神を名乗るもの①
穏やかな時間が流れる静かな店内で、少女の楽し気な声だけが響く。
「そっかぁ、そんなことがあったんだねぇ」
誰かと会話しているような口ぶりだが、そこにはキリネ一人しかいない。恐らく、店内にある何かに込められた記憶と会話でもしているのだろう。
その空気を壊すように荒々しく店の扉が開かれる。続けて慌ただしい足音と共に二人組が入ってくる。二人の方を向くと、キリネはパッと表情を明るくさせた。
「ジェンヌちゃんとエイゲンおじさん! どうしたの?」
「サイはいるか?」
「マスターさんなら工房にいるよ」
「そうか。じゃあ後は頼んだ」
キリネの姿を見て一瞬だけ優し気な表情を浮かべたエイゲンだったが、すぐに真剣な表情に戻ると一緒に来たジェンヌに一任してもう一つの扉──あちら側へ繋がる扉から外へ出て行ってしまった。
「どうしたの?」
「ちょっと事件が起きちゃったのよ。だからサイちゃんにも手伝ってもらいたくてね」
「そうなんだ。でもマスターさん、なんだか悩んでるみたいで最近ずっと難しい顔してるの。ご飯は食べてくれるんだけどね」
キリネとはあんまりお話ししてくれないの、とキリネは寂しげな表情を浮かべた。それでもわがままを言おうとはしない健気な姿に思わず微笑んでしまいそうになるも、「じゃあその悩みは一回忘れてもらうしかないわね」と表情を固くしたまま言い、ズンズンと工房へ向かって歩くと乱暴にその扉を開けた。
「サイちゃん、悪いけど仕事よ」
挨拶も無しにそう言い放ったジェンヌの声色は硬い。そのただならぬ雰囲気に何かを察したらしく、サイは文句ひとつ言わずに「状況は?」と聞き返しながら工房から出てくる。その表情は真剣そのものだ。
「物凄く手強いのが一つ。前々から対処してる筈なのに一向に進展しないから、多分何人も返り討ちに合ってる。……アリカの仮説が正しければ、何人も殺されてることになるわね。それと、その近辺を探ってる情報屋が全く帰ってこなくて連絡も取れないらしいわ。まだ新人って言ってたけど、巻き込まれてる可能性が高い。こっちはまだ、死んでいなさそうだけど。今はエイゲンが捜しに行ってるけど、エイゲン一人では歯が立たない可能性があるわ。そこで」
「アタシとジェンヌも行けってことね。分かった」
こくりと頷いたサイは一瞬だけキリネの方に目をやった。二人の目はそこでしっかりと合うのだが、サイはすぐに視線をそらしてしまう。そして、キリネには何も言わずにあちら側へ出ていこうとした。しかしそれは、サイが扉に手をかけるよりも一拍早く開いた扉によって阻止された。
「す、すみません、ここの入り口使わせてください……!」
扉を開いて入ってきたのは困り果てた様子の青年だった。その顔には見覚えがある。
見覚えのある青年にサイとジェンヌは言葉を詰まらせた。何と声を掛けようか、名前を呼んでもいいものか、なんて迷っている間に青年の方が口を開いた。
「あ、あのっ、違くて、俺、情報屋なんです! けど、道に迷ってしまって……あの、教えてもらった出入口分からなくて、全然こっちに戻ってこれなくて……それで、その」
青年は弁明するように自分の状況を必死に訴えてくる。どうやら青年はサイもジェンヌにも見覚えが無いようだ。それもそうだ。彼はこっちに来た時の記憶を失っているのだから。
「ああ、連絡が取れない情報屋ってあなただったのね……タカト、で合ってるかしら?」
「あっ、はい! タカトで、す……」
名前を呼ばれて元気よく返事をした青年もといタカトだったが、改めてサイとジェンヌを見ると急に動きが止まった。否、目を見開き口をパクパクとさせて声にならない悲鳴を上げていることから、驚愕のあまりそれ以外の動作が出来なくなっている、とでもいおうか。
こっちに来た時の記憶がなくとも、こっちに来てから教え込まれた有名人の顔は知っていたようだ。
「えッ、ええッ!? リュウゾウ、さんに……ユイト様……ッ!? え? ヤバい……あ、えっと、俺!」
「ジェンヌと呼びなさいよ」
「あっ、ああ、ごごご、ごめんなさい!」
先ほどまでの緊迫した空気はどこへやら、二人を前にテンパるタカトを見てジェンヌはくすくすと笑い、サイは呆れたようにため息をついた。そんな中、キリネが不思議そうな表情を浮かべて言う。
「やっぱり、『ユイト様』ってマスターさんのことだったんだね」
「ああ……そういえばキリネに話してなかったね。ユイトってアタシの昔の名前だよ」
「そうだったんだねぇ。記憶さんがそう言ってたからそうなのかなってずっと思ってたの」
言いながら、キリネは場とは不釣り合いな嬉しそうな笑みを浮かべた。きっと、久しぶりに自分の言葉に反応してくれたサイが嬉しいのだろう。
しばらくして、タカトがサイとジェンヌにようやく慣れて普通の会話が成り立つようになると、二人は改めてタカトに状況を説明させた。
