夏祭りとキャンプファイヤー④
森を抜けて祭り会場に戻ると、強烈な赤と黒の浴衣が目に入った。その腕には赤い兵児帯の少女がしっかりと抱かれている。
サイは特に二人が怪我を負っている様子もないのを見て安堵しつつ、二人に声を掛けた。
サイに気づくと「ああ、」なんて困ったように曖昧な笑みを浮かべながらジェンヌがサイの方を向いた。だがキリネはサイの方を向こうともしない。余りにも動く気配がないので、何かあったのではないかという不安とある種の恐怖が暗雲となってサイの中に立ち込めた。
「そんな顔をしないで、サイちゃん」サイの表情が強張ったのを見て、ジェンヌは優しく諭すような声で言った。「キリネちゃんが怪我をしたとかそういうことはないのよ」
ただ、と言いながらジェンヌはキリネの背中をぽんぽんと軽く叩いた。すると、ジェンヌの肩に顔を埋めてずっとその表情を見せなかったキリネが顔を上げ、サイの方を向いた。
二つの瞳が躊躇いがちにサイを見つめる。
どういうわけか、その瞳は涙に濡れて真っ赤になっていた。当然の事ながら、その表情にサイは小さくない衝撃を受けることになる。
「はい、どーどー。いい? サイちゃん、今は暴れないで頂戴。大丈夫、ちょっと泣いちゃっただけよ。ね、キリネちゃん?」
ジェンヌの言葉にキリネはこっくりと頷いた。確かに誰かから物理的な攻撃を受けたとかそういうわけではないらしい。だが、泣いてしまったというだけでも大きな問題だ。『だけ』と表現してしまうことにすら怒りを覚えてしまうくらいには大きな問題だ。
「なんというか…….キリネちゃん、大きい火が怖いみたいなのよ」
「火?」
「そう、火。料理をするときの火なら大丈夫だけど、何かを燃やす大きな火がダメみたい。だから、すぐその場を離れちゃって犯人をなんにも追ってないのよ。ああ、もちろん火は消しておいたわよ?」
「マスターさん……ごめんなさい……」
しょんぼりとした表情でキリネがサイに言う。仕事の邪魔をしてしまったことにかなりの負い目を感じているようだ。しかし、サイがこのことでキリネを責めようなんて気を起こすわけもなく、むしろキリネに怖い思いをさせた犯人への絶対に許さないという気持ちがフツフツと湧き上がるのだった。
しかしながら、サイトたった今犯人に逃げられてしまったばかりなので、犯人探しは振り出しに戻っている。この人混みと闇の中、もう一度犯人を探し出さなければならない。そして困ったことに、相変わらず彼らの最終的な目的が分かっていない。早く解決させて、キリネに楽しい思い出を作ってやりたいのに、これではそれも叶わない。
「そんなサイちゃんに朗報よ」
「何?」
「探偵アイドル様が到着したわ」
そう言ってジェンヌはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。犯人探しが出来ていなくてもジェンヌが特に焦る様子もなく落ち着いてキリネをあやしていられたのは、『探偵アイドル様』の到着を知っていたからなのだ。
それを聞くと強張っていたサイの表情が緩んだ。そして思わずジェンヌにつられて笑ってしまう。
「で? アイドル様のライブはいつから?」
「もうすぐよ。準備が出来次第始めるって言ってたわ」
「……なるほどね。キリネ、今からすごく楽しいものが見れるよ」
これから目の前で起こるであろう光景を想像すると笑みが止まりそうにもなかった。きっとそれを見ればキリネも楽しい思い出が作れるだろうと思うと、あたたかな気持ちが溢れ出して止まらなかった。
『探偵アイドル様』のライブはこれからやぐらの上で行うということだったので、ジェンヌはキリネを抱っこし直して、やぐらがよく見えるようにしてやった。キョトンとしたまま何が何やら分かっていないキリネは、一先ずサイの言葉を信じてこれから始まるであろう『楽しいもの』を待ち構える。
そしてそれは唐突に始まった。
「みーっんなーっ! こーんっばーんっはーっ!」
祭り会場中に響き渡る女の声。キリネはこの声に聞き覚えがあり、声の正体を見つけるとさっきまで愚図っていたのが嘘のように表情が明るくなった。
「アリカちゃんだ!」
キリネの声が聞こえたらしい。アリカはキリネの姿を見つけると、ひらひらと手を振った。
そう、探偵アイドル様とはアリカのことだったのだ。ジェンヌから連絡を受けたアリカが駆け付けたのである。
「折角のお祭りなのにーっ、おいたをしちゃうおバカさんがいるようなのでーっ、探偵アイドル出動しましたーっ! それじゃあ早速私の『推理曲』聞いてくださーいっ!」
突然のアイドルの登場にどよめく会場にアリカはそう説明をした。サイの咆哮からリセット対象がいることは周知の事実だったので、どよめいていた人々はその説明ですぐに納得したようだ。
アリカはその名の通りアイドル活動を行う探偵だ。或いは、推理をして犯人を追い詰めるアイドルだ。と言っても、アリカの能力は推理することではない。脳内で作った曲を能力で作ったスピーカーを通して流す、というのがアリカの能力だ。
