仕事終わりの一杯④
アリカが解毒剤を持って戻り、サイの治療をしてなんとかサイの目が覚めると、四人はようやくキリネが作った角煮を食べることにした。何があったのか、という説明については角煮を食べながらするようだ。どうしてもこれ以上キリネの角煮がお預けになるのが我慢ならなかったらしい。
テーブルの上には角煮と、サイに頼まれて急遽キリネが用意した白米、味噌汁、それから野菜と海藻の酢の物が並べられている。
「……! 本当にキリネちゃんは料理が上手なんですね」
早速食べ始めると、味噌汁に口をつけたアリカが目を見開いて言った。それに対して何故かジェンヌが「そうでしょう、そうでしょう」と言い、サイがどこか誇らしげな表情を浮かべている。ちなみにキリネは嬉しそうに「えへへ」と笑っていた。
しばらくキリネの手料理を堪能した後で、話題はようやく本題に入る。
「それで、何があったのか最初から詳しく教えてください。どういう作戦でいったのかも知らないですし」
そう切り出したのはアリカだ。アリカは推理こそしたものの、その後現れるであろう彼をどうやって仕留めるか、その策については一切知らなかったのだ。何も知らされないままキリネを預けられ、何も知らされないまま重傷のジェンヌが現れ、更にはサイまでもが重傷なので実のところ彼女はかなり混乱している。探偵なんて仕事をしている為に、知らないことがあるということは彼女にとってかなりのストレスだ。謎は解き明かさないと気が済まない。
「そうだったわね」とジェンヌは薄く笑うとサイと視線を合わせた。それに気づいたサイが視線をそらしたのを見ると、ジェンヌは自分たちの策について話し始めた。
「誰にでもなれる能力っていうのをアリカから聞いていたから、まずはその能力の対処法について考えたの。私とサイちゃんの二人がかりで捕まえようとしたときに、もしどっちかになられて混乱しても面倒だからね。だから、まずはサイちゃんだけがあっち側で相手をして、目印をつけておくことにしたの。私が作ったものなんだけど、竜語に反応して光る薬をぶっかけようってね。姿を真似られたとしても、竜語までは理解できないって踏んだのよ。で、準備ができたら待機してる私に竜語で知らせる。そいういう策だったわ」
ここまで話すとジェンヌはため息をついた。そう、こういう策だったのだ。薬を撒いて、竜語で知らせて、二人で一気に叩いて捕まえて強制リセットをする。万が一相手がサイかジェンヌになったとしても、そこまでの深手は負わされない。お互いにお互いのことを攻撃しないよう注意を払っていた。そのはずだったのだ。
「けど、見事に狂わされちゃったわ。どんなに待ってもサイちゃんの合図が無いから気になってあっち側を覗いてみたら、暴れ狂ってるサイちゃんが見えたの。で、私はそれを止めようとして返り討ちに遭っちゃったってわけ」
本物を相手にするのは荷が重かったわ、とジェンヌは肩をすくめて見せた。そんなジェンヌを見てアリカは怪訝そうに眉間にしわを寄せながら、「まあ、リュウちゃんが深手を負った理由は分かりました。でもなんでそういう状況になったんです?」と今度はサイに視線を向けた。
自分に質問が飛んでくることは分かっていたサイだったが、それでも話したくはなかったらしい。自分に視線が向くと少しだけ肩をびくつかせた。それからしばらく黙りこみ、やがて観念したように口を開いた。
「……早々に小刀を投げられた。あとは覚えてない」
小さい声で早口で言うとサイはそっぽを向いてしまった。まるで恥ずかしいものを隠す子供のような態度にキリネは疑問を抱いていたが、ジェンヌとアリカはそうではなかったようで納得したように頷いた。そして、一瞬悪い笑みを浮かべると、ジェンヌは不思議そうな顔をしているキリネにサイがこんな態度をとる理由を教えてやった。
「あのね、サイちゃんは小刀が怖いの」
「怖いの? どのくらい?」
「んー……小刀のことを考えると一人で眠れなくなっちゃうくらいかしら?」
サイがものすごい形相で睨んでいるがジェンヌはまったく気にしない。そのまま茶化すような口調で、「小刀が怖くってサイちゃんはパニックになっちゃったのよ。それで、相手を逃がして、私を間違えて攻撃しちゃった、ってところかしら」と続ける。最後の方にはサイの拳が飛んできたが、毒でフラフラになったサイの攻撃などなんでもないようにジェンヌは躱していた。
「そうだったんだね……マスターさん、大丈夫? 今は怖くない?」
純粋なキリネはジェンヌの話を信じ、大好きなサイのことを心の底から心配する。こうして純粋な瞳で見つめられるとサイはこれ以上怒ることなどできず「あ、ああ」と無理やり大人しくさせられてしまうのだった。
実際のところ、これはこんな可愛らしいやりとりで済ませられるような話ではない。