ジェンヌの言う通り、しばらく帰ってこなくて連絡も取れない新人の情報屋とはタカトのことだった。一通りの研修を済ませてあちら側での活動を始めた彼だったが、慣れない土地で帰り道が分からなくなってしまったらしい。どこに行けばこちら側に戻れるのかが分からず、しばらくさまよっていたようだ。そして今日、やっと戻れる出入口を見つけた。それがこの店だったようだ。
普通の住人であればあちら側のものにはほとんど触れることが出来ないため、出入り口を忘れてしまってもすぐに見つけ出すことが出来る。こちら側に繋がる出入口は触れることが出来るからだ。しかし、あちら側のものも触れる体質のタカトにはその判別がほとんどできない。あちら側もこちら側も同じように見える彼にとって、二つの世界の行き来はかなり難しいことなのである。だからこそ、情報屋として働けるわけなのだが。
「俺、かなり珍しいみたいで、あっち側の人もみんなはっきり見えるし触れるし会話もできるんです。だからか、まだどっち側にいるのか分かんない時もあって……ご迷惑をお掛けしました!」
自らの失態が大きくなっていることを知ったタカトは叱られた子犬のようにしょんぼりとしている。その情けない姿と、あまりに間抜けな話にサイとジェンヌは怒るどころか笑いを堪えているのはここだけの話だ。
「まあ、頑張って覚えるしかないわよね。稀有な体質だから重宝されるだろうし……まあ、危ない目に遭ってないならよかったんじゃない?」
「本当にご迷惑を……」
笑いを堪えながらフォローするジェンヌの言葉もタカトは素直に、そして申し訳なさそうに受け止めている。それがより一層情けなくて笑いがこみあげてくるのだが、彼は知る由もないだろう。
そんなタカトの表情が突然変わる。何かを思い出したのか「あ!」と大きな声を上げて立ち上がった。
「危ないで思い出しました! あっち側で、ヤバいやつがいるみたいなんです」
「ヤバいやつ?」
「はい。なんか……強そう? というか、禍々しいというか。実際見てきたんですけど、怖かったんでじっくりとは見れなかったです。あっち側でも『祟り神』とか言われてて。死亡事故が起こる度に祟り神の仕業とか騒がれてるんですよ。たしかにそいつがいる周辺の事故が多いんですけど」
「…………」
それはまさしくサイたちが対処しようとしていた『手強いの』のことだ。
エイゲンには『記憶の書』を使ってタカトが見つかったことを報告し、サイたちはタカトからもう少し詳しい話を聞くことにする。
「場所はこの辺り……学校があるところです。この学校は今では使われていません。だけど、解体もされていません。本当は別のものに活用したいようですが、工事をしようとすると必ず事故が起こるのだとか。『神』と言いつつも祀られてはいないようですけど。そいつはいつも校舎の屋上にいます。真っ黒いもやみたいなのが漂ってて、ちゃんとした姿は見えませんでした。多分、そいつがいるからかな、校舎には鳥も寄り付きません。カラスも」
「他に気になったことは? あなたの主観で良いわよ」
「気になったこと……ですか。そうですね……。もしかしたら俺が勘違いしてるだけかもしれないことなんですけど。たまに何人か、ここに向かって行ったような気がするんです。あっち側の人なのかこっち側の人なのかは分かんないですけど、それを見たような気がします。ただ、ここから出てきた人は見てないと思うんです。だから気のせいなのかなって思うんですけど」
「それは……」
サイとジェンヌは顔を見合わせた。それは気のせいでも勘違いでもない。そして事態は思っていたよりもずっと悪い。
タカトが見たと言っているのは、そこに鎮座する『祟り神』を回収しに行った回収屋たちのことだろう。もしかしたら、怖いもの見たさでそこに呼び寄せられたあちら側の住人もいたかもしれない。今となってはそれが誰だったかは分からないが、確実に言えることがあるとすれば彼らは全員『祟り神』に殺されているということだ。だからそこから出てきた者を見たことが無いし、入っていった者たちへの記憶も曖昧になる。
被害に遭った者がどのくらいの数になるのかは分からないが、新人であるタカトが見ているぐらいだ。かなりの数になることだろう。なんせ、それがいつから居たのかも分からないのだ。
「神なんて大層な名までついて……今すぐ行くよ」
「そうね。タカト、貴方は一度このことを報告しに戻りなさい。それから、私たちが戻ってくるまではここに近寄らないように伝えて。それと、定期的にここにきてキリネちゃんの様子を見に来てほしいわ。キリネちゃんはここで私たちを待ってて。もし誰を待ってるのか分からなくなったら、すぐに役場に行くのよ」
「やだ! キリネもいく!」
キリネは今にも泣きだしそうな顔でサイの服の裾を掴んで言った。その様子に敏い子だ、とサイとジェンヌは改めて思う。だがキリネの我儘を聞いてやれるだけの余裕も、それを優しく諭してやるだけの余裕もない。
サイは裾を掴むキリネの手を優しく包んで離させると、少しだけ微笑んであちら側へ通じる扉から出て行った。
そこに残されたのは悲壮感だけだった。




