白熱の雪合戦①
しんしんと真っ白な雪が降り積もっていく。
この前は雪を見てはしゃいでいたキリネだったが、あの日からどこか元気のないキリネは物憂げな表情で窓の外を眺めるだけではしゃぐ気配は一切無い。
そうなってしまうのも無理のないことだ、とため息をつきながらそう思ったサイだったが、ふと、どうしてキリネがあの場所を知っていたのかが気になった。あの場所は、サイとイロハが最後に行った場所だ。だというのに、どうしてキリネが思い入れのあるようなそぶりを見せたのか。あの反応は、ちょっとやそっとの思い出ではないはずだ。
「……キリネ、ちょっと嫌なこと聞いてもいい?」
それを理解することがキリネを理解することにつながると信じてサイはキリネに声を掛けた。時には痛みを伴うことだって必要だ。いつまでもキリネに対して幻想を抱き続けるのもお互いによくない。
「なあに、マスターさん」
「この前言ってた場所、どうしてキリネが知ってたのか教えてほしいんだ」
最悪、思い出しただけでキリネが泣き出してしまうことすら想像していたサイだったが、予想に反してキリネは冷静だった。笑いこそしないが、表情一つ変えずに「いいよ」と言うと窓から離れてサイの隣に立ち、その小さな手でサイの手を握った。
直後、サイの意識は何かに飲み込まれていった。
「ッ!? ここは……!?」
気づくとそこは紅葉の美しい並木道のど真ん中だった。それはキリネが普段身に着けているストールの中の記憶なのだが、そのことをサイは知らなかった。ストールの記憶について、『キリネが知ってる景色』程度にしか認識していなかったのだ。
サイにとっても嫌というほど記憶に残る景色が目の前に現れて、呼吸が急に苦しくなる。ドクンドクンと脈打つ音が嫌に耳に響いた。
「マスターさん、落ち着いて。今は違うのに変えちゃうから」
サイの手を握ったままのキリネはサイの方を見ずにそう言うと目を閉じて手のひらを目の前に翳した。すると並木道が揺らめいて次の瞬間にはよく見慣れた雑貨カフェ『彩』が目の前に現れる。ちなみに、こちら側の外観だ。
「元々知ってるところだったみたいなんだけど、マスターさんとストールを一緒に作った時に見たの。それでね、キリネ、この中ならいろんな事ができるの」
翳した手を空に向けると桜の花びらが舞い始めた。どこにも桜なんて無いのに。ひらひらと舞う花びら一つにキリネが手を伸ばすと、花びらは真っ白な雪に姿を変えた。それからやっとサイの方を向いて「ね?」とキリネは微笑む。サイは言葉を失っていた。
いつの間にこんな力を手にしていたのだろうか。
元々潜在的な能力があれば、記憶を得る内にその能力が開花することはよくある。これがキリネの持つ本来の能力だと言われればそこまでの話だ。分かっている。たとしても、驚かざるを得ない。なんの力も持たないか弱くて幼い子どもだと思っていたからだろうか。
それに、あっさりとキリネはやってのけたが中々これは危険な能力だ。記憶の中に入り込むどころか、他人の精神すらそこに取り込むことができる。そして、やろうと思えば閉じ込めてそこから出さないことが可能な筈だ。現にサイにはここからどうやって出るのか、その方法がわからない。悪用されたら一貫の終わりだ。
サイがそんなことを考えている間も、キリネはぬいぐるみを出したり、自分の服装を変えてしまったりしながら「見て見て、マスターさん!」と誇らしげな表情を浮かべていた。いつか買った兎の耳がついたパーカーとショートパンツに身を包んだキリネには見慣れないながらも愛らしさがある。
雪で遊び始めたキリネの無邪気な姿を見ていると、危険な能力でもキリネならきっと大丈夫だろうという思いが芽生えてくる。いつの間にか緊張してしまっていたサイは深くため息をつくとポツリと呟いた。
「……つまり、アタシがキリネに教えてたってことか」
自分がいつあの場所の記憶を持っていたのかは分からないが、きっと誰かの記憶にでも紛れ込んでいたのだろう。キリネの力を借りて記憶を回収するようになってからは、回収が難しい虫や動物の記憶なんかも回収できるようになっている。人も虫も動物も、植物だって移動をする。石だって移動するし砂の一粒だって常に移動し続けている。故に、誰かの記憶の中に全く別の場所の記憶が紛れ込んでいるのは当然のことだ。それが偶々知っている景色だった。サイはそう納得することにした。
「ねえねえ、マスターさん」雪遊びをやめたキリネはサイの目の前までやってくると、さっきまでのはしゃいだ表情を一変させてこう尋ねた。「あっち側にあるものって、キリネたちは触れないんだよね?」
疑問を隠しきれない真面目な表情でジッとサイを見つめながらキリネは答えを待っていた。遊んでいる内に何か思い出したのかもしれない。それが何のことであるのかは分からないがサイは「ああ、そうだよ」とキリネの疑問に答えてやることにした。
