世界を歌うレコード①
「きおくのーなーかにー、きみがーいるーならー」
聞きなれない歌が聞こえてきて、サイは思わず工房から顔を出した。店の中に客はおらず、キリネがご機嫌な様子で商品を並び替えている。聞きなれない歌の主はキリネだ。
「何の歌?」
即興で作った曲にしてはあまりにしっかりしている。いや、そもそも言葉の選び方がキリネじゃない。もっと大人が作ったような曲だ。
声を掛けられて初めて自分の歌がサイにまで聞こえていたことに気付いたらしい。キリネはやや飛び上がりながら歌うのをやめ、サイの方を向いてやや恥ずかしそうな表情を浮かべながら答えた。
「アリカちゃんの新しい曲だよ。この前ね、エイゲンおじさんが聞かせてくれたの」
「なるほどね」
ああ、そういえばジェンヌもそんな話をしていたと思い出し、納得したようにサイは頷いた。確か、今回は事件に関する歌じゃなくて、世界に関する珍しい歌だったか。その話を聞いたときは少しだけ興味がわいていたのに、今の今まですっかり忘れてしまっていた。所詮はその程度だ。
しかし、キリネがサビの部分ばかり歌っていたものだから、その部分だけいやに頭に残っている。
『記憶の中にキミがいるのなら 同じ空の下でキミは笑っているんだろう』
『たとえボクの目で見えなくなっても 記憶の中のキミと笑い合えるさ』
思い返してみれば確かに、アリカにしては珍しい曲だ。事件とはなんの関りもなさそうだ。だからと言って、サビの一部を聞いただけではこの世界にどう関わっているのかは分からない。
「……偶には聞いてやるか」
一度考え始めるとどうにも気になってしまう。丁度作業も中断していたことだし、サイは立ち上がると適当な上着を肩に引っ掛け、工房から出てきて店の看板をひっくり返した。突然のサイの行動にキリネは理解が追い付かずキョトンとした表情を浮かべる。
そんなキリネにサイは優しく微笑みかけて手を差し出した。
「買い物行こう」
その一言を聞くと、キリネの表情は見る見るうちに明るくなり満開の花が咲いた。
いつもと変わらない平和な街並みを眺めながら、二人手を繋いで歩く。
こうして買い物に二人で行くのは久しぶりだ。ショッピングモールに行くのはキリネの服やらアロマランプやらを買って以来なのでもっと久しぶりだ。折角だから、アリカの新曲以外にもキリネの服とか、変わった雑貨とかを買ってしまおうか、なんて少し浮かれてしまう。
「キリネは買いたいものある?」
欲しいものがあればそれも買ってやろう。そこそこ珍しいものが売っている筈だ。そんなことを思いながらサイが尋ねると、キリネは少し考えるような素振りを見せた後でこう言った。
「おみそがほしい!」
「味噌?」
予想だにしていなかった答えにサイは困惑した。
味噌。何故味噌なのか。いや、もしかしたら自分が思っているのとは違う味噌かもしれない。調味料としてのあれではないのかもしれない。実はサイが知らないだけで、そういうものがあるのかもしれない。ぐるぐるとキリネの言葉について考えるが、次のキリネの言葉によってそんな考えなど打ち崩されるのだった。
「あのね、おみそしるの味は、おみそで変わるんだよ」
「味噌汁……」
「だからね、いつもは買えないおみそで作ったら、いつもと違う美味しいおみそしるができるかなって!」
「いつもと違う味の味噌汁……」
味噌は味噌だった。まごうことなき味噌であった。
幼い子どもの欲しいものを調味料にしてしまうなんて、保護者としてダメでは無いだろうかとサイはやや落ち込む。だが、それはそれとしていつもと違う味の味噌汁は魅力的だ。それがいつもより美味しいなら尚更だ。
きっと、キリネは料理以外の楽しみをまだ知らないのだ。だから味噌が欲しいとキラキラとした笑顔で真っ先に答えるのだ。ならば味噌とは別に何かを買って、もっとキリネに楽しいものを教えてやればいいのだ。サイはそう気を取り直して、今度は子どもが喜ぶものとは一体何なのかと頭を悩ませながらショッピングモールへ足を踏み入れた。
「マスターさん、アリカちゃんの曲ってこれ?」
「ああ、それだね」
一通りの買い物を楽しんだ後で、二人は今日一番の目当てであるアリカの曲を探していた。こちら側では音楽はレコードとして売られている。CDという存在があちら側にはあるというのは誰もが知っているが、残念ながらこちら側でそれが取り扱われることはない。それを作り、聞くための技術がおそらく無いのだ。
