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神を名乗るもの⑤

 真っ黒なもやが少しずつ晴れ、空には月が見えようとしていた。

 高く積み上げられた人の様なものの山の上にはサイが座っており、もうすぐ顔を出しそうな月を眺めている。その両腕は無かった。

 しばらく月を眺めていたサイだったが、後方からキリネがやってきたことに気付くと月から目を離して穏やかな笑みを浮かべた。そして「お迎えありがとう」なんて言う。


「マスターさん、うで……」

「ん? ああ、そうだね。助けてくれる?」


 両腕を失ったサイを見てキリネはぐっと眉を寄せた。だが当の本人は全く気にも留めていない様子で、軽く跳んで山から下りるとキリネの前に着地した。


「『腕が生える』っていうのが上手くイメージ出来ないんだよね。だからなかなか生えてなくって。キリネならどうにかできるでしょ?」


 キリネは何度かパチパチと瞬きをした。まさかサイからそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。サイが状況を理解しているのなら話は早い。キリネの表情はパッと明るくなって「任せて!」と元気よく言いながら屈んだサイの身体をギュッと抱きしめた。

 サイの肩を覆うように抱きしめていたキリネの背中に手が回される感覚がする。ああ、これで一安心だ。そう思うとキリネは抱きしめる力を一層強くした。そうしてしばらく温もりを堪能した後に、名残惜しそうにしながらもキリネはサイから一歩離れた。


「ありがとう。大丈夫そうだよ」


 両手の感触を確かめるように何度も握ったり閉じたりを繰り返しながらサイは言った。腕は何事もなかったようにそこにあって、ついでに血まみれだった服も元通りになっていた。

 両腕が元に戻ると、サイはどこからか包帯を取り出して左目を隠すように巻き始めた。「隠しちゃうの?」とキリネが尋ねると、サイは困ったように曖昧に笑って誤魔化した。どうやら言いにくい理由があるらしい。

「さて」包帯を巻き終えるとサイはくるりと半回転して山の方を向いた。「次はこっちを手伝ってほしいんだけど」


「このひとたちは誰?」

「んー……祟り神って言われていた奴の中身、かな。多分だけどね。もしかしたら喰われた奴かもしれないけど。どっちにせよ、このまま()()()()()()置いておくわけにはいかないと思うんだよね。キリネは連れていける?」

「ここから出ていくときに一緒に行けると思うよ。でも、マスターさんはどうやって連れてきたの?」


 ここはあちら側の世界でもこちら側の世界でもない。サイの意識、あるいはサイの記憶の内部だ。この人のようなものの山は単純にサイの記憶の中にある人の山というわけではなく、各々に意識があったサイとは全く別の存在である。記憶の世界に潜り込んできたキリネと同じく異物の存在だ。


「どうやって……というか、勝手に入ってきたっていうのが正しいんだけどね。祟り神って奴を喰ってやったらついてきたんだよ」

「……たべちゃったの!?」

「ん? うん。思いの外意志が強くて逆にアタシのことを飲み込もうとしてくるから困ったよ」

「…………」


 何でもないことのように言うが、そんな芸当がなせるのは魂を喰らう鬼の力を手にしたサイだけだろう。

 喰ったというのも、ジェンヌとエイゲンが一緒にいたときに試しに齧った程度ではない。サイはあの後、本当に祟り神という存在を一欠けらも残さず喰らいつくしたのだ。ただし、この世から存在が消滅してしまわないように手加減している。だからこそ祟り神の意識が残ってしまい、サイを乗っ取ろうとサイの内部で暴れまわってしまったのだ。祟り神の手に落ちて操られているように見えていたサイは、実際には意識が無いまま暴れていただけである。意識同士のぶつかり合いが表面に出てしまっただけ、という可能性もあるが。

 意識のないサイを相手にああも苦戦させられたことを考えると、サイの化け物じみた強さを改めて痛感してしまう話ではある。

 サイが今ここでサイとして意識を保っているということは、当然ながら祟り神はサイに敗北したということになる。ただし、それが今サイの意識の中のどこにいるのかは分からない。恐らく山の中のどれかだろうというのがサイの見解だ。


「正気を保っていなかったからとはいえ、エイゲンの容赦のなさには笑っちゃったね。まさか腕を落とされるとは思ってなかったよ」

「おこってる?」

「怒ってはないよ。そういうキリネは怒ってるみたいだけど?」

「……うん、キリネは、エイゲンおじさんの戦い方、きらい」


 カラカラと笑うサイとは対照的に、キリネは嫌悪感を露わにしていた。

 ここまで嫌いだという感情をキリネが表に出すこともあまりないので、サイは新鮮だと思うと同時にほんの少しだけ嬉しく思ってしまう。何が嬉しいのかは自分でもよくわかっていないが。


「たたりがみさんはお外に連れていくけど、他のひとたちはどうしよっか。キリネと一緒でもいいかなぁ」

「アタシには分からないからキリネに任せるよ」


「わかった」と機嫌をすこし直して言うと、キリネはパンッと手を大きく叩いた。すると高く積み上げられた人の山が一瞬にして消え、一つだけ小さなクマのぬいぐるみだけがその場所に残される。

