神を名乗るもの④
「さて、準備はいいか?」
エイゲンが問うとジェンヌもキリネも頷いた。
三人は例の祟り神がいるという廃校の目の前まで来ていた。校門から中に入れば、そこから先は相手の領域だ。
「ッ、ジェンヌ走れ!」
「え?」
「いいから走れッ!」
一歩、中に入る。その直後、エイゲンが急に叫んだ。
一拍遅れながらもジェンヌがキリネを抱えて走り出そうとすると、真横で金属同士がぶつかり合う音がけたたましく響いた。見てみれば、真っ黒なもやを纏ったサイの鋭い爪をエイゲンが刀で受け止めているところだった。
「ッは、どうせだったら本来のお前とやり合いたかったな、ァ!」
エイゲンが吠えるとサイは後ろへ大きく飛び退いた。エイゲンの脳裏にはかつての記憶、自分を完膚なきまでに叩きのめしたユイトの強烈な記憶がこびりついている。
そこから一瞬だけ間を置いた後に始まったのは、刀と爪による激しい斬り合いだった。ぶつかり合っては離れ、斬りかかっては離れを高速で繰り返しながら何度も何度も激しい金属音を響かせる。そこに第三者が介入する隙など一瞬たりとも無い。
今のところおおむね想定通りだ。エイゲンとサイの激しい打ち合いになることも、そこに黒いもやと人のようなものが大量に加わってこようとしてくることも。だからジェンヌは『記憶の書』を持った右腕を大きく広げる。するとすぐに、黒いもやを覆いつくすように真っ白な煙のようなものが辺りを包み込んだ。真っ白な煙のようなものは深い霧のように視界を遮る。
「高みの見物なんてさせないわよ」
ジェンヌはほぼ見えなくなった校舎のほうを向いて挑発するようにニヤリと笑った。
祟り神と恐れられるそれは、まだ『神』の領域に至っていないというのがアリカの見解だ。ただの人であるならば、人を惑わす程度の能力であるのなら、空間を把握する手段は目視のみである可能性が高い。そして、実際に目にしたものしか再現できないのではないか。アリカはそんな仮説を立てていた。その仮説が果たして本物のアリカが話したことなのか、はたまたキリネが見せた記憶の中での話なのかはさて置いて。
実のところ、操られているサイの動きは普段と比べてイマイチだ。冷静に考えてみれば、サイの動きはもっと化け物じみているはずだが今のサイはそうでもない。これこそ、祟り神が目にしたものしか再現できない最たる例ではないだろうか。サイが操られたと分かったときは、普段のサイをイメージしてしまったからその力量差に絶望し苦戦する羽目になってしまったが、からくりがわかってしまえばそこまで怖いものでもない。そうなると信じて、エイゲン一人にサイの相手を任せることになったのだった。
ピキピキと何かが凍っていくような音が辺りで囁く。ジェンヌが撒いた白い煙の様なものの効果だ。身体を少しずつ凍らせられていく人影たちは徐々に動きを鈍らせ、やがて足を止めた。
「頃合いかしら」
白い煙の様なものを撒きながら舞い踊るように動き人影たちを翻弄していたジェンヌは、いつの間にか出現させた巨大なハンマーを携えて大きく旋回しながら人影たちに向かって行く。遠心力で勢いづいたハンマーで凍った身体を一気に砕く作戦のようだ。
ハンマーが空を裂きながら動けなくなった人影に迫る。
「ッ、ジェンヌちゃん待って!」
だが、それは既の所でキリネの悲痛にも似た叫びによって止められた。人影に当たる直前でハンマーは煙のように消え、ジェンヌの腕だけが空を切る。腕の勢いに全身を持っていかれつんのめりそうになったが何とかそこは両足の踏ん張りで堪えた。そうして崩れた体勢を整えつつ左腕で抱きかかえたままのキリネを見てみれば、大粒の涙をボロボロとこぼしておりギョッとした。一体何があったというのか。
「ごめんね、ジェンヌちゃん……でも、あのひとたち、悪い人じゃないんだよ。だから、それでね」
涙ながらにキリネは訴える。悪い人ではない、そういう判断に至ったのは恐らく、あの人影の記憶を覗いたからだろう。特に接触した様子もなく、ジェンヌに抱えられ動き回りながら記憶なんて見れるのかいささか疑問ではあるが、きっとできたのだろう。問題なのはそこではない。あれらが誰なのか、だ。
「あのひとたちはね……、食べられちゃったひとたち、みたいなの。食べられる前までは、みんなとおなじだったんだよ」
「……そう、だったのね。教えてくれてありがとう」
そういえば祟り神をどうにかしようとして消えていった者たちが何人もいる可能性があるのだった。きっと、それが彼らなのだろう。もうそれが誰だったのかも分からないが、この中にはきっとジェンヌも知る者がいるのだろう。彼らにまだ意識があるのかは分からないが、せめて穏やかな最期を迎えさせてやりたいと、ジェンヌはそう思った。分かっている。これはただのエゴだ。
消えたハンマーの代わりに扇を持つと、ジェンヌはそれをひらりと翳す。すると白い煙の様なものが銀色の光を帯びていき、身体が凍り動けなくなった人影たちが次々と倒れていった。それでもまだ、こちらに向かってくる人影たちの気配はあちこちに感じる。祟り神がこちらの様子を分からないまま送り続けているのだろう。それならば、この煙を絶やさず人影たちを止めるまでだ。