七年前のあの日、右目を潰されイロハを喪ってから、サイは小刀に対して今後も消えることはないであろう深いトラウマを植え付けられてしまっていた。最初のころは小刀だけではなく、小さなナイフなど投擲ができる程度の大きさの刃物全てに対してサイは大きな恐怖心を抱いていた。それは、視界に移るだけで正気を失い暴れ狂うほどのものだった。サイが回収屋をやめた理由にはこのあたりも関係していた。相手の武器を見る度に敵味方問わず攻撃して手が付けられなかったからだ。
今ではそれもだいぶ影を潜め、小刀以外の刃物には反応しなくなったのだが、やはりどうしても小刀だけはダメらしい。
投擲され、肩に刺さったのが小刀であると認識するや否や、サイの中であの日の出来事がフラッシュバックした。そしてあっという間にサイはパニック状態に陥り、脳内で繰り返し流されるあの日の記憶を消し去ろうと暴れ出したのである。
毒を盛れば大人しくなるだろうと企んでいたのに、逆に手のつけようがないほど暴れ狂うなど思っても見なかった相手は、サイが見境なく暴れている隙に逃げ出したのだった。
「なるほど。状況はよくわかりましたけど、じゃああの人を攻撃したのは捕まえるときだけって認識で合ってます?」
「多分合ってるよ。アタシが暴れてる間に攻撃してなきゃだけど」
「まあ、そうですけど……少なくともリュウちゃんは何もしてないってことですよね?」
「ええ、そうよ」
アリカはそう聞くと難しい表情を浮かべて何やら考え込んでしまった。どうやら引っかかる点があるようだ。しかしサイもジェンヌも、アリカの思考を邪魔しないために何に引っかかっているのかを問おうとはしない。代わりに今度はジェンヌが気になっていたことを聞くことにした。
「ねえ、キリネちゃん。キリネちゃんはなんであれがサイちゃんじゃないって気付いたの?」
あのとき、キリネは一瞬で目の前にいるサイが偽物だと見抜いた。彼が誰にでもなれる能力を持っているだなんて知る由もないキリネには、サイの偽物が出てくるなんて発想はなかったはずだ。それに、分かりやすい目印があったわけでもない。
キリネは自分にそんな質問が回ってくるなんて思っていなかったらしく、キョトンとした表情を浮かべた。それから少しして、「だって全然マスターさんと違ったんだもん」と当たり前だと言わんばかりに答えた。
「どこがサイちゃんと違ったの?」
「んーとね、全部。マスターさんのお顔はあんなんじゃないし、あんな笑い方もしないよ。全然違う。あとね、記憶がマスターさんのじゃなかった。知らない男の人だったよ」
言いながらキリネは彼のことを思い出したらしく、不機嫌そうに口を尖らせた。だがすぐにサイの方を見てにっこりと嬉しそうに笑った。本物のサイが目の前にいて、自分の作った角煮や味噌汁を食べている姿にご満悦のようだ。
キリネのそんな発言に声を上げて驚いたのはアリカだ。『記憶が違う』という言葉に驚いたらしい。
「キリネちゃんは記憶が見れるんですか?」
アリカはキリネの能力のことを今のいままで知らなかったのだ。知っていたサイとジェンヌは特に驚くこともなく流してしまっていたが、知らない側からすれば衝撃の事実である。こんな少女がそんな驚異的な能力を持っているだなんて。
「あのね、最初は物とか場所とかの記憶さんとお話できたんだけどね、最近はいろんな人の記憶さんのことが分かるようになったんだよ」
「能力が強化された、ってことですかね……。なるほど……」
「ちなみに、キリネちゃんが記憶を集めようとするとすぐに山が出来上がるわよ。回収なんてアホらしいって思うくらいに集まるわ」
「そんなに、ですか……」
にわかには信じがたい事実だ。しかしジェンヌがこんなところで嘘を吐くとも思えないアリカは、素直にこの話を信じることにしたようだった。
それに、確かに人の記憶がみれるのであれば、それが本人であるか偽物であるかなんて簡単に見破れる。だからキリネはあそこまで確信を持って『違う』と断言したのだ。
「マスターさん、どうしたの?」
ここで話がひと段落つくと、急にサイが立ち上がった。そして毒の影響か、少しだけよろけて隣に座っていたジェンヌに支えられた。
本人としては何気なく立ち上がって、声をかけられるつもりも無い予定だったのに、こうしてよろけて、声までかけられてしまい少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。それから恥ずかしそうに小声で言う。
「……味噌汁の、おかわりがないかなって」
「! あるよ! キリネ、持ってくるね!」
キリネはぱぁっと表情を明るくさせると、いそいそとサイのお椀に味噌汁をよそいにいった。それからサイのところへ戻ってくると、お椀を手渡して自分の席に座り、ニコニコしながらサイのことを見守る。
サイはキリネから受け取った二杯目の味噌汁に口をつける。それからほぅ、と息を吐いて柔らかな表情を浮かべた。そのあとで口からこぼれた一言は、殆ど無意識だったかもしれない。
「……キリネ。今度から、アタシが回収に行く時は味噌汁を作ってもらえないかな」
この日からサイは仕事終わりには必ず一杯の味噌汁を飲むようになったのだった。




