偽物の包帯②
キリネが出て行ってすぐにその後を追いかけた。だというのにキリネの姿はどこにもない。
子どもの足だ。どんなに速く走ったとしてもそこまで遠くに行けないはず。それでも見つけられないのは、見つからないようにキリネがどこかに隠れているということを示す。
「……ったく、そんなとこまで似てなくてもいいと思うんだけどねぇ! 分かったよ隠れんぼに付き合ってやるさ!」
サイは苛立ちを隠さずにそう宣言した。きっと近くにいるであろうキリネにも聞こえているはずだ。
エイゲンはそんなサイの後ろ姿を見ながら、昔のイロハとサイの喧嘩を思い出して小さく震えた。
かつて、二人の喧嘩は壮絶なものだった。
喧嘩の発端は多岐に渡ったが、どんな理由でもおおよそ殴り合いに発展した。回収のときの力をフルに活用した殴り合いだ。周囲に被害が及ぶことも少なくなかった。
それから、喧嘩が始まると軽いどつき合いの後にイロハがサイを殴り逃げて、それをサイが追いかけるという鬼ごっこも度々行われていた。
エイゲンはそんな鬼ごっこの被害者の一人だった。時にはイロハに踏みつけられ、時にはサイに殴られ、酷い時には何の非もないエイゲンが追い回されたこともあった。あれから七年以上の時が経過したが、未だにトラウマとなって消えることはない。
「キリネ! 今すぐ出て来なさい!」
そう怒鳴られたら出たくても出てこれないのでは? というエイゲンの心の声など知る由もなく、サイは怒号を撒き散らせながらキリネのいそうなところを手当たり次第に探す。どうやら逃げられるというのが相当苛立つらしく、キリネと話していた時の冷静さは全く失っていた。
その様子は正しくエイゲンのトラウマを呼び起こすものであったが、不幸中の幸いかキリネが一向に見つからないのでその場で乱闘になることは無かった。
もっとも、見つからないからこそサイが余計に苛立っているわけだが。
このままキリネが一人で役場に行き手続きを済ませてしまえばキリネは回収屋になってしまう。まだエイゲンが回収屋になる方法を教えていないからすぐに役場に行くことはなさそうだが、何処かの誰かが要らぬ親切でキリネに教えてしまうかもしれない。
そう考えるととても冷静になどいられるわけもなく、断固としてキリネを回収屋にさせたくないサイは手っ取り早くキリネを捕まえるために、自分の身体を徐々に変化させていき、翼を生やし、地を蹴りそして──
「はいはい、サイちゃん。どうどう」
通りすがりのジェンヌに抱き締められ飛び立つのを阻止された。
腕の中でサイはもがくが、がっちりホールドされてしまって離れることはできない。さすがジェンヌ。見た目は美人のように見えてもその筋肉はゴリラのようなたくましい男のそれだ。
「離せジェンヌ! アタシは──」
「キリネちゃんをすぐにでも探し出したいんでしょ? 知ってるわよ。あんな馬鹿でっかい声で叫んでたらみーんな嫌でも分かるわ。だから離さない。そんな怖い顔してたらキリネちゃん泣くわよ? あの子はイロハちゃんじゃないの。分かってるわよね?」
「…………」
イロハの名前を出されるとサイは途端に大人しくなった。あまり自覚していなかった、イロハとキリネを重ねているという事実を指摘されたからだろう。
「昔みたいなイロハちゃんとの喧嘩をされたらこっちもたまったもんじゃないのよ。だから落ち着いて。怒鳴りながら探し回るよりもキリネちゃんが行きそうなところに先回りした方が早いわよ」
ジェンヌは力を緩めないまま淡々と諭すようにサイに言って聞かせる。ジェンヌの言葉を一理あると考えたサイは、早速キリネの行きそうなところを考えるものの、今この状況では役場以外に出て来そうもなかった。
「サイ。役場の方にはキリネちゃん行ってねぇみたいだぞ。あと多分この後も役場の方にはいかねぇはずだ。その辺にいた奴らに声を掛けておいたからそうしてくれるはずだ」
サイがもう暴れないことを確認したのか、ずっと遠くからサイを見守っていたエイゲンが近くにやってくるとそう言った。どうやらサイを見守りながら知り合いに声をかけて回っていたらしい。
