桜のペンダント②
サイは箱から青い宝石を取り出すと、それを真っ暗な液体で満たされた容器の中に丁寧に沈めた。
すると、宝石は段々溶けていき、液体の中に広がっていく。
「このときにどんな記憶なのか見ていくんだよ。大体、一番新しいやつから浮かんでくる」
パチン、と黒いゴム手袋をしながらサイは言い、容器の中を覗き込んだ。そこには薄い膜のようなものができて、一人の老人の手と、その手に撫でられて気持ち良さそうな表情をする黒猫が写し出されていた。これが記憶の一欠片だ。
サイはその膜を両手ですくうと、小さく丸めて容器の隣の板の上に乗せた。丸められた記憶は真っ白な光を放ち、先程の記憶は写し出されていない。
「あとはこれを練って形にしていくだけ。色はこの色材を使ってつけていくんだ」
板の近くに置かれていた小瓶を一つ持ち上げると、サイはその蓋を開けた。中には赤色の粉が入っていて、それを白くて細長いスプーンですくうと真っ白な丸められた記憶にかけた。それをこねて、粘土のように扱ってサイは形を作っていく。
途中でいくつか小さく千切って切り離すと、大きい塊を薄く伸ばした。そうやってたまに色材を加えながら練って形にしていくと、最終的にレースのリボンと数種類の金色の金具、それから猫を象った黒いチャームが出来上がる。
こんなバラバラのパーツではなくて、完成したものがででてくるものだと思っていたキリネはそれらを見てキョトンとした表情を浮かべた。
「マスターさん、これ、何?」
「部品。これからアタシが組み立てて、並べてるようなちゃんとした商品にしてくんだよ。いきなり商品の形にすることもできるんだけど、アタシは部品を作ってから組み立てるようにしてる」
「どうして?」
「どうしてって聞かれると特に意味はないんだけど……まあ、そっちの方がアタシが好きだから、かな」
モノを作るのが好きでこんなことやってるんだしね、とサイはやや照れくさそうに笑った。
その感覚が分からないキリネは、それを聞いてただ「ふーん」とだけ返す。しかし、サイの手の上で部品が組み合わさって一つのものになっていくのを眺めているのは楽しく感じるものがあった。
「うん、こんなもんかな」
すぐに組み立ては終わり、記憶から生まれた部品たちは落ち着いた赤色のチョーカーになった。リボンよりも長い目の細かいチェーンがたるんだ状態で下部につけられ、チェーンとチェーンの間、チョーカーの中央に当たる部分には黒猫のチャームがつけられている。
本当はレースのリボンではなくて革のベルトにしようかと思っていたようだが、それでは首輪っぽくなってしまうのでやめたらしい。イメージは記憶の中にあった黒猫の首輪なので、それでもあながち間違えではないのだが。しかし商品とする以上、親しみやすいデザインの方がいいに決まっている。サイは商売をする上での心構えも備えていた。
「こんな風に、その中にいれて浮かんできた記憶を一番いい形に変えてってる。最終的に、浮かんでこない記憶の残りみたいなのが出てくるから、それらはまとめて瓶の中にいれてる。んーと、これがそうだね」
サイは言いながら先程の容器を指して、次に棚から瓶を取り出した。瓶の中には様々な色に変化し続ける液体のようなものが入っている。
「ここには色んな人の記憶が混じってる。これを店で出してる飲み物とかに加えるんだ。そうすると、普通に作ったものよりも、含まれる記憶の量が段違いに多くなるんだよ」
現在、この店ではサイが作ったカクテル等にこの記憶の液体を混ぜて売っている。特に加えることで味や見た目が変化してしまうことはない為、今後キリネの料理の腕前が更に上がったら、飲み物だけではなく食べ物も記憶入りで売り出すことになるだろう。
だけど、そんな話をしてもキリネの興味はもうそこに残っていなくて、キリネの興味は今、部屋の隅にある箱の中身に向けられている。箱の中にはアクセサリーや本など、店に商品として置いているものと同じようなものがごちゃ混ぜになって入れられていた。
「これは?」
「ああ……それはまだ店に出せないやつ」
「『まだ』?」
「そ。当面の間は無理。たまにあるんだ、記憶の持ち主の想いが強すぎて、記憶が触れた者を呑む奴。その中に入ってるのはそういう奴。だから、危ないから触るんじゃないよ」