 クマのぬいぐるみを拾い上げると、キリネはサイにそれを差し出した。


「これは?」

「これがたたりがみさんだよ。可愛くしちゃった」

「……ふふ、そっか。そっかぁ」


 このクマのぬいぐるみをサイとは別の存在として認識したままここから出れば、祟り神をサイの中から出せるそうだ。クマのぬいぐるみ自体に大きな意味はないが、サイとそれ以外を分けるということが重要なようだ。その他大勢がどこに行ったのかは分からないが、いつまでも気にしているときっとサイの中から出すことができないだろうから、あまり気にせず記憶の隅の方へ追いやってしまう。意識していなければきっとキリネが連れて行ってくれるのだろう。

「……キリネ」目先の問題が片付いたので、サイはこれまで目を背け続けていた問題と向き合おうと、少しの沈黙の後で意を決して口を開く。「もう少しだけ、ここにいてくれる?」

 サイが言わんとしていることは察しているようで、キリネは黙ってうなずいた。それから月を見上げるのに丁度よさそうなベンチをその場に出してちょこんと座った。

 黒いもやはすっかり晴れて満月が煌々と輝いている。星は一つも見えなくて、月はただただ孤独だ。


「いろんなことがあったね」


 二人きりの世界でどこまでも静かな時間が続く中、先に口を開いたのはキリネだった。キリネがサイの店を訪れてから今日まで、一年という時間の中で色々なことがあった。色々なことがあって、長い時間を経てやっとわかったこともあれば、何も分からないことも増えた。その中で変わらないものは一つとしてなかったように思える。


「キリネはいつからこういうことが出来るようになったの? 本当は最初から出来てた?」

「ううん、マスターさんと会ったばっかりの時はできなかったよ。でも、できるようになったの。できるようになったら、どんどん他のこともできるようになったんだよ」

「そっか。キリネも成長したんだね」


 そう言いながらもサイは考える。確かに、記憶を得ることで力を得ることが出来る。だが、果たして誰かの記憶を得ることで誰かの記憶を読むことが出来るようになんてなれるのだろうか。ましてや誰かの記憶の中に入り込むなんてこと。世の中は広い。世界のどこかにはそういった能力を持った者がいて、その人物の記憶を得ればそんな能力を獲得できるかもしれない。だがそれはほんの一握り、奇跡としか言いようのない確率の話だろう。あまり現実的ではない。他にもっと確率の高い可能性があるとするのなら、キリネが元々そういう能力を持っていた、ということだ。サイのところに来たばかりのキリネはそれまでの記憶を失っていた。それを生活の中で徐々に取り戻していたとしたら、元々持っていた力がつかえるようになったとしても不思議ではない。そちらの方が分かりやすい可能性だ。

 アリカの言葉が脳裏をよぎる。

 キリネはイロハの生まれ変わりではない。人の魂ではない可能性の方が高い。

 人の記憶を視ることが出来るのだから、あらかじめサイの記憶を視てイロハそっくりの姿となってサイの前に現れたのではないかとアリカは言っていた。だが、キリネが言う通り最初は記憶を視ることが出来なかったとしたら、キリネはどうしてイロハそっくりの姿で現れたのだろう。姿だけではなく、言動もよく似ていた。考えても答えは出ないし、どうやっても説明はつかない。


「キリネは、探してた人のこと、思い出せた?」

「……ううん、思い出せなかったよ。でも、今までのことは全部思い出せたからいいの」


 ふと思い出して口をついた言葉にキリネはとても寂しげな表情を浮かべた。

 今までのことをすべて思い出したのに、大切な人のことは思い出せない。ということは、魂そのものが消滅してしまってどんな記憶にも残っていない人物ということだろうか。


「キリネはね、探してるひとじゃなくても、大事なひとになれればそれでよかったんだよ」


 誰にとっての、とは言わない。だがお互いにお互いを通して別人を見ていたのだということはよくわかっていた。

 月の光を浴びるキリネの横顔はどこまでも儚く切ない。そんな表情を見ているだけで胸が痛むのに、どうしてかサイはキリネに手を伸ばすことが出来なかった。

「ねえ、キリネ」自分の声が少し震えていることに気づきながら、サイは口を開く。これを言ってしまえばきっと後戻りはできない。修復できない程にキリネとの関係は壊れてしまうだろう。そう分かっていながらも、目を背け続けてはいけないような気がしてサイは問いかける。「キリネは……本当は、」


「あーあ、バレちゃった」


 いつのまにか立ち上がり、サイの目の前まで移動していたキリネが人差し指を立ててサイの唇に触れた。こんなに近いのに、キリネがどんな表情をしているのかは分からない。

 少しして、ふっとキリネが笑ったような気がする。だがもう一度表情を確認しようとする前にキリネはサイから離れて行ってしまった。


「ばいばい、()()()()


 風が強く吹き付けると、あたりのどこにも桜は咲いていないはずなのに、桜の花びらがざぁっと舞った。

 風がやむと桜の花びらはたちまちに溶けて消えてしまって、一緒にキリネの姿も消えていた。まるで、桜に連れ去られてしまったように。

 自分の記憶から出て行ったのだと理解すると、サイも後を追うように慌てて記憶の世界から出て外の世界に意識を戻す。


「キリネはッ!?」


 目を覚ましたサイの視界に映り込んだのは、サイを心配そうにのぞき込むジェンヌとエイゲンだけ。あたりをどんなに探してもキリネの姿はどこにもなかった。

 その後、思い当たる場所をどんなに探してもキリネの姿を見つけることはなかった。

 キリネは、サイの前から完全に姿を消してしまったのだった。

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