エイゲンの情報通りキリネが役場方面に行っていないとなると、あとはどこに向かうだろうか。考えれば考えるほどわからなくなりドツボにはまりそうだ。
「……ジェンヌ、離して」
「考えがまとまったのかしら?」
「いーや、ちっとも」
たっぷり時間をかけた後でサイはジェンヌに声を掛ける。言われた通りにジェンヌがサイを離すと、サイはどこかに向かって歩き出した。考えがまとまらないと言っておきながら、行き先はしっかり決まったようだ。
「……違うって分かってる。けどアタシにはキリネがどこに行くか分からない。だから、こういう時にイロハが行きそうな場所に行ってみようと思う」
どこに行こうとしているのか、ジェンヌが念の為尋ねると、サイの口から出たのはそんな回答だった。『キリネはイロハじゃない』というジェンヌの言葉を気にはしたものの、どうしてもそういう結論に至ってしまうようだ。
だけどそれをジェンヌが咎めることはなく「そう、わかったわ。いってらっしゃい」と穏やかな笑顔でサイを見送るのだった。
◆
高台にある廃墟の裏庭。こちら側の街を一望できる場所に一本だけポツンと生えている何かの果物の木。そこに背中を預けてキリネは座っていた。
「……キリネ」
「あのね、マスターさんから逃げてたらここを見つけたんだよ。街がおもちゃみたいですごいねぇ。ねぇ、マスターさんのおうちはどこにあるのかなぁ?」
サイの方を見ることはせず、街を眺めたままキリネはそう言った。だからサイも、キリネと会話ができる最低限の距離から近付こうとはせず、キリネと同じように街を眺めた。
昔、これと同じ景色を何度も見た。
イロハと喧嘩をするたびに最後はここに来て、この景色を眺めて話し合って、そして仲直りをした。
そんな記憶ばかりが蘇ってしまうから、サイはキリネに対して『もしかして、』という期待を抱かずにはいられない。そうじゃないと何度も否定したところで、同じ考えがまた生まれてしまう。
「マスターさん、あのね」キリネはそんなサイの気持ちを知らないまま、だけど知っているかのように話し始める。「キリネね、キリネがマスターさんの大事な人だったらいいのになぁって思うの」
「…………」
「キリネね、マスターさんが嬉しいとすごく嬉しくなるの。それでね、マスターさんが悲しいとキリネも悲しい。マスターさんを傷つける人は絶対に許せないって思うし、マスターさんが夜お仕事に行って帰ってきた時、ボロボロだとすごく嫌だなぁって思うの」
それはエイゲンに話したことと同じ内容だった。
だけど今回はエイゲンにではなく、サイ本人にサイの話をしている。成長するにつれ、恥ずかしくて言えなくなってしまう本人に対する想いをキリネは真っ直ぐに語る。それはもう、聞いている側が恥ずかしくなってしまうほど真っ直ぐに。
「キリネ、マスターさんのことが大好き」
いつのまにかキリネはサイの方を向いていた。サイを真剣な表情で見つめて、真剣に自分の想いを伝えていた。
その姿に、サイはキリネが子どもであるという事実を忘れていた。
「だからね、キリネはマスターさんの大事な思い出を一緒に探したい。マスターさんが喜んでくれるかなって思うこと全部したいの。あとね、キリネも一緒にお仕事行って、マスターさんのこと守りたい」
「……でもアタシはキリネに危ないことをさせたくない」
「じゃあマスターさんも危ないことをしないで? キリネもマスターさんが危ないことしてるの嫌」
「…………」
絶対に折れることは無いであろう硬い意志。真っ直ぐな瞳に見つめられて、サイはため息をつくことしかできなかった。そして思う。キリネに諦めさせるのは無理だろう、と。きっと、サイが折れなければ永遠に平行線だろうと。
仕方ない。妥協しよう。
自分に色々と言い聞かせると、サイは一歩、また一歩とキリネの方に寄ってキリネと向き合った。
「キリネ、これは絶対に守って欲しいんだけど──」
街並みの向こう側では夕陽が沈んでいくのがよく見える。辺りはオレンジ色に染まっていた。
書きながらプロットとは展開が変わっていった(いつもの)結果、盛大にサブタイトルを無視する羽目になりました。
サブタイトルの存在に気づいたのはこの話を書ききってから……そう、全てはもう終わっていたのです




