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魅惑の豚汁

 とん、と軽く地を蹴る音がして直後彼らはサイの姿を見失った。

 いない、と思った時には既にサイは背後に回っていて、右腕から繰り出される竜の爪が全てを切り裂いた。切り裂かれた魂が完全に消滅してしまう前に、サイは手早く黒い箱を人数分取り出して魂を回収する。ついでに分離した記憶の塊は別の袋に入れた。


「さっさと次行くよ」


 一連の動作を終えると、サイは返事も待たずにスタスタと歩き出した。その声に気付いて相手取っていた魂を慌てて回収したエイゲンは小走りでその後を追う。

 今日も回収の仕事をしているが、サイと共に行くのはジェンヌではなくエイゲンだ。ジェンヌとは別行動である。

 今日、サイとエイゲンが来ているのはとある学校の旧校舎だ。よくある話だが、なかなか凶悪な奴が居着いてしまい、それに引きずり込まれてめでたく死亡したものも集まりに集まって旧校舎だけでちょっとした学校が出来上がっているレベルなのだそうだ。

 あちら側と接触ができる情報屋が調べたところによると、この旧校舎は取り壊しが決まっているが、いざ取り壊そうとすると悲惨な事故が立て続けに起こり、不運にも亡くなるものが後を絶たないのだという。本当によくある話だ。

 その数の多さと、あちら側に影響を及ぼす凶悪性からサイが呼ばれ、エイゲンが就くことになったのである。ジェンヌではなくエイゲンが選ばれたのは、純粋に数を相手にするのに有利なのがエイゲンだからというだけである。


「なんだよ、今日は随分と機嫌がいいんじゃねえの?」


 旧校舎の階段を駆け上がるサイを追いながらエイゲンは半笑いでそう言った。

 サイはそんなエイゲンに何の反応もせず、それどころか視線すら寄こさず、走った勢いをそのままに一気に跳躍して数メートルほど先にいた人影に飛び蹴りを食らわせた。蹴った一人とその後ろにいたもう一人をまとめて吹っ飛ばしてから着地を決めると、更に流れるような動きでハイキックをその横にいた一人に決めた。


「よし、これで十三人」

「なあ、もしかして俺必要なかったんじゃねえの?」


 いつになくハイペースで回収を進めていくサイに、エイゲンはやや悲しそうな表情で言った。自分に出番が回ってこないことがかなり悲しいようだ。

 なんてエイゲンの都合など知ったことではないサイは、至極真面目な顔でこう言った。


「今日は豚汁が待ってるから」


 それだけ言うとサイは再び走り出してしまう。理解の追い付かないエイゲンは、豚汁? と頭の上にいくつも疑問符を浮かべている間に置いて行かれてしまい、慌ててサイを追いかける羽目になった。


「なあ、豚汁ってなんだ! どういうことなんだ! 豚汁の何がお前をそんなに掻き立てるんだ!?」


 確かに豚汁は美味いけど! というエイゲンの叫びが旧校舎にこだましたが、サイはそんなの聞いちゃいなかった。

 豚汁のモチベーションは中々に恐ろしいもので、サイに見つかったが最後、回収対象たちは殴られ蹴られ切り裂かれ、ありとあらゆる強烈な一撃を受けた後、後ろに控えていたエイゲンによって黒い箱の中へ回収されていった。あまり強くないとはいえ一人当たり一秒もかけられていない。エイゲンは少しだけ回収対象たちに同情した。


「うん、やっぱりエイゲンに回収やってもらった方が早いな。次行こう」

「……そうだな、うん。仕事が捗ってるんだからいいよな」


 サイが持っていた黒い箱を押し付けられたエイゲンはひたすらに後処理だけをしている。回収屋になり立ての者でもこんな楽な仕事はないだろう。切ないやら情けないやら、エイゲンは悲しい気持ちでいっぱいだ。それでもサイが止まるわけではないので、無理やり自分に言い聞かせて走り続ける。


