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仕事終わりの一杯②

 竜の咆哮が聞こえたような気がして、キリネはハッと顔を上げた。しかし、どんなに辺りを見回したところでサイの姿はどこにもない。サイは事件解決のために奮闘している真っ只中だ。

 その手伝いをすることができないということをしっかりと理解しているキリネは、不安な気持ちをぐっとこらえて、事件を解決して帰ってくるであろうサイを迎えるための準備に再び集中する。

商店街で買ってきた大きな肉の塊を使って作るのは角煮だ。

 昔、イロハがいたころはよく作ってもらっていたという話を聞いていたので、きっと仕事終わりにこれを食べるのが好きだったのだろうと考えたのだ。イロハがどういうレシピで作っていたのかが分からないから同じ味にはならないが、まったく違うわけでもないだろう。そう考えながら肉の塊をやや大きめに切り下ゆでをしていく。

キリネが料理をする姿は最早日常となりつつあるが、その光景を初めて見るアリカはその手際の良さに驚きを隠せないようだった。

 ただの肉の塊だったものが、丁寧に切り分けられ下ごしらえをされ、鍋の中へ入れられていく。

その手つき、背中が、アリカにはどうしても懐かしいものを思い出さざるを得ないものだった。体格も違えば横顔も違う。手の大きさだって全く違うし、そもそも彼女は踏み台など使っていなかった。それでも懐かしい、と思い出してしまう。


「アリカちゃん、ちょっと手伝ってほしいんだけど」


 そんなことを考えながら背中を眺めていると、そう声がかけられた。だからアリカは「はいはい」と言いながら立ち上がる。

「なんでしょう」と言いかけたところでアリカは止まった。果たして、このあと自分はなんと続けようとしたのか。「イロハさん」と続けようとしていたのではないか。感傷に浸りすぎて自分までキリネとイロハの区別がつかなくなってしまったかと、アリカは内心で毒づいた。

 だが口に出していなければセーフだ。軽く息を吐いて表情を柔らかくすると「なあに、キリネちゃん」と言いながらキリネの横に立った。

 二人で調理を進めるとあっという間に全ての工程が終わり、あとは鍋の中の肉が煮えるのをじっくりと待つだけになる。そんな頃、爆破でもされたのではないかと思うほどに激しく、そして乱暴に扉が開かれた。


「ちょっと、リュウちゃん!? 壊れたらどうしてくれるんですか!」


 爆音の後にアリカが悲鳴を上げるが、扉を蹴破るように入ってきた犯人ことジェンヌはそれを一切無視した。というよりも、そんな余裕など微塵もなさそうだ。普段感じることのないただならぬ様子がヒシヒシと伝わってくる。


「サイちゃん……は、いないわね。分かったわ」


 ジェンヌはあたりを見回して目的の姿が無いのを確認すると、踵を返して出ていこうとした。が、それについては流石の二人も逃すわけにはいかない。ジェンヌが出ていこうとしたのを察するとほぼジェンヌにとびかかりながら言うのだった。


「マスターさんに何かあったの!? キリネも行く!」

「リュウちゃんその傷は何!? 手当が先! 探すのは後!」

「じゃあキリネ先に行ってるね!」

「いや、あの、これは……! あ! 待ってキリネちゃん!!」


 アリカに取り押さえられたジェンヌの声も虚しく、キリネを止めることは出来ずにその背中が視界から消えていく。しかし、そんなやり取りを目の当たりにしても尚、アリカはキリネよりもジェンヌのことを優先するのだった。

 ジェンヌの左の脇腹は真っ赤に濡れている。ジェンヌはそこを庇うようにしながらやってきて、苦しそうに顔を歪めながら荒い呼吸を繰り返していた。キリネよりジェンヌを優先してしまうのも仕方ないのかもしれない。まずもって、ジェンヌがここまでの深手を負わされるのが珍しい。

「これ……」傷の手当てをしながら、アリカは顔をしかめた。ジェンヌの脇腹には三つの深い抉るような切り傷がついていた。平行に並ぶ三つの傷は爪でひっかいたようにも見える。こんな傷をつけるのは、あの犯人よりもどちらかといえば竜に変化できるサイのほうが適している。そこまで考えたうえで、アリカは詰まらなさそうな表情を浮かべ、温度のない声で「どういうことですか?」とジェンヌに問い詰めるように尋ねた。


