約束のオムライス
カランカラン、と扉に付けられた鐘が鳴り二人組の女が店にやってきた。それからやや遅れて「いらっしゃいませー」と言う子どもの声が聞こえてくる。
彼女たちは声の主を探すがなかなか見つからない。当然だ、彼女たちより遥かに小さな身体を見つけるには視線を下にやらなければならない。
「いらっしゃいませっ!」
二人がようやく視線を下にやると、小さな少女と目が合う。すると少女はにぱっと笑って、もう一度挨拶をするのだった。
「今日も店番かい? キリネちゃんは偉いねぇ」
「エイゲンおじさん!」
そんな二人組の後からやってきたエイゲンは一部始終を見て微笑みながらキリネに声を掛けた。それからカウンターの一番端、いつもの席に腰掛ける。
エイゲンが座ったのを見ると、キリネはパタパタとカウンターの内側に入って、何かを用意し始めた。そして、用意ができるとカウンターからひょっこりと顔を出してエイゲンの前に黒に限りなく近い色をした液体の注がれたグラスを置く。エイゲンがいつもここで頼むアイスコーヒーだ。エイゲンはそれを「ありがとう」と笑顔で受け取った。
「すみませーん」
なんてことをしているうちに、二人組の女が買うものを決めたらしい。カウンターの端に設置してあるレジの前に立って、二人はキリネを呼んでいた。
「はーい!」
元気よく返事をすると、キリネはエイゲンの前から離れてレジの前に置かれた椅子の上に飛び乗った。こうでもしないとレジ打ちが出来ないのだ。
二人が選んだのは黒地に金の模様が描かれた一組のティーカップだった。これから二人で一緒にこのティーカップを使うのか、それともただお揃いという意味で買ったのかは彼女達しか知らない。
「んーとね、二千メリアだよ」
メリアというのはこの世界における通貨の単位だ。あちら側の世界と同じ単位に出来れば聞き馴染みもあるし簡単だったのだが、なんせ世界は広い。誰も彼も、バラバラの通貨をそれぞれ暮らしていた場所で使用していたので、仕方なしに共通の通貨を作ることになったのだという。
二人のうち片方が財布から紙幣を二枚取り出しキリネに手渡す。「ありがと」と言うと、キリネはティーカップを丁寧に箱に入れて彼女達に手渡した。
ティーカップを受け取った彼女達はそのまま店の出口に向かう。その背中を見送りながら、買われていったティーカップに対してキリネが「いってらっしゃい」と小さく手を振ったのを、彼女達は知らない。
レジ前の椅子から飛び降りると、キリネはエイゲンの前に椅子を持ってきてそこに立つ。するとカウンターの上には『10,000』と書かれた紙幣が一枚と、それから硬貨が五枚置いてあった。つまり一万と五百メリアだ。それを見るとキリネは首を傾げた。
「エイゲンおじさん、コーヒーは五百メリアだよ?」
硬貨だけで五百メリアある。だからどう考えても紙幣は余計なのだ。いつも同じコーヒーを注文するのだから、エイゲンがコーヒーの値段を知らないわけがない。そんなエイゲンの意図をつかむことなどできず、キリネは不思議そうな瞳でエイゲンをジッと見つめた。
エイゲンはそんなキリネに「そりゃあ、そうさ。これはコーヒーの分だけじゃあないからねぇ」と少し照れながら言った。「キリネちゃんにどうしてもお願いがあってねぇ」
◇
何かを炒める音と、何かが炒められている匂いが漂う。店舗スペースの奥にある台所でキリネが料理をしている音だ。
「キリネ? 夕飯にはまだ随分と早いと思うんだけど」
その音と匂いに釣られて、サイが作業部屋からのこのこと出て来た。そして七歳とは思えない程手際よく調理を進めるキリネの後ろに立つ。
フライパンでは細かく刻まれた玉ねぎと小さく切られた鶏肉が炒められており、コンロの傍には茶碗一杯分の白米と、卵が二つ用意されていた。サイはこの材料に見覚えがある。キリネがこちら側の世界に来てすぐくらいの頃に作ってくれたオムライスの具だ。
「オムライス?」
「うん。エイゲンおじさんがどうしても食べたいんだってー。一万メリア払うからってお願いされちゃった」
キリネのオムライス、一万メリアもするのかなぁ? なんて言いながらもキリネはフライパンに白米を投入し、ケチャップで味をつけていく。
それを聞いたサイは、そういえば金を払えばキリネの手料理を食わせてやるとか、エイゲンがオムライスを食べたがっていたとか、そんな話を思い出して納得していた。納得はしたが、状況を理解したからこそ素直にオムライスを食べさせてやろうと言う気には全くならなかった。
どうせだったら、少し面白いことをしてやりたい。
サイの悪魔のようないたずら心に火が付き、サイはどうしたら面白いことになるか、頭をフル回転させ考える。そして思いついた。
「キリネ。今思い出したんだけど、最近あっち側の世界のオムライスにアレンジをするのが流行ってるらしいよ」
「そうなの? アレンジってなにをするのかなぁ?」