「ああッ! エイゲンさん!」

「助けてください! エイゲンさん!」


 そうして走っていると、どこからかエイゲンを呼ぶ声が聞こえてきた。聞くだけで悲壮感すら漂ってくるそれは、ろくでもない事情があることが窺える。

「どうした?」とエイゲンは走るのをやめて、声の主のほうを向いた。声の主たちは一緒にここへ回収に来ていた回収屋の若手だった。


「親玉っぽいのが向こうの教室にいて、僕らじゃ太刀打ちできないんです……」

「何人かでまとめていったんですけど、急に数人がこっちを攻撃し始めて……」


 エイゲンが反応したのを見るなり、彼らは縋り付くように言った。エイゲンは彼らの話を聞くと、少し考えこむように下を向いた。

 急に数人が味方を攻撃し始めたということは、相手の洗脳を受けたか精神が何らかの汚染を受けたからだ。情報屋の話にあった、『この校舎を取り壊そうとすると悲惨な事故が立て続けに起こる』というのと照らし合わせると、後者の方が有力だろう。強い怨念か何かで、相手の気を狂わせるタイプ。そう考えたほうが良い。

 となると、対処の仕方が多少複雑になってくる。その怨念がどれだけ強いのかにもよるが、迂闊に近寄ってエイゲンやサイがやられてしまってはお仕舞だ。回収屋トップ戦力を相手にしなければならないなんて無理に決まっている。

「ねえ」どうしたものかと考えていると、先に走っていった筈のサイがいつの間にかエイゲンの隣まで戻ってきており、若手二人に問いかけた。「その親玉ってどこにいた?」


「にっ、二階の! 二階にある三年四組の教室に居ました! ね、念のため出入り口を外側から封じてきましたが、自ら出てくる気配もなかった、と思います!」


 サイの問いに対し、片方がやや上ずった声でそう答えた。どうやらサイに対して憧れがあるらしい。心なしか顔が赤い。

 そんな彼の様子を知ってか知らないでか、サイはクールに「そうか、ありがとう」とだけ答えると、近くの教室を確認した後にその教室へ入っていった。

 サイたちが今いるのは四階の一年四組の教室の前だ。目的地である三年四組の教室はここからまっすぐ二階降りたところになる。階段は長い廊下の両端にしかなく、廊下のほぼ中央に位置するこの地点から二階下の同じ位置にある教室に向かうとなれば中々の距離になる。だというのに、サイは階段を目指して進むのではなくどうして教室に入ってしまったのだろうか。

 不思議に思いながらもエイゲンがその後を追うように教室に入ると、丁度サイが窓枠に手をかけているのが見えた。

この教室の窓ガラスはすべて割れてしまっていて、夜風が何にも遮られることなく吹き付けている。サイは窓枠に手をかけて身を乗り出しながら下の階を確認しているようだ。そして小さく「よし」と呟くと、勢いをつけて窓から外へこちらを向いた状態で飛び出していった。


「お、おい! お前!」


 サイの信じられないような行動に慌ててエイゲンは窓まで駆け寄り下を見る。だがその姿は見えない。どうやら三年四組の教室へ窓から入っていったようだ。とんでもない行動をしてくれる。

 エイゲンは深いため息をついてから、やや緊張した面持ちで若手に声を掛け、教室の外に出ると一気に階段の方へ駆け出して行った。頭の中ではサイが怨念に影響されて狂っていなければいいが、という不安が渦巻いて離れない。階段を一段ずつ下りていくのもまだるっこしく、一番上から踊り場まで、踊り場から下の階へ、階段というものの意味をはき違えた動きで飛び降りながらエイゲンは二階まで下り、また長い廊下を走って三年四組の教室へと向かっていく。若手二人は置いてけぼりだ。決して二人の身体能力が低いわけではないが、この動きは規格外である。


「無事かッ!?」


 爆音で叫びながら教室の扉を蹴破る。若手が施した細工など無に等しく、扉は紙くずのように吹っ飛んだ。


「お、ナイスタイミング。エイゲン、箱頂戴」


 だがそこにいるのは戦闘中のサイでもなく、怨念にやられて気が狂ったサイでもなく、真っ黒な制服に身を包んだ黒髪の少女に馬乗りになり呑気にエイゲンへ手を振るサイだった。


「あんたに箱を全部渡してあるから、こいつの回収が出来なくってさ。いいタイミングだったよ」


 エイゲンから黒い箱を投げ渡されたサイは、少女の回収を済ませるとニコニコと笑いながらそんなことを言った。親玉を回収できたので仕事が終わった気分でいるようだ。その頭の中には豚汁のことでいっぱいだ。

 自分の緊張や不安がすべて杞憂に終わったことを悟ったエイゲンは、行き場のない怒りを抱えつつも深いため息をついて脱力した。親玉すら瞬殺してしまうとは、豚汁のポテンシャルは計り知れない。

 そんなに魅力的だというのなら、自分もその豚汁を味わいたいものだと、上機嫌で帰路につくサイを眺めながら微妙な気分でエイゲンは思うのだった。

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