「え?」
なんて言ったときにはもう遅かった。
キリネは好奇心の向くままに、箱の中から桜の花びらのモチーフが特徴的なペンダントを取り出していた。透明な花びらの中に、ピンク色の小さな模様がラメと共に描かれているものに気を引かれたのだろう。
だがサイの言うとおり、いくら綺麗でもそれは想いが強すぎるあまり取り込まれてしまうような危険なもの。サイがキリネに手を伸ばすよりも早く、キリネはペンダントの中に意識を吸い込まれていった。
「わぁ……」
キリネが目を覚ますと、目の前には満開の桜の大木が一本あった。辺りはピンクの花びらが絶えず舞っていて、柔らかな白い光と舞い続ける桜の花びらが視界を埋め尽くしていた。
そんな思わず声が漏れてしまう程幻想的な景色の中、キリネはふと桜の木の下に誰かが居ることに気がついた。それは男のようで、紺色の着物を身に纏って、背中を桜の木に預けていた。
男も含めたこの光景に、キリネは覚えがあった。
だがどこでこんな景色を見たのか、それは全く覚えていない。とても奇妙な感覚だった。
その男が誰なのかもキリネは知っている。知っていたはずだ。だけどそれが誰なのか、今のキリネにはわからない。知っているはずなのに、とキリネはモヤモヤとした感情を抱く。
とりあえず顔だけでも見てみれば何か違うかもしれない、と考えて男の正面まで歩く。
男の正面までくると、キリネは男が左の脇腹を庇っていることに気がついた。そして、脇腹を押さえる手の間からにょっきりと小刀のようなものが生えているのも、その辺りから真っ赤な血が滲んでいるのも気づいてしまった。
「…………?」
おにーさん、と声を掛けようとした。だが声が出ない。キリネは首をかしげながら喉元を押さえたが、特に変化はない。やはり声はでなかった。
キリネの声が出ない代わりに、男の方がキリネに気付いて声を掛ける。
「────」
男がなんと言ったのかはすぐに忘れてしまった。どうしてか記憶に留まらずに溶けるように消えていってしまった。だけどやっぱりその声には聞き覚えがあった。
誰だろう、とキリネは考える。が、男が「おいで」と両腕を開いたのでキリネは考えるのをやめてそちらに向かうことにした。そうしたい、と思ってしまったのだ。
「キリネッ!」
あと少しで男に触れる。その直前でキリネは肩を掴まれ動きを止めた。耳元で響いた声に驚きながら振り返ると、そこには息を切らしたサイが安堵したような表情で立っていた。
「間に合ってよかった……とりあえず戻るよ」
キョトンとした顔のキリネに深いため息をつきつつ、サイはそう言ってキリネの右手を握り、空いた右手で宙を薙いだ。その腕はいつの間にか前に見た竜のような腕になっている。
薙いだ直後色の洪水が起こり、満開の桜も桜の花びらも腹部を刺された男も洪水に呑まれて消えていった。そして最後に残ったのは大量の物で溢れ返ったサイの工房、つまり現実だった。
「いい、キリネ。もしこの先、さっきみたいに記憶に呑まれたら、絶対にその中のモノに触るんじゃないよ」
「……もしさわったら?」
戻るなり怒ったような口調のサイにキリネは少しだけ姿勢を正した。よく見れば表情も怒っているように見える。
「触ったらもう戻ってこれなくなる。そん中に閉じ込められるんだよ。だから絶対に記憶の中のモノには触らない。いいね?」
コクンとキリネが頷くと、「いい子だ」とサイは表情を和らげた。それからキリネの近くの箱を漁って先程のペンダントを取り出すと「じゃあこれ、あげるよ」なんて言う。
「え?」
当然キリネは驚く。だって、たった今その中に呑まれたばかりじゃないか。それに、『まだ』商品にできないのであって、そのうち商品に出来るのではないか。キリネの頭でそこまで考えられたのかは分からないが、浮かんだ疑問は概ねそんな感じだった。
そして、その疑問が浮かぶことを先読みしていたサイはこう言うのだった。
「さっきアタシが思念をしばいたから触っても平気だよ。それにその中の記憶、キリネに関係するんだろ? だったらキリネが持ってるべきだよ」
身に付けていれば、何度だってその記憶を見れるよ、とペンダントの使い方までレクチャーして、桜のペンダントはキリネの物になった。
だからキリネは、それから毎日桜のペンダントを身に付けるようになった。