げ出したのだ。
「気付いたのはつい最近だよ。キリネが居なくなって、キリネのことをジェンヌたちと話している内にやっと気づいたんだ。もしかしたら、ってね」
皮肉な話だ。もしかしたら、あのままキリネが逃げ出さなければキリネの正体は気付かれずに済んだのかもしれないというのに、キリネが逃げ出したからこそユイト達は辿り着いてしまったのだ。きっと、そのことにキリネも気づいただろう。だがユイトはそんなキリネの反応を待たず、表情を見ようともせずに曖昧な笑みだけ浮かべながら続けて「怖いって思われたくないよね」と言った。
怖いと思われたくない。
怖がられたくない。
キリネの正体に気付いたユイトが最初に思い至ったのはそれだった。
ユイトが小刀に対してどうしようもないほどのトラウマを抱えていることはキリネも十二分に知っている。だからきっと、キリネは自分の正体を知られることで、ユイトから自分に向けられる視線が変わってしまうことを恐れたはずだ。その感情は、ユイトにも身に覚えがある。キリネに自分の戦っている姿を見せることにずっと抵抗があったのは、化け物じみた自分の姿を見てキリネを怖がらせたくなかったからだ。否、怖がられたくなかったから、というのが正しいだろう。
そのことに気付くとユイトは少し努力をすることにした。
サイからユイトに戻るのなら、包帯を取って名前を戻すだけじゃ足りない。ユイトは小刀に恐怖などしなかった。ならばトラウマを少しでも解消すれば良い。都合の良いことに、刀を無限に生み出せる知り合いがいる。そう考えたここ数日だったわけだが──正直、数日で治るのならとっくにこの八年で治っていただろう。結果はギリギリ手に持って数秒間見つめていられる程度までの回復だった。
だが、そのおかげでここまでキリネの本体を持ってくることができた。
「うっ、うぅ……っ、ごめん、なさい。ごめんなさい、マスターさんっ……! ごめんなさい……」
ユイトのそんな記憶を視たのだろうか。キリネは急に顔色を変えると、ボロボロと大粒の涙を流しながら何度も何度も「ごめんなさい」と口にした。しゃくり上げながら涙を手の甲で拭い、それでも止まらぬ涙がストールや着物を濡らしていく。
「そんな……キリネのせいじゃないよ。本当なら、アタシがもう少し克服すればよかったんだから」
泣きじゃくるキリネにユイトは困り果てながらそう声をかける。どうしてキリネが泣き出したのか分からない。もしかして、記憶と一緒にユイトの感情も読み取ってしまったのだろうか。随分と、感受性が豊かな子だ。そう思いながらキリネを落ち着かせようとユイトはキリネの頭に手を伸ばす。
だがその手は、泣き続けているキリネによって軽く振り払われてしまった。拒絶されるなんて思っても見なかったユイトは驚きのあまり動きが固まる。もう、触れることすら嫌だというのか。
「……ちがう、ちがうんだよ、マスターさん。マスターさんはね、なんにもわるくないんだよ」
顔を上げたキリネはしっかりとユイトの方を向いて言った。相変わらずボロボロと涙が溢れ続けているが、それでも口角を上げて笑顔を作る。誰が見ても明らかな、無理矢理作られた痛々しい笑顔だった。
「……キリネはね、ただの小刀ってだけじゃないんだよ」
笑顔のまま、絞り出すようにキリネは言う。かひゅっ、かひゅっと喉が鳴り、胸が何度も上下する。今にも息が詰まりそうで苦しそうだ。
ユイトはそんなキリネに手を差し伸べられない。拒絶されたからではない。ただ、絶対に手を出してはならないような、そんな重圧にも似た空気がユイトを動けなくさせていた。
段々と呼吸が荒くなり、過呼吸のようになりながらキリネは口を動かす。躊躇って躊躇った末にやっと出てきた言葉は、二人のこれまでの関係を粉々に砕くようだった。
「キリネはね、あのとき、イロハさんを殺した小刀なんだよ」