「触れる人もたまに居るけど、少なくともキリネやアタシはあっち側のものは触れない。能力を使って、あっち側のものをどうにかすることは一応出来るけど、それは頑張らなきゃいけないし、本当はダメなことだね」
それでも空を飛ばずに足場があるところを歩くのは、潜在意識の中でそういうものだと思い込んでいるからだという説がある。実のところ理由は分かっていないし、もしかしたら誰でも自由にあちら側の空を飛べるのかもしれないが。
もう少し厳密にいうと、触れないのではなく影響を及ぼせない、という方が正しい。例えば、あちら側の世界でその辺に転がっている小石をキリネたちは蹴飛ばすことも持ち上げることもできない。扉を開くことはできないし、草花を踏んでもそこに足跡をつけることはできない。だけど、走って風を起こして、その風が石や扉を動かし、草花を揺らすということはできる。
そんなことをなるべくキリネが理解できるように噛み砕いて説明してやる。キリネはなんとなく分かってくれたようだが、疑問は全く解消されてないようだ。むしろ謎が深まってしまったのか眉間にシワが寄っている。
「それじゃあ、この前みつけた小刀は、どうしてキリネもマスターさんも触れたのかな」
次にキリネの口から出た言葉はこれだった。
そう、本来ならば木から引き抜くことはおろか、持つことだって出来ない筈である。だが実際には木に突き刺さっていたそれをサイは引き抜いたし、キリネはそれを受け取って手に持っていた。
キリネの最もな疑問にサイは「ああ」と呟いた。それと同時に、キリネの鋭さに感心した。そこに疑問を持つことができるのか、と驚いてしまった。
「たまにね、あっち側にあるものだけど半分こっち側のもの、みたいなものがあるんだよ。例えば呪いが込められた人形とか、妖刀とかだね」
「ん、と、どういうこと?」
「あっち側には無い力が込められてるものって言えばいいかな? 呪いの人形にはこっち側の住人になった誰かの想いが込められてる。妖刀に込められてる能力が何かっていうのはアタシには分からないけど、そういうものって言われてるよ。あとは……そうだな、付喪神ってキリネは分かる?」
サイの質問に対してキリネは少しだけ首を傾げた。よく分かっていないらしい。サイ自身もそこに詳しいわけではないが、なるべく分かってもらえるよう言葉を選びながら説明を続ける。
「付喪神っていうのはね、古い道具に神様とか魂とかが宿っているもののことを言うんだよ。本当なら道具に命はないけど、道具が命を持つって言えばいいのかな。ちょっと違うかもしれないけど。まあ、そんな感じ。それでね、付喪神が宿った道具もあっち側には無い力をもってるってことになるからアタシたちも触れるんだ」
「神様が、やどってるから……」
「そう。うーん……不思議な力をもってる道具が触れるって思ってくれればいいかな。それで多分、あの小刀はそういったものだったんだろうね。付喪神が宿ってたんじゃないかなってアタシは思うよ」
刀身が焼けてしまったからその付喪神も居なくなってしまっただろう、とまでは言わなかった。あの小刀を見てキリネは涙を流していたのだ。そんな現実を突き付ける必要はない。
「キリネたちが触れるものを持って帰ってくることはできるの?」
「残念だけど、それは出来ないね」
中身がこちら側のものだとしても、本体はあくまでもあちら側のものだ。人が肉体を持ったままこちら側の住人になれないように、道具もまたこちら側にくることはできない。行き来できるのはあちら側で目に見える形にならない魂と記憶だけだ。
だから、あの小刀はあちら側で誰かが気がつくまで永遠にあの場所に在り続けるのだ。いつか長い時間が経つ中で朽ちて土に還るその日まで。
それを聞くとキリネは「そっか」とだけ言った。そう言う表情を見ると、サイの胸がチクリと痛んだ。だがかける言葉は見つからず、サイが何かを言う前に「あ、」と何かに気付いたキリネの呟きに遮られた。
「エイゲンおじさんが来るみたい。戻らないとだね」
「え?」
驚くサイをよそに、キリネはサイの手をぎゅっと掴んだ。すると景色がまた変わってカフェ店内に戻って来る。それとほぼ同時に店内を歩く足音が響き、見知った顔がひょっこりと顔を出した。
「よう、サイ。突然だが雪も積もったことだし恒例のあれをしようと思ってな。キリネちゃんと一緒に参加しないか?」
ヘラヘラと笑いながらエイゲンはそう言った。突然記憶の中から戻ってきた戸惑いと、キリネが記憶の外の状況を把握していたという驚きでサイが反応できずにいる間にキリネがエイゲンに「あれってなぁに?」と問う。
キリネに興味を持ってもらうことを企んでいたのかもしれない。エイゲンはニヤリと笑うと、しゃがんでキリネの目線に合わせながら言った。
「回収屋と役場職員と、あとは暇人たちで雪合戦をやるんだよ」
勿論、サイが断る暇もなく雪合戦は参加になった。