それはそうとして。
サイはアリカのレコードを手に取る。レコードの近くには見本として歌詞カードが置かれており、なんとなくその歌詞を眺めてみた。書かれているのは当然、アリカの新曲の歌詞だ。
「……『記憶の中にキミがいるのなら』……」
次第に、サイは歌詞に引き込まれるようになっていく。サビにあたるこの部分の前後の歌詞の意味を考えると。自分の解釈が正しいとするならば。考えているうちに得体の知れぬ不安のようなものがじわじわとサイの中で渦巻いていった。
この世のすべてのものは記憶で構成されている。それは魂も例外では無い。肉体の死という概念がない、この世界における死とは一体何なのか。
それは魂を構成する記憶の消滅である。
魂を構成する記憶が消滅したとき、その魂に関する全ての記憶が消える。顔も、声も、名前も。何もかもが消えて無くなる。それが死。
故に、記憶の中に『キミ』という存在が有るのなら、例え目の前から居なくなったとしても、まだこの世には存在している。
ざっくり解釈すると、アリカの新曲はそんなことを歌っていた。
この世の死生観への新たな解釈。探偵ではなく研究者になるつもりかと言われるわけだ。……なんて、アリカのことは今、サイにとってどうでもいいことだった。かけらもその脳裏には浮かんで無かった。
考えることはただ一つ。
イロハのことだけだ。
記憶が消えることが死というのなら。死を迎えた魂の記憶が全て消えるというのなら。名前も、顔も、声も、思い出も、全てがサイの中にいつまでも遺り続けるイロハは。
「……イロハは、死んでいない」
絶対に、とは言えない。あくまでもこれはアリカの推理だ。だけどアリカは今まで一度だって確証のないことを歌にしたことはなかった。最近のアリカが何をしているか知らなくても、それだけは確かに知っている。
アリカと今すぐにでも話したい。今すぐにここを飛び出して、何もかもを知りたい。そんな衝動に駆られる。
チラリと横に目をやった。サイの隣には、不思議そうな顔でサイを見つめるキリネがいる。その顔を見ているとサイは少しずつ落ち着きを取り戻していった。こんなところで取り乱していてはいけない。
「……キリネ、ちょっと早いけど帰ろうか」
「ん? うん!」
大きく深呼吸をすると、サイはなるべく笑いかけるよう心がけながらキリネにそう言い、アリカのレコードを購入するとキリネの手を引いて足早にショッピングモールを後にした。
そして帰路につきながらふと思う。
イロハが死んだかもしれないと思ったのは、小刀で斬られたイロハが動かなくなりサイの目の前から消えていったあの日、『一人の魂が死を迎えた』という役場の記録を見たからだ。その数が少ないからか、役場では管轄する地域で死を迎えた魂の数を記録している。誰が、というのは分からず、ただその日の合計人数だけが記録されているものであるが。しかしそれも、アリカの歌にある解釈のことを考えれば仕方のないことなのだろう。死んだ魂の名前は記録にすら残らないのだ。
イロハが死んでいないというのなら、果たしてあの記録は誰だったのだろう。自分たちの記憶から消え去ったのは、一体。
「あ、」家の近くまで来るとキリネが声を上げた。「アリカちゃんだ」
扉の横に寄り掛かって難しい顔で手帳を眺めるオレンジ髪の少女。サイが今一番会いたくて仕方のない人物が、狙ったようにそこに居た。
アリカは帰ってきたサイたちに気付くと、手帳を仕舞って歩き出した。隣にキリネが居るのを見ると、咄嗟に笑顔を作るのも忘れない。
「お出かけと聞いて、そろそろ帰ってくる頃かと。お時間いただけます?」
にこにこと笑いながらアリカはそんなことを言った。サイはアリカに笑顔を向けられることに強烈な違和感を覚えながら「あ、ああ」と頷く。
扉を開き、アリカを招き入れる。ショッピングモールで買ってきたものは適当に置いて、アリカのレコードだけ取り出しておく。
「キリネちゃん」適当にお茶でも出そうかとサイが準備を始めた辺りでアリカはキリネに声を掛けた。「今から私たち二人で話をしたいから、キリネちゃんはお外で遊んでてくれるかな?」
「わかった!」
アリカの言葉にキリネは素直に頷いて店の外へ出ていく。二人とも笑顔だったが、その目の奥は全く笑っていないような気がした。