そう思ったのも束の間、辺りを漂っていた煙が急に一直線に割れ、視界が開けた。何が起こったのか、状況を理解する間もなく目の前には虚ろな瞳のサイが現れ、ジェンヌはヒュッと息を呑む。が、何をするわけでもなくまたすぐに地を蹴りエイゲン目掛けて跳んで行った。偶然こちらに来てしまっただけだろうか。不自然にこちらを確認するような視線があったような気もするが。
「マスターさん……」
そんなサイの姿はキリネもしっかり見たらしい。サイが跳んで行った方向を心配そうに見つめながらぽつりと声を漏らしていた。
「は、よそ見たぁ調子に乗りすぎなんじゃねぇ、のッ」
白い煙の向こう側ではエイゲンのそんな声が聞こえる。ゆらりとそのシルエットが煙に映り、刀と拳が交差している様子が窺えた。どうやら少々サイの動きに不審な動きがみられるようだ。先程ジェンヌの前に現れたのが偶然ではなくサイの意思だとしたら、或いは。
なんて、考え事を始めて気が緩んでしまったのかもしれない。風圧か、それとも別の何かか、あっという間に白い煙が晴れていく。あっと思った時には、煙で悪くなった視界と元々の視界の狭さを見越した左後ろからの攻撃をエイゲンがサイに仕掛けているところだった。左後ろ。ケガをし包帯を巻いているサイにとっては完全に死角である。が、しかし。
「がは、ァッ!?」
刀はサイに届かず、逆にエイゲンが腹に強烈な一撃を喰らわせられながら後ろへと吹っ飛んで行った。一瞬のことだったが、明らかにサイはエイゲンの刀を見切って避けた上で拳を腹に叩き込んでいた。
「……とんだ嘘つきね」
ジェンヌは思わず笑った。笑うしかなかった。
どうやらエイゲンの刀はギリギリ巻かれた包帯には届いていたらしく、後からぱらぱらと包帯がほどけて落ちた。包帯が取れて、八年前に刺されて潰された左目が露わになる。その筈だったが、そこにあるのは溶けていくような美しい夕日色をした瞳だった。潰された瞳はとっくに再生していたのだ。
傷がついたと思い込めば傷がつくし、治ったと思い込めば治る。この世界の仕組みを改めて実感したわけだが、問題は『いつからか』ということだ。いつからサイの左目は直っていたのだろう。そして何故、サイはそれを隠し続けていたのだろう。まさか治っていることに気付いていないなんてことは無いだろう。だが、いつまでも包帯をし続けていた意味も分からない。
八年ぶりにサイの左目を見たことに感想があるとするならば、ユイトを思い出して仕方ないということぐらいだろう。ジェンヌは内心で震えていた。目の前にいるのはかつて回収屋だったころの、伝説と謳われ続ける輝かしい時代の、あのユイトそのものだ。包帯一つでここまで揺さぶられるなんて思ってもみなかった。だが、興奮が抑えきれない。
感情の無い、夕日色の瞳がジェンヌの方を向いた。ジェンヌの姿を補足すると一気に肉迫する。そして流れるように拳をジェンヌの身体に叩き込もうとしたところで、急にその動きが止まった。
「……マスターさん、きれぃ」
「ッ!」
ジェンヌに抱えられたままのキリネが身を乗り出して頬に触れたのだ。うっとりするように呟きながら露わになった左目を見つめるキリネに、サイは、ユイトは激しく動揺しながら後ろへ大きく距離を取った。キリネの姿に何を見たのかは分からない。
「ッ当に、笑っちまうよなァ!」
そうやってサイが狼狽えている内に体勢を立て直したエイゲンが飛び込んできた。激しい金属音を何度か響かせた後、心の底から愉快そうに口角を吊り上げてそう叫ぶ。「なあ、ユイト」と声を掛けるその表情はどうみても正気を保ってはいなかった。
ぶつかり合いながらいくつもの刀が折れ、また新たな刀が振りかざされる。喧しい音を響かせながら地面に降り注ぐ折れた刃たちはまるで雨のようだった。思い切り腹に拳を喰らったエイゲンはきっと、いつもなら骨が何本か折れていただろう。もしかしたら今も折れているかもしれない。だが、本人はそんなこと全く気にしていないのか激しく動き回りながらおびただしい量の刀を繰り出し続ける。一体どこにそんな体力があったのか。サイの包帯が外れてしまったのを引き金に、タガが外れてしまったようだ。
「は、は! はは、は! ははははははははははははははははは!」
サイだって決して防戦一方ではない。鋭い爪が何度もその身体を裂いているし、重い拳や蹴りが幾度となく身体に沈み込んでいる。それでもエイゲンは止まることなく、狂ったように笑いながら刀を振るう。一方でジェンヌは、四方八方へ飛び散る刃をはじき返すのに精一杯の様子だった。心底迷惑そうにしながら、でもどこかに羨ましそうな感情を残して、刀の破片がキリネに当たらない様にはじき続ける。その筈だった。
「マスターさん」
突然、それまで響き続けていた金属音が鳴り止んだ。いつの間にかキリネはジェンヌの腕の中にはおらず、エイゲンと激しい戦いを繰り広げていたサイの背後に立っていた。
「嗚呼──」時が止まったかのように辺りが静まり返り、つい動きを止めてしまったサイへの興味を失ったエイゲンがぞっとするほど冷たい声で呟いた。「──残念だ」
特別な音はしなかった。
一拍遅れてありふれた音が二度しただけだった。
何でもないように斬られたサイの両腕が地面に落ちるのとほぼ同時に、サイの身体は糸の切れた人形の様にその場にぐしゃりと倒れていった。




