宝石の約束②
約束から三日後のこと。サイとキリネは役場を訪れていた。
「マスターさん、えっと、今日って……?」
今日はイロハと最後に行った場所に行く。その予定のはずだったのだが、何故かあちら側には向かわずに役場に来たのをキリネは困惑しながら尋ねた。だが、約束をしたときに見たサイの表情が脳裏を過ぎって上手く言葉が出ない。
そんなキリネを見てサイは力を抜いたように微笑んで見せた。そして「大丈夫」と口を開く。
「勿論そこに向かうんだけどね、なんというか……アタシの知ってる入り口から行くとあそこはちょっと遠いんだよ。だから役場からいくのさ」
言いながら、そういえばキリネに詳しく役場のことを教えてあげたことがなかったと思い出した。回収屋になると言い出した時もそれを絶対に阻止するために役場の話は一切しなかった。
「役場はね、こっち側の住民が誰とか、こっち側で仕事をするための手続きとか、あっち側に行って回収してこなきゃいけない魂のこととか、そういうのを全部やってるところなんだよ。あとは、あちら側のどんなところでもここからは行けるようになってる」
「どんなところでも?」
「そう。どんなところでも。ここに行きたいって伝えれば入り口を作ってくれるんだよ」
へぇー、とキリネは感嘆の声を上げた。実際はどこまで理解しているのかは分からないが、ここからならどこにでも行けるということさえ分かってくれれば今はそれでいい。
説明をしながらサイは、役場でならイロハが転生しているかどうかを調べることが出来るであろうことを思い出した。転生していないことが分かれば、本当にイロハは死んでしまったのだという現実を直視することになるからずっと避けていたが、一度調べてみてもいいのかもしれない。今ならそう思える程度の余裕がある。もしかしたら、そんなことは既にアリカが調べているのかもしれないが。
「おやおや、懐かしい顔デスねぇ」
話をしながら受付に向かって歩くと、受付に座っていた職員の一人がそう声を掛けてきた。職員は髪も肌も真っ白で触れれば折れてしまいそうな危うさがある。吊り上がった糸目が特徴的だが、美人と評して問題ない。
そんな彼女に気付くなり、サイは少し嫌そうな表情を浮かべた。
「まだ人に化けて遊んでるのか」
「嫌だなぁ、遊んでるだナンて。どんな種族だろうと相手にできるワタシって貴重な存在なんデスよ?」
素直すぎるサイの表情にカラカラと笑いながら彼女は言った。それはまるで彼女が人ではないかのような口振りだ。
「ああ、そこのお嬢さんは初めましてデシタね。ワタシ、本来はこういうものデシて」
サイの隣でじっと二人のやりとりを見ているキリネの存在に気付くと彼女は受付から身を乗り出し、ポンとその姿を変えて見せた。
「きつねさん!」
受付カウンターの上に現れた真っ白な毛並みの狐にキリネは声をあげた。そのフワフワな毛並みに触れてみたくてソワソワしているようにも見える。
キリネの悪くない反応に、狐の彼女は満足げだ。やや誇らしげな表情をサイに見せつけている。
この姿の通り、彼女の本来の姿は狐だ。彼女曰く、化け狐として過ごしていた期間が長かった為に、狐以外の姿に化けることが得意なのだという。その特技を生かして役場で人間から虫まで、幅広い種族の対応をしているらしい。もしかしたら化かしているだけでそんなこと微塵もしていないかもしれないが。少なくとも、人間を相手に仕事をしているというのは確かである。
「人間のように決まった名前ナドは持っておりまセンので、その辺りはお好きなように。それで、本日はどのヨウなご用件で?」
しかし、狐の彼女はそれ以上の感情を表には出さず、淡々と仕事に戻る。いつの間にか狐の姿から人間の姿に戻り、背筋をピンと伸ばして受付カウンターの内側に立っていた。
用件を聞かれて一瞬サイは言葉に詰まったが、なるべく平然を装ってイロハと最後に行った場所へ行きたいのだということを伝えた。
「なるほどなるほど……相変わらず人間というものは難儀な生き方をしたがるものデスねぇ」
狐の彼女はそれ以上は何も言わず、「どうぞ」と目的地へ繋がる扉の方向を指すと、さっさと受付の奥へ消えていってしまった。
サイとキリネは一度顔を見合わせてから、しかし何か言葉を交わすわけでもなく彼女が指した方へ歩き出した。二人ともどことなく緊張した面持ちで、扉の前に着くまで一言も言葉を交わすことはなかった。
やがて扉の前に着く。
何の変哲もない扉だが、開けば全く別の景色が広がる。受付からここに来るまでの間、サイの頭の中では七年前のあの日の記憶が繰り返し流れていた。あの日から今日に至るまで、サイはずっとこの場所を恐れ、遠ざけていた。この場所に来たら最後、動けなくなってしまうんじゃないかと不安でならなかったからだ。
