彼岸を唄う燈籠①
「笑っちゃうくらい手掛かりが掴めませんねぇ」
セリフと表情が見事に一致していないしかめっ面で心底不機嫌そうにアリカが言った。
「そうねぇ」と適当に相槌を打つジェンヌの前には大量の書類がある。ジェンヌはそれを数枚手に取ってはパラパラとめくり眺めていた。
キリネがいなくなってから三ヶ月。未だにその行方は掴めていない。
「そもそも、キリネちゃんが結局何だったのかすら分からないんですよね。『バレちゃった』って本人は言ってたんでしたっけ?」
「……うん」
「居なくなった理由もよくわかりませんし……もう一度きちんとおさらいをしましょうか。どんな些細なことでもいいので、キリネちゃんに関すること全部話してください」
この三ヶ月間で何回目になるだろうか。少しでも手掛かりを掴むために、キリネがサイのもとに来てから去っていくまでの一年間の出来事を思い出しながら三人で意見を出し合っていく。
サイの記憶を視たキリネが、サイに正体を掴まれたのだと判断して居なくなったというのがアリカの見立てだ。話し合いもなく一方的にキリネが居なくなったように思えるが、キリネ側からすれば話し合いは既に終わっていたのだ。記憶を視ることが出来るということは、嘘偽りのない本音を聞き出したというのと同義なのだから。
となれば、答えは全てサイが知っているはずなのだ。サイが自覚していないどこかにその答えがあるはず。だからこうして何度もキリネに関する話をサイから聞き出して情報を整理しているのである。
「……最初は人の記憶は視れなかったらしいから、アタシに会う前からイロハのことは知ってたんだと思う……多分。でも、教えてもないのにイロハと同じ味付けで料理が作れて、喧嘩したときにイロハが行く場所にキリネも行ってた。あと……あとは、」
「一回深呼吸しましょうか、サイちゃん」
ぽつりぽつりと話しているうちに表情が歪んでいくサイはとてもじゃないが見ていられない。一方で仕方がないとも思う。大切な人がサイの目の前から居なくなるのはこれで二回目だ。イロハの時は七年経ってもその傷が癒えなかったのに、三ヶ月でその傷が癒えるとは到底思えない。死んでしまったわけではないのがせめてもの救いではあるが。
「イロハさんのことをもっと前から知っていた、ということですよね。元々私たちの近くにいたとは思えませんし、となるとイロハさんの記憶をどこかで得ていたと考えるのが自然でしょうね。イロハさんの姿を自分だと思い込んでしまったから似ていたと考えてもよさそうですが、肝心の記憶を得たタイミングが分からない。イロハさんに関する記憶なら見つけられるでしょうけど、イロハさんそのものの記憶はユイトさんが持っているそれぐらいしか現状見つかっていないわけですから。次、お願いしてもいいですか?」
サイを気遣うジェンヌとは対照的に、アリカは淡々としている。目の前の謎にしか興味がないような素振りだ。きっと、このようなシチュエーションは探偵業をしている中で何度も経験しているのだろう。同情していては話が進まない。客観的に、冷静に、効率よく情報を集めて謎を解くのが彼女の仕事だ。
「大きな火を怖がっていたわね。夏祭りの時、建物を燃やす火が怖いって言ってたわ。料理をするときは何ともないみたいだから、火が怖いというよりも何かが燃えているのが怖いのね。……ああ、そういえばサイちゃんに尽くしたくて『回収屋になる!』なんて言って騒ぎになったこともあったわね。今思えば、なんであんなに尽くしたがったのかしら。大好きだから、とは言っていたけど」
気持ちを落ち着かせているサイに代わってジェンヌが答えた。夏祭りの日、燃え盛る蔵を見て恐怖のあまり涙したキリネ。今思えば、あの時の彼女が一番年相応の姿だった。
よく言っていた、『キリネの大切な人がマスターさんだったらいいのに』という言葉にはどんな意味があったのだろうか。もしかしたら、その言葉をよく口にするようになった時点で、キリネが探していた人物はサイではないとキリネは気付いていたのかもしれない。
去る直前、キリネは探していた人物のことをとうとう思い出せなかったと言っていた。だけど他のことは全て思い出したと。それはどの時点での話だったのだろうか。
と、ここまでは三ヶ月の間で何度も似たような内容を繰り返した。が、ここにきて急にサイがハッと顔を上げて口を開いた。
「……桜のペンダントと、十一月のストールだ」
「え?」
「キリネが何かを思い出したタイミング。アタシが作ったもので、その二つだけキリネが反応したんだよ」
「ペンダントとストールって……いつもつけてたやつよね。ちょっと、その話は初耳な気がするわよ」
単純にサイから貰ったものだから嬉しくて身につけているのだとばかり思っていた二人はそんなところに注視したこともなかった。サイもサイだ。どうしてそんな大事なことを今の今まで忘れていたのか。それとも、忘れさせられていたのか。
どちらにせよ、今は思い出したその事実を丁寧に遡るまでだ。あれはまだキリネが来たばかりのころ、サイの工房に初めてキリネが入った日のことだ。