とってつけたような話でも純粋なキリネはすぐに信じてくれる。信じてくれるだろう、とサイは確信していた。だから、「少し待ってて」と言うと作業部屋に戻り、いつだか作ってしまった使い道のない調味料を取ってきてキリネに手渡した。
「これを入れるらしい。ご飯とソースにたっぷり混ぜるのが流行りみたいだね。アタシはこれ苦手なんだけど、エイゲンはこういうの大好きだからいっぱい使ってやって」
「そっかー、そうなんだね! ありがと、マスターさん!」
サイから調味料を受け取ると、キリネは嬉々とした表情で蓋を開け、完成間近のケチャップライスの上に傾けた。調味料は赤っぽい粉末で、ケチャップと混ざり合って同化してしまい、目分量だとどのくらい混ざっているのかがよくわからない。
どうしようかな、とキリネは少し悩んだ後で味見をして判断すれば良いのだと思い至りスプーンを取り出した。が、それはサイによって制された。
「キリネには大人の味すぎると思うから味見はやめておきなさい。大丈夫、いっぱい入れても味が変にならないし、入れれば入れるほど美味しくなるやつだから」
「そうなの……? うん、わかった! マスターさんが言うからそうなんだよね!」
味見もせずに他人に料理を出すことに不安を覚えたようだが、最終的にキリネはサイの言葉を信じて味見するのをやめた。それからもう少しだけ赤っぽい粉末を混ぜて、ケチャップライスは完成した。
ケチャップライスを皿に盛ると、キリネは新しいフライパンを取り出して、いつのまにかよく溶いていた卵を熱したフライパンに流し込んだ。それから手早くかき混ぜると、ふわふわとろとろのオムレツを作っていく。
トントンとキリネがフライパンを叩くと、オムレツは軽く宙を舞って成形されていった。最後にフライパンを強く叩けばオムレツは大きくフライパンから飛び出して、皿に盛られたケチャップライスの上に着地する。
包丁でオムレツに切れ込みを入れれば卵の完成だ。あとはソースだけである。
「いつの間にソースなんて作ってたんだね」
「うん! 一番最初に作って煮込んであったんだー。今日はトマトソースだよ!」
そう言ってキリネはコンロの隅に追いやられていた鍋の蓋を開けた。鍋の中にはしっかり煮込まれたトマトソースが入っており、キリネはそれをおたまでひと掬いすると、皿の上のオムライスにかけた。
「あ、美味しいならソースの上からもかけたほうがいいよね」
エイゲンに持っていく直前でキリネはサイが持ってきた調味料に気が付き、それをたっぷりトマトソースの上にかけた。やはりトマトソースも赤いので、赤っぽい粉末がどのくらいかかったのかはよくわからない。粉っぽさが残るのかと思いきや、それらはスッとトマトソースに溶けて消えていった。
「できたよー!」
「おお!」
完成したオムライスを持ったキリネが元気よく店舗スペースに戻ってくる。台所から美味しそうな匂いはずっと漂っていたのでエイゲンの胃はもう限界だ。
そして、その食欲はオムライスを前にして爆発することになる。
「いただきます!」
「めしあがれ!」
待ち切れないエイゲンは、それでも手を合わせて言うと、キリネが持ってきたスプーンを受け取って大きく一口がっつくようにオムライスを食べた。
広がるトマトの酸味と卵の旨味。そして米と玉ねぎの甘み。それから──
「ッぐ、辛ァッ!?」
舌に突き刺さり喉を焼くような激しい辛み。
全身の穴という穴から一斉に汗が吹き出し、目にはうっすらと涙が滲む。たった一口食べただけでこれとはとんでもない辛さだ。
「あのね、マスターさんが教えてくれたの。今流行ってるすごく美味しいオムライスはこうなんだって! どう? キリネのオムライスおいしい?」
「ッ、あ、あぁ、すごくおいしいよ。やっぱりキリネちゃんは将来物凄い料理上手になるんじゃねぇかなぁ」
汗が止まらない。その辛さを知ってしまったからか、その辛さに恐怖してしまったからか、手がなかなか二口目を運ぼうとしてくれない。辛みはいつまでもいつまでも口内に残り蹂躙し続ける。
だが、嬉しそうな顔でこちらを見るキリネにまさか「辛すぎて食えない」なんて言える訳もなく、自分から頼んだ以上これを残そうなんてことができる訳もない。
エイゲンは勇気を振り絞って二口目を口に放り込んだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛……」
そして呻く。汗なのか涙なのかは分からないが、顔からはぼたぼたと汁が滴り落ちていた。
ふとキリネの後ろに目をやってみれば、そこには悪魔のような笑みを浮かべるサイがいる。エイゲンはサイのニタニタとした表情を見て察した。仕組みやがった、と。
だが時すでに遅し。エイゲンにはもう、キリネを泣かせるか自分を泣かせるかの二択しか残されていない。
当然その後者を選んだエイゲンは、その後三十分ほどかけてなんとかオムライスを完食したのだった。