やぐらの端にはその能力によって作られた黒いスピーカーが二台設置されている。アリカが合図をすると、スピーカーから曲が流れ始めた。ピアノとバイオリンを主としながらも、後ろのドラムが耳に残るしっとりとしながらも激しい曲調だ。
アリカが歌い始める。その歌詞の内容は、今日夏祭りで起こった一連の出来事を
アリカがアリカなりに推理したものだ。
倉庫を巨大なキャンプファイヤーにすることで、まず夏祭りに来ているであろう回収屋の注意をそこに集める。すると回収屋たちはその犯人を探し始める。
次に倉庫からやや遠い場所でもう一度巨大なキャンプファイヤーを起こす。もう一つのキャンプファイヤーの元へ回収屋が移動を始めたタイミングで奇襲。回収屋を本来の目的から遠ざける。
一番の歌詞の内容はおおよそそんなものだった。
そしてここからサビ。一番盛り上がる、耳に残るメロディーで解き明かすのは勿論、『本来の目的』だ。
『夏の夜空に大輪を
紅蓮の花を打ち上げろ!』
『舞い踊れ、舞い上がれ
焼き尽くせ、焼き尽くす』
『消えない様、消せない様
特大の炎で夜空を彩れ!』
アリカのライブは今祭り会場中に響き渡っている。これを聞いたリセット対象の彼は今何を思っているのだろうか。サイはそんなことを考えながらクスリと笑った。目的が分かってしまえばもう難しいことなんてない。あとは目的を台無しにしつつ捕まえるという簡単な仕事だけだ。
「なるほど、花火ねぇ……」
アリカの歌声を聴きながらサイはポツリと呟いた。
アリカの推理によれば、相手の目的は『花火に術を仕込んで、あたり一帯を火の海にする』ことだという。ついでに、今祭りを楽しんでいるあちら側の住人を焼き尽くすのだとかなんとか。
あちら側にいた時の記憶が戻ったのかなんなのかは知らないが、そうとう生きている人間って奴に腹が立ってしまったらしい。幸せな奴が憎くて憎くて仕方がないらしい。だからこんなことをした、と。あくまでもアリカの推理でしかないのだが、全て合っているのだとしたら、何もかもを丸裸にしてしまうその推理力は末恐ろしいものだ。そして、タチが悪いことにアリカの推理が外れることはほぼ無い。
やがてアリカの歌が終わる。会場のボルテージは最高潮にまで達していた。
アリカのことを知る者たちが、『推理曲』が終わった後のお決まりの展開を期待しているのだ。アリカはそんな観客の期待に応えるため、フッと笑みをこぼした後でマイクを構えてこう叫んだ。
「犯人が見つからなきゃ事件は終われないよねーッ!? それじゃあみんな、準備はいい? 『逮捕曲』いっくよーッ!」
わあああぁッと歓声が上がった。そして流れ始めたのは、ポップで元気な印象を受ける、『推理曲』の後の定番曲『逮捕曲』だ。二曲をセットで歌うところまでがアリカの、探偵アイドルのライブなのである。
曲が始まるとサイはフッと笑ってジェンヌに「じゃあ行ってくるわ」と言うと、強く地を蹴って跳躍した。
見上げなければ絶対に見えることのないところまで跳ぶと、サイは背にドラゴンの翼を生やす。そして重力に従って落下する前に、生やした翼を思いっきり動かして徐々にスピードを上げながら目的地目指して飛んで行った。向かうのは勿論、花火を打ち上げ場所だ。
『逃げる? 逃げろ! 逃がす? 逃さない!』
後ろからアリカの歌声が響く。このまま飛んで行くと、丁度『逮捕曲』の中で最もインパクトのある歌詞と共に犯人の元へ辿り着くだろう。それは少し恥ずかしいな、なんて思いながらも、サイはスピードを緩めることなく目的地へ弾丸の様に突っ込んで行った。
『おいた! しちゃう大馬鹿野郎共なんて
纏めて逮捕だ! 覚悟しろーッ!』
凄まじい音と、アリカの叫びにも似た歌声と共に地面へ突撃。着地に見せかけて、サイは両足を突き刺す勢いで慌てて術の準備をしていた黒フードの人物に突っ込んで行った。
ガラ空きの背中にヒットした飛び蹴りはメキメキという音を奏でつつ黒フードの人物をぶっ飛ばす。
「……っつーわけで、纏めてリセットだこの野郎」
あまりの衝撃に黒フードの人物は動くことが出来ない。そんなチャンスをサイが見逃す訳もなく、最期の言葉を聞いてやろうなどという慈悲もなく、再回収用の箱を取り出してポイっと投げた。
すると、みるみるうちに黒フードの人物は箱に吸い込まれて消えていく。あとはこの箱に鎖を巻いてしまえば完了だ。
終わってみればなんとも呆気ない。例年であればもっと手こずって、最悪の場合死闘を繰り広げるのだが、そんなこともまるで無く、ただただアイドルのライブを少し楽しんだだけだった。
「ま、キリネが楽しい思いをしてればそれでいいわな」
サイはポツリと呟いてタバコを加えた。それから火をつけて、やぐらのある方を眺める。
やぐらの上ではまだまだアリカが歌っていて、辺り一帯は熱狂に包まれていた。きっと、キリネもその中にいる。
「さーて、このあと何を買ってやるかな」
タバコを一本吸い終わると、サイは再び翼を広げ空を舞う。その頭の中にはもう仕事のことなどある訳もなく、リセット対象が一人しか居ないなんてことを考える訳もなく、いかにしてキリネを喜ばせるか、ということで一杯だった。