「あれはまだ店に出せないやつだったんだ。それを、キリネがたまたま触って呑み込まれた。確か……桜の木の下に、男がいたかな。そいつにキリネが触ろうとしてて、慌てて止めた気がする」
そういえば、あの記憶がキリネとどういった関係なのかは分からずじまいだ。全部思い出したと言っていたからきっとキリネには分かっているのだろうが、聞くのを忘れていた。なんせこのことを今まで忘れていたぐらいだ。
「その男っていうのは?」
「……分からない」
「分からない?」
「ああ、多分男だったってことぐらいしか分からない。顔を隠してたわけではないし、キリネになんか話しかけてたのも聞いたけど……顔も声も全く分からない」
思い出せないのではなく分からない。
その現象はつい最近何度も耳にしている。ということは、きっとその男と思わしき人物も同じはずだ。その男の魂が死を迎え、この世界から消滅し、ありとあらゆる記憶から消えた。だから景色は見えてもどんな人物だったかは分からない。
「でも、亡くなった方とキリネちゃんの関係が全く分かりませんね。それって誰の記憶を材料にしたんですか?」
「アタシが採りに行った記憶じゃないから誰のものかまでは分からないな。多分ジェンヌが持ってきたやつ」
サイがそう言うとアリカの視線がジェンヌの方を向いたが、ジェンヌは肩をすくめて首を振った。全く覚えていないようだ。掴みかけた手掛かりはあっという間に消えてしまった。
「亡くなった方の記憶という可能性もありますけど調べようがありませんね。次に行きましょう。十一月のストールでしたっけ?」
アリカが問いかけるとサイの肩がびくりと動いた。
その記憶を思い出すだけで、背筋を這うように得体の知れない感情が襲い来る。これは、恐怖だ。意識するだけでバクバクと心臓が鳴り響くような気がする。心臓など無いというのに。
そんな自分の有様にサイは少しだけ自虐的な笑みを浮かべた。それから大きく息を吐いて、なんとか自分を落ち着けようとする。何が変わったわけでもないが、少しだけ気分がましになったような気がした。
きっと、桜のペンダントと十一月のストールの話は忘れていたんじゃない。無意識のうちに避けていたのだ。あの場所の、あの記憶がまた蘇ってしまうのが怖くて、連想させるもの全てに蓋をしようとしていたのだろう。
「あのストールの中にあるのは、アタシとイロハが最後に行った場所の記憶だったんだ」
キリネと一緒にあの場所へ実際に訪れた時は大丈夫だと思っていた。少しだけ胸は痛いが懐かしい程度の感情しかなかった。だけど実際は違った。強くなれたわけでも傷が癒えたわけでもなくて、多分、あの日はキリネの前で強がっていただけなのだろう。
「アリカにイロハの記憶を預けた後、キリネとあの場所に行ったとき……キリネが、あの場所を知ってたんだ。それで、どうして知ってるのかを聞いてみたらストールの記憶と一緒だったからって。ストールよりも前から知ってとも言ってたかな。多分、アタシの記憶を視て覚えたんだろうけど」
「……なるほど」
サイがあの場所へ行ったことに気を取られそうになるが、アリカは思考をクリアにして情報をまとめていく。サイの口ぶりから、他の情報もあることは分かっていた。だからまだ結論は出さず、サイが話すのをじっと待つ。
やがて、意を決したのか「……あとは」とサイが重たく口を開いた。
「あの場所から少し歩いたところに、焼けた小刀があった。キリネも、アタシも触れて……焼けて折れた樹に刺さってた」
「その場所にはどうやって?」
「キリネについて行ったんだよ。ストールの記憶の中にあったんだろうね。樹が折れてて愕然としてた。……焼けた小刀を見て、泣いてたよ」
小刀、と口にするだけでサイの手が小さく震えた。どんな戦いを繰り広げても、どんな傷を負っても平気なのに、未だ小刀だけはどうしても駄目だ。イロハが生きていると分かっていても、克服できそうにない。
小刀の話まで聞くと、アリカは少し考えるようなそぶりを見せた後に立ち上がって大量の書類を一つにまとめ始めた。ついでに、小刀を見つけた場所の詳細な道順を尋ねるのも忘れない。
「行くならついて行くわよ?」
「いえ、他にも調べたいことがあるのでリュウちゃんはここに残って下さい。どちらかと言えば、あちら側の情報が欲しいので……タカト君に声を掛けようかと」
ジェンヌの申し出をやんわり断ると、アリカはそんなことを言った。情報屋の中から名指しする程度にはタカトと知り合いになったらしい。あちら側の何を調べるのかは謎だ。
書類をまとめ終えると、それを一つの箱にすべて入れる。どうやら箱はここに置いていくつもりらしい。片付けだけするとそれにはもう見向きもしなかった。
「ああ、そういえば」去る間際、アリカはふと思い出してくるりと半回転し、サイの方を向いた。
「キリネちゃんは最後に言ったの、『ばいばい、サイさん』でしたっけ?」
「あ、ああ」
「であれば──『ユイト』に一度、戻ってみるのもいいかもしれませんね」
トントン、と左目を指さしてそれだけ言うと、後は何も言わずにアリカは店から出て行った。
アリカの言わんとしていることはなんとなく伝わった。だから二人は顔を見合わせて「酷い屁理屈だ」と笑い合った。




