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宝石の約束①

 この日、雑貨カフェ『彩』に珍しい客が来ていた。

 オレンジ色の髪を不機嫌そうに揺らしながら入ってきた彼女は、迷いのない動きでカウンターまで行くと、その奥へと続く扉に向かって言った。


「借りたいものがあるんですけど」


 聞き覚えのある不機嫌そうな声に驚いたサイは、色々なものにぶつかりながら作業場から出てくる。七年間、何が有ろうと絶対にこの店に寄り付かなかった彼女があろうことか店の中まで来ているというのはある種奇跡に近い。


「……アリカ?」

「はい、アリカです。で、借りたいものがあるんですが」


 物凄く不機嫌そうなアリカは、とても探偵アイドルと同一人物とは思えないほどの低い声で言った。一言一言全てがサイを威嚇しているような気さえする。ファンが見たら泣きそうだ。

 服装は至ってラフで、地味な丸メガネをしている。他人が見ればもしかしたら変装の類かと思うかもしれないが、むしろこちらが彼女の素に近いことをサイは知っている。肩に下げたショルダーバッグの紐をグッと握りしめたその表情は不機嫌で且つとても堅かった。

 長居するつもりは一ミリだってないらしく、目的のものを借りれれば今すぐにでも帰りたいアリカはカウンター席に座るそぶりを見せない。一応客として扱おうとしたサイの動きを無言で制止する程度にはここに留まる気が無いらしい。


「イロハさんの記憶の宝石。エイゲンさんから受け取ってるってリュウちゃんから聞きました。それを貸してください。事が済んだら返します」


 イロハの名前を聞くなりサイがピクリと反応したのをアリカは見逃さなかった。そしてサイの出方を伺う。刺激の仕方によってはサイが豹変する可能性だってある。アリカはそれを重々承知していた。だからこそ、今までここに寄り付きたくもなかったのだ。ほんの一言、名前を発するだけで豹変するようになってしまったから、アリカはサイを毛嫌いするようになったのだ。


「……理由は?」

「調査の為です。私の中に解明したい謎がありまして」


 サイはあえて聞いたが、聞くまでもなく分かり切っていたことだ。そして恐らくアリカはイロハがその後どうなったのかを調べようとしているのだ。あれが致命傷となり本当に死んでしまったのか、はたまた死んでしまわず転生することができたのか。恐らく、当時のイロハもすでに転生の条件を満たしていただろう。だけど、あの状態から転生ができたかどうかは分からない。そんな余裕はなかったんじゃないかと、サイはずっと思っていた。それに、あの日確かに一つの魂が消滅したという記録が残っている。転生したのではなく、消滅。それはこの世界における死を意味していた。だけどキリネが現れた。イロハにそっくりなキリネを見ていると、やっぱりイロハは転生することができたんじゃないかと希望を持ってしまう。偶然あの日に別の誰かの魂が消滅してしまっただけで、イロハはそうではなかったのだと期待してしまう。

 そう考えたのはアリカも同じだった。そして、アリカはその謎を解明するために動き出したのだ。

 アリカに任せることが、この場でイロハの記憶の宝石をアリカに渡すことがいずれ自分の為になるということは頭の中では分かっていた。それでもサイは、イロハの記憶を一瞬でも手放すことを躊躇ってしまう。七年もの間離れ離れだったのだ。もう離したくないという執着心が邪魔をしてくる。

 どうするべきか。どうしたいのか。いろいろな思惑がサイの中で渦巻いてしまい結論が出ない。イロハの笑顔や、あの日見たイロハの最期の姿が何度も脳裏をチラつく。じっとりと嫌な汗が流れ出て、呼吸ははっはと荒く浅いものを繰り返す。空気はほとんどうまく取り込めていなくて、まるで水中に溺れて行くようだ。自分の心音が厭に響いて他の音はぼやけて遠い。ずっしりと重たい何かがまとわりついているような気さえした。

 そうして渦巻いた思考でぐちゃぐちゃになって身動きが取れなくなったころ、小さな手がそっとサイの手を握った。


「マスターさん、大丈夫?」


 心配そうなキリネの声にサイはハッとした。不思議なことに、小さな手の温もりがぐちゃぐちゃになった思考をクリアにしていく。身体の重さはいつの間にか消えていて、心音がやかましく響くことも無くなっていた。


「あのね、マスターさん。キリネ、お話し聞いちゃってたんだけど」


サイが自分に気づいたのを確認してから、やや申し訳なさそうにキリネは口を開いた。キリネはずっと商品棚の整理をしていたので、同じ室内であるからサイとアリカの会話は当然筒抜けだった。だからキリネが申し訳なく思う必要は本来ないのだが、盗み聞きをしているような気分になってしまったのだろう。眉を下げてしょんぼりとした表情を浮かべながらキリネは言う。もしかしたら盗み聞きの罪悪感だけではなく、サイの様子がおかしいことに対して気が沈んでしまっているのかもしれないが。


「アリカちゃんに宝石渡しちゃっても、イロハって人はマスターさんのところからいなくならないと思うの。んとね、だからね」

「……ありがとう、キリネ」


 一生懸命言葉を探すキリネにクスリと笑いながらサイはその頭を軽く撫でた。言わんとしていることは分かる。キリネはサイを安心させようとしてくれたのだ。

 キリネの言葉に決心がついたのか、サイは作業着のポケットから小さな袋を取り出し、それをアリカに差し出した。普段からそれを身につけていたようだ。

 袋の中には桜色にも夜色にも輝く宝石が一つ入っている。


「……これをお預かりする以上、必ず解明します」


 サイから小さな袋を受け取ったアリカは、より一層表情を硬くしてそう言った。そして、宝石の入った小袋をショルダーバッグを開いて丁寧にしまうと、別れの挨拶も無しに、くるりと踵を返し店から去ってしまった。キリネのことも視界に入っていただろうに、最後までアリカの表情が柔らかくなることは無かった。

「ねえねえ、マスターさん」扉が閉じる音がした後でキリネは口を開く。「キリネ、今度はイロハって人とマスターさんが最後に一緒に行った場所に行きたい」

 それはほんの少し勇気を出さなければ口にすることなどとてもできないような提案だった。それは、サイの地雷原に足を踏み入れることに等しい。だけど、アリカとのやり取りを見ていてそう言わずにはいられなくなってしまったのだ。自分だってサイの役に立てるのだと主張したいのかもしれない。或いは、そこでイロハに関する記憶を見つけることができれば、サイが笑ってくれると思ったのかもしれない。

 だが、キリネの言葉を聞いたサイの表情は悲痛だった。

 その表情を見て、キリネは「あ」と口を開いた。違うのだ。そうではなかった。そんな表情をさせるために言ったつもりではなかったのだ。そう言いたくて、弁解をしたくてパクパクと口が動いた。だけどそれはとうに遅く、キリネが何かをいうよりも早くサイが言った。


「……そうだね。じゃあ、今度行こうか」


 そう言ってサイは微笑んでみせたが、その笑みはどう頑張ってもとても好きになれそうにはなかった。


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