あの日の地図と紅茶①
「もう本っ当に大変だったんだから!」
雑貨カフェ『彩』のカウンター席に座ったジェンヌは、出された紅茶を一気に飲み干すと吐き出すように言った。いつものごとく奥にこもっていたサイは、ジェンヌに大声で無理やり呼び出されたので仕方なくカウンターに立ってジェンヌの相手をしている。心の底から面倒くさそうな表情を隠そうともせずに浮かべている様は滑稽ですらある。
「そもそも行くのが遠すぎるのよ! 何回も何回も扉を経由しないとたどり着けないような場所に私が行かなきゃいけない意味が分からないわ」
「まあ……どうしようもないんじゃない? 名指しで呼ばれたんでしょ?」
ここのところ姿を見せなかったジェンヌだが、実は遠方まで出張ってずっと仕事をしていた。ようやく解放されて帰ってこれたのが今日で、ジェンヌはその足でサイの店を訪れていた。
あちら側とこちら側をつなぐ扉は、各地にある役場が管理をしている。役場で扉を用意すればあちら側の好きな場所に行けるのだが、それは役場の管轄内に限った話だ。他の役場の管轄する場所に行きたい場合は、管轄内で一番遠いところまで行って徒歩で移動、別の役場が管理する扉を使ってそこの役場へと向かい、目的地の扉を用意してもらわなければならない。
今回ジェンヌが行ってきたのは、それを七回ほど繰り返した先にある場所だった。遠いにもほどがある。
しかし、何故そんな遠くまでジェンヌが行かなければならなかったのかと言えば、それはジェンヌが名の知れた回収屋であり、実力のある回収屋でないとどうにも対処できないような輩がその地にいたからである。
「もうしばらくは仕事したくないわ……サイちゃん、私を匿ってくれないかしら」
「嫌だね。アンタと一つ屋根の下なんて御免だ」
「まったく、相変わらずつれないわね。もう少し私に優しくしてくれてもいいのよ?」
そう言いながらもジェンヌにはサイに優しくしてもらうつもりなどこれっぽっちも無いらしく、けらけらと笑いながら紅茶のお代わりを要求した。
「ちなみに」紅茶のお代わりを待ちながら、ジェンヌは意地の悪い笑みをスッと浮かべて言う。「向こうでもユイト様は人気だったわよ」
ジェンヌの予想通りサイはとても嫌そうな表情を浮かべた。その分かり易すぎる反応は最早面白さすらある。だからジェンヌは続けてこう言うのだった。
「ユイト様のファンって子が熱心に話してくれたわよ。鋭い目つきの素晴らしさとか、風格あふれる佇まいとか。いつかこっちに来てユイト様に会うのが夢だなんて言ってたわね。ユイト様に一目会えたなら、もう悔いはないし転生するんですって。それまでは絶対に転生したくないらしいわ。ユイト様をモデルにした物語を作ってる、なんて子もいたわね。えーっと……何だったかしら。『戦う姿は恐ろしいほどに美しい』ってうたい文句だったかしらね」
「ただの幻想だろ」
サイは吐き捨てるように言って、乱暴に紅茶のお代わりを置いた。やっぱりユイトのことがどうしても嫌いなようだ。その話を聞くだけでこれだけ嫌悪感を示せるというのもなかなか珍しい。
しかし、いくら面白いとはいえこれ以上不機嫌になられても困るので、ジェンヌはここでユイトに関する話を終わりにして「そういえば」と次の話題を振ることにした。それがサイの機嫌を良くするのかと言えば、決してそうではないのだが。
「私がいない間にアリカがまた新曲を出したみたいね。昨日聞いたんだけど、なかなかいい曲だったわよ」
「へえ、知らなかった」
「でしょうね。でも一度聞いてあげてもいいと思うわ。今回のは何かの事件に関する歌じゃなくて、この世界に関する歌だったから。あの子、研究者でも目指してるのかしら」
それは中々珍しい話で、サイは少しだけアリカの歌に興味がわいた。だからと言って「聞いてみるよ」なんてことを言い出すわけではないのだが、否定的な言葉が出てこないだけでジェンヌは満足のようだった。
なんて他愛もない会話を二人でしていると、カランカラン、と扉に着けられた鐘が鳴った。店の、あちら側につながっている方の扉が開かれた音だ。
「……いらっしゃい」
入ってきたのは制服に身を包んだ青年だった。高校生だろうか。
少し戸惑ったような表情を浮かべる彼に、サイは「こちらへどうぞ」と自分の目の前にあるカウンター席を勧めた。
高校生の姿で現れた、ということは、彼は高校生にしてその生涯を閉じたということである。そこに対して特別な感情がわくわけではないが、取り扱いには十分注意する必要がある。若い年齢というのは未練から狂暴化しやすい傾向にあるのだ。それに、暴れるだけの体力も有り余っている。