サイは大きく深呼吸をした。大丈夫、キリネもいる。そう自分に言い聞かせて、そっとドアノブに手を掛けた。
家を出てからずっと、サイとキリネは手を繋いでいる。その小さな手の感触を確かめながら、サイはゆっくりと扉を開いた。
「……! まっしろ!」
扉を開くと銀世界が広がっていた。
初めて経験する雪に、キリネは目を輝かせながらサイの手を引いて一歩、また一歩と雪景色の中へ足を踏み入れていく。
こちら側の住人であるサイとキリネは、あちら側のものに対して影響を与えることができない。だからいくらその雪の上を歩こうとそこに足跡がつくことは無いが、その凍えるような冷たさだけは確かに伝わる。冷たいだけで雪遊びができないのがやや残念だ。
「……この辺りがイロハと最後に行った場所だよ。逃げる相手を追いながらの戦いだったから、どう移動したかまでは憶えてないけど」
言いながらサイは目を閉じる。息を吸う度入り込んでくる冷たい空気は気分を改めるのには良さそうだった。あたり一面雪化粧をしているおかげか、あの日のことを強く思い出して取り乱すこともない。そこにあるのはほんの少しの懐かしさと、胸をチクリチクリと刺す痛みだけだ。
キリネはそんなサイの様子を気にしながらも、ゆっくりとどこかに向かって歩き出した。その足取りは何かに導かれているようにも見える。もしかしたら本当に、何かの記憶に呼ばれて歩いているのかもしれない。
少し歩くとキリネはピタリと立ち止まった。そして辺りを見回し、驚いたような表情を浮かべる。
「……一緒だ」
言いながらキリネは首に巻いたストールをキュッと掴んだ。歩いた先にあったのは枝に雪をいくつも乗せた木々の並ぶ並木道だった。しかし、この景色には妙に見覚えがある。
それもその筈だ。季節こそ違うが、この場所は十一月のストールに込められた記憶と全く同じ場所なのだから。最近見たばかりの景色だから見覚えがあるに決まっている。
このまま並木道を真っ直ぐに進んでいけば大きな屋敷に突き当たり、そこを右に曲がればあの紅葉の大木がある筈だ。
キリネはチラリとサイの表情を窺ってから並木道を歩き始める。サイはそんなキリネの姿を最初は不思議に思ったようだが、ストールを握ったのを見て思い当たったのか何も言わずにその隣を歩く。
二人の足が次に止まったのは、並木道を抜けた先にある大きな屋敷の前だった。
「なんで……?」
そこにはみる影もなく焼け落ちて無残な姿になった残骸に雪が降り積もっている光景があった。ストールの記憶にもあった屋敷の成れの果てである。
予想だにしていなかった姿にキリネの口からは思わず落胆と驚愕の入り混じる声が漏れた。それから慌てたように右へ曲がる。屋敷がこの姿なら、あの大木はどうなってしまったのか。気持ちばかりが急いてしまい足がもつれそうになる。やっとの思いで大木まで辿り着くと、とうとうキリネはそこで膝をついた。
炭のように燃えて真っ黒になった幹。一部はボロボロと崩れ落ちており、途中でぼっきりと折れて屋敷側へ倒れてしまっている。そこにかつての姿など見る影もない。倒れた部分は屋敷の残骸と共に崩れ落ちており、恐らく先に大木が燃えて、大木が倒れたことで屋敷に火が燃え移ったのであろうことが想像出来た。
「……なんだ、これ」
言葉を無くしたキリネを見ていられなくなったサイが視線を落とすと、焼けた幹の根本付近に不自然な出っ張りがあるのが見えた。近くで見てみると、どうやらそれは何かが木に突き刺さっている事がわかる。
それに手を伸ばしてそっと引いてみると、意外にもそれは簡単に抜く事ができた。木同様に焼けてボロボロになったそれは刀のようにも見える。そのことに気づくとサイの喉がヒュッと鳴った。
嫌な汗がじわりと滲む。だけどこんなところで取り乱すわけにはいかない。サイは目を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返すと、手に持ったそれを地面に置こうとした。が、それはいつのまにかサイの真横に移動していたキリネによって阻止されることになる。
「……熱かったね。熱かった、よね……」
サイが手放したそれを持つと、キリネの瞳からポツリと一粒の滴が落ちた。声は掠れて震えていた。
そのまま二人はしばらくの間そこから動けず立ち尽くしていた。
いつのまにか降り始めた雪は辺りの空気をより一層冷やし、焼け落ちた大木と屋敷を白く染めていく。
かつての痛みは別の形となって新しく刻まれてしまうのだった。