「……まあ、お察しの通りサイちゃんにやられたのよ。私も迂闊だったわ……まさかサイちゃんがあんななって暴れまわるとは思ってなかったのよ」


 ため息をついた後でジェンヌは観念したように話し始めた。その表情はアリカとは対照的に柔らかい。笑うしかないようにも見える。

 一方でアリカの表情は硬く、ピクリとも動かない。ジェンヌの脇腹に包帯を巻く手は止まらないが、深く考えているようで目は虚ろだ。一見するとジェンヌの話を全く聞いていないようにも見えるが、これはアリカが情報を整理しつつ思考をフル回転させているときなのだとジェンヌはわかっていた。だからジェンヌはそのまま話を続ける。


「最初、私はサイちゃんの店で待機をしていたから実際に何が起こったのかは知らないの。途中で、建物が壊れるような激しい音がして、気になったから店を出て様子を見に行ったわ。普通に考えたらあっち側のものが壊れるなんてことないじゃない? で、様子を見に行った時にはもうサイちゃんはおかしくなってたわ。なんというか……錯乱状態? めちゃくちゃに叫びながら、目に映るもの全てを攻撃して回るような、そんな感じ。あの状態のサイちゃんはキリネちゃんには見せられないわね……って感じ。お馬鹿さんがどこにいたのかは分からないわ。とりあえず私はサイちゃんを一度落ち着かせようとして、それでやられた。でも私を攻撃して多少は理性を取り戻したのかしらね。手当たり次第に攻撃することはなくなって、ただその代りにどこかに行っちゃったわ。探しても見つからないから、一度戻ったのかと思ったけど……」


 ジェンヌが話し終わるころには手当も終わっていた。話を聞き終えると、アリカは目をつぶってしばらく沈黙した。それからようやく口を開くと、「なるほど」と呟いて立ち上がった。


「大体わかりました。だけど、まあ……とっても歌う気にはなれないですね」


 そう言ってアリカはシニカルに笑う。探偵アイドルの性と言うべきか、その頭の中には推理した内容と、それを歌にした一曲があるのは確かだった。



 アリカとジェンヌはひとまず飛び出してしまったキリネを捜すべく外に出た。キリネが見つかったら次にサイ。そして最後に逃走したであろう犯人を捜す。その予定だったのだが。


「あ、キリネちゃん」


 外に出てすぐにキリネが見つかった。全く捜すまでもなく、キリネは近くから離れていなかったらしい。もっと言えば、キリネの正面にはサイがいた。勢いよく外に飛び出したはいいものの、キリネもすぐにサイを見つけたらしい。これで二つ目の目的まで達成だ。


「まったく、サイちゃんってば……どこ行ってたのよ。いきなりいなくなったからビックリしたわ」

「悪かったよ。逃げられたからそれを追ってたんだ……結局見つかってないけど」


 ため息交じりにジェンヌが声を掛けると、サイはそれに普通に応じた。とても錯乱して暴れまわっていたようには見えない。かなり冷静になったようだ。


「マスターさん、それ……」

「ん? ああ、ちょっとやられちゃってね」


 キリネの視線に先には、雑に布が巻かれたサイの左肩。布に赤い染みが見えるのは気のせいではない。それを指摘されると、サイはヘラりと笑って左肩を軽く撫でた。

 その仕草に、キリネの表情は硬くなった。そして何故か一歩後ろに下がり、サイとの距離を広げる。突然の拒絶ともとれる行動にジェンヌとアリカは目を疑った。あんなにサイのことが大好きなキリネがこんな行動に出るなんて、一体何があったというのか。自分たちがここに来る前にひと悶着あったのだろうか。そこまで長い時間があったようには思えないのだが。

 そんな二人の驚きなど知る由もなく、キリネはさらに一歩後ろに下がった。そして、今まで誰も聞いたことのない低い声で唸るように言うのだった。


「あなたはマスターさんじゃない。本当のマスターさんは、どこ?」

「何を馬鹿なことを言ってるの、キリネ?」


 キリネは鋭くサイを睨んでいる。七歳ほどの少女のはずなのに、大人でもたじろいでしまうような気迫がそこにあった。


「本当のマスターさんはそうやって笑わないよ。ねえ、マスターさんは、どこ?」


 キリネの一連の言動にジェンヌはハッとした。今回自分たちが追っている犯人は、色々な人に成りすましては強襲し、また別人に成りすまして逃走を続けていたではないか。ならば、キリネの言う通り目の前にいる際は偽物である可能性が大いにある。キリネがどうして気付いたのかは謎であるが。