「あ、あの、俺……」
青年は勧められた席に座るわけでもなく、落ち着かない様子でその場所に立ったまま口を開いた。その手にはチラシのような紙が握られている。
「俺、一年くらい前に、綺麗な人に『そのときが来たらここに来い』ってこの地図を渡されて……それで、今日来たんです」
青年の話にサイとジェンヌは顔を見合わせた。それから、ジェンヌが立ち上がり青年の持っている紙を見せてもらう。そこに書いてあったのは、サイの店を示す簡単な地図だった。そしてその字はジェンヌのものだった。
「あ、私の字だ。そういえば渡したわね、こんなの」
「アンタの仕業かよ。しかも一年前って……」
「しょうがないじゃない。だって微妙なお年頃よ? しかもあっち側の子たちと楽しそうにしてたんだから。多分だけど」
「それは……そうかもしれないけど。しかもあっちと接触できるのか……それじゃあコレは使えないね」
困惑する青年をよそに、サイとジェンヌはそんなやり取りをして、サイはため息をつきながら用意していたお茶のようなものを自分で飲み干した。そして再び青年に目を向けると、「とりあえず座りなよ」と青年に促した。もう店員として接客するつもりはないらしい。
「とりあえずここの話からしようか。そのあとでアンタの話を聞かせてもらうよ。で、今後どうするか判断する。いいね?」
「は、はい」
サイに言われるがまま席についた青年は、やや緊張した面持ちで返事をした。背筋がピンと伸びてやたらと姿勢が良い。きっと、緊張しているからだろう。
その初々しい姿を微笑ましく思いながら、サイは説明を始めた。
「ここは、あっち側でいう『死後の世界』ってところだよ。あっち側で死んで、肉体を離れた魂が暮らすところ。魂はこっち側で暮らしながら、記憶を集めて、いつかまたあっち側に転生する」
「何故、記憶を?」
「あっち側とこっち側を行き来するのに記憶が必要になるのよ。片道切符みたいなものだと思ってもらえれば良いわ」
サイとジェンヌは淡々と説明をしたが、内心ではかなり緊張していた。ここで死後の世界だということを受け入れられないと発狂する可能性があるのだ。自分が死んでしまったことに気付けない魂というのは一定数いるものなのである。
だがそんな心配は杞憂に終わりそうだ。青年は少し困惑した表情を浮かべながらも、「死後の世界って、なんか普通なんですね」なんて呑気な感想を述べていた。
「普通……まあ、普通だね。こっち側でも仕事をすることもあるし、何かを食べることもある。眠くなれば寝るし、恋愛することもある。感情があるからね」
呑気な青年に一先ず安堵しながら、サイはそう説明した。しかし、青年にとってはここが死後の世界だという事実よりも『普通の生活』に驚いた様だ。目を見開き、はくはくと口を動かして何かを言おうとするが驚きのあまり声が出ていない。
青年がそんな反応をした意味をジェンヌとサイは直ぐに察した。だから、サイは温かい紅茶を用意し始めたし、ジェンヌは青年の真横まで来てその手を握った。
「ほら、こっち側の住民同士なら触ることもできるわよ。あとはそうねぇ……子供を産むことは出来ないけど、そういうことも出来るわよ」
「なッ、ちょ……ッ」
悪戯っぽく言うジェンヌに対し、青年は顔をやや赤くしながら気まずそうにその手を振り解いた。自分より少し大きな手は確かに温かくて、ずっと忘れてしまっていた感覚を思い出させた。
その感覚はじわりじわりと胸の辺りに広がっていって、鼻が少しツンとした。
自分が泣きそうになっていることに気づくと、青年はハッとした表情を浮かべたあと、慌ててその感情を堪えながら顔を上げた。ここが未知の場所であるということを思い出して、無理やり自分を緊張させたようだ。
だけどそれもサイが用意した紅茶によって呆気なく崩されることとなる。
自分のためにお茶が用意されること自体、青年にとってはかなり久しぶりのことだった。ふわりと湯気と共に香る甘い紅茶の香りも、ティーカップの温かさも、しばらくの間に忘れかけていたものだった。だから、それに口をつけたあと、とうとう青年の目からポロリと滴が落ちてしまうのだった。
「……俺の話、聞いてくれますか?」
その後何口か紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせた後、青年はそう切り出した。そして、サイとジェンヌが優しい表情で頷いたのを確認すると、青年は口を開いた。