 確信をもって別人だと断言するキリネに、サイもとい偽サイはサイがおおよそ浮かべないであろう表情をうかべ、忌々しそうに舌打ちをした。だがすぐに切り替えたのか、偽サイは下卑た笑みを浮かべ、キリネの後ろにいるアリカとジェンヌに目をやった。


「それ以上は近づかないほうがいいぜ。あの化け物女じゃなくて俺がここにいる意味をよーく考えるこったな」


 偽サイはそう言いながら三本の小刀をちらつかせた。アリカとジェンヌよりも、偽サイのほうがキリネの近くにいる。サイを倒していないとしても、サイから逃げてここまで来ることは出来ているのだ。きっと、キリネなど簡単に捕まってしまうし、危険な目に遭うだろう。それはなんとしてでも避けるべきであった。つまるところ、偽サイの言い放った脅し文句はこの場において強烈なほど効果を発揮していたのである。

「本当は、あの化け物女のふりをして連れていくつもりだったが……まあいいさ」偽サイはゆっくりとキリネに近づきながら言う。「餓鬼を連れて行けさえすればこっちのもんだもんなァ!」

 キリネに向かって偽サイの腕が覆いかぶさるように伸びていく。それは逃げ出したくなるような恐怖だったが、キリネは動かず、そして目を背けることも無かった。代わりに「あ」と小さく漏らす。

 キリネの視線が偽サイからやや後ろに動いたのと、黒い影が上から偽サイ目掛けて降ってきたのはほぼ同時だった。


「うちの子に汚い手で触れるんじゃねぇ!」


 龍の咆哮交じりにそんな声が聞こえた。

 直後に偽サイがその場に倒れ、気を失ったのかグッタリとして動かなくなった。そして、その身体を踏みつけながら見下ろすもう一人のサイ。黒い影の正体はこの本物のサイだった。

 気を失ったからか、能力の効果が切れたらしく偽サイの姿が少しずつ変わっていく。完全にサイの姿で無くなって現れたのは、ジェンヌがギリギリ記憶にあるかどうかぐらい関わりの薄い、回収屋の男だった。

 無表情でサイが再回収用の箱をこの男目掛けて投げれば、細かな切り傷や大きな爪痕で傷だらけになった男の身体はみるみるうちに箱の中に吸い込まれていく。最後に箱に鎖を巻けば完了だ。探偵アイドルまで動員した事件はめでたく解決となる。


「終わったけどこれで終わりにはしたくないわね。サイちゃん、何があったかきっちり聞かせてもらうわよ」

「んあ……? あー、ああ……今度じゃダメ?」

「ダメよ。アリカもいるこのタイミングで全部終わらせるのよ」

「ええ……アタシはキリネの手料理が食べたいんだけど……」


 少し沈黙が流れた後でジェンヌが口を開くと、いつもと変わらぬ調子でサイが応えた。もう錯乱している様子もない。しっかり正気に戻っているようだ。


「マスターさん!」


 二人のやりとりを見て安心したのか、次にキリネが口を開いてサイに駆け寄り、そのままサイに抱き付く。サイの身体に顔を埋めてギュッと抱きしめて来るキリネを見て、サイの頬はついつい緩んだ。どうやらこの娘は本気でサイのことを心配してくれているらしいと、確信を持てる反応だ。


「……色々聞きたいこともありますし、戻りましょうか。キリネちゃんが頑張って角煮を用意してくれたんですよ。それを食べながらでもどうですか?」


 最後にアリカがため息混じりに口を開く。どうですか、なんて言いながらアリカの身体は既に家に向かっていた。


「いいね、ついでに仕事終わりの一杯もやっちゃうか」

「ダメよ。飲んだらサイちゃん話ができなくなるじゃない。飲むなら話が全部終わってからよ」

「ちぇ」


 こんなやりとりを繰り返しながら、四人はこの場を後にし、キリネの角煮に想いを馳せながらアリカの家に向かうのだった。


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