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雑貨カフェ『彩』②

「よう、キリネちゃん。こっち側の生活には慣れたか?」


 それから一週間が経った。

 店から出て商店街で買い物をする少女の背中を見つけると、エイゲンは軽い調子で声を掛けた。

 声を掛けられた少女は振り向いてエイゲンの顔を見つけると、花が咲いたような笑顔を見せる。知ってる顔が嬉しいのだろう。


「エイゲンおじさんだ! こんにちは!」


 パタパタと駆け寄ってくる姿はまるで子犬のようだ。その姿を見ているだけで心が浄化されそうな気さえする。幼い少女というものは中々に偉大だった。


「おつかいか?」

「うん! マスターさんったら、しょっちゅうご飯食べないし、食べてもカップ麺ばっかなんだよ。だからキリネが作ってあげてるんだ!」


 キリネはいつからかサイのことを『マスターさん』と呼ぶようになった。きっと、あの店の店主だからだろう。

 この世界では食事をとる必要はない。殺されでもしない限り、死ぬことはない──死後の世界での死なので、消滅と言った方が正しいだろうか──のだ。そのため食事は嗜好品とされている。ただ、食事をとることで少しだが記憶を得ることが出来るため、この世界でも食事をとることはそこそこ大切なことだ。

 そんなことをサイは全く気にしないため、調理の簡単なインスタントばかり食べてしまう。キリネとして、しっかりしたものを食べてほしいようだ。実際、インスタントよりも手作りの方が摂取できる記憶の量が増えるため、その気遣いは間違っていない。


「キリネちゃんはいい子だねぇ」


 キリネの話を聞くと、「今日はお肉たっぷり肉じゃがだー!」と拳を握るキリネにエイゲンはほのぼのとした表情でいい、ついつい彼女の頭を撫でるのだった。こんなの、可愛いと思わざるを得ない。

 一週間でこれだけ考えてくれるようになるのだ。羨ましさも沸いてくる。


「だけど、よく料理の作り方なんて分かるね。俺はちっとも出来ねぇのに」


 そう。いくらサイのことを考えているとはいえ、キリネはまだ七歳の(本人がそう言った)子どもだ。仮にあっち側の記憶が残っていたとしても、流石に料理に関する記憶は無いだろう。

 そんな至極全うな質問に対し、キリネは少し考えるようにして、質問の意味を理解すると嬉しそうにこう答えるのだった。


「なんか、マスターさんが本をくれたんだよ。それを読んだら、キリネ料理ができるようになったんだ!」

「そりゃあ──」


 サイも過保護になったもんだ、とエイゲンは言いかけてやめた。別に言わなくったって良いことだろう。

 本はこの世界において高級品である。何故なら、記憶という記憶が詰め込まれた媒体だからだ。公共機関で発行する、量産型のレシピ本等はそこまで高級ではないが、それでもそこそこの値段はする。『記憶を買う』というのは、そういうことだ。

 普通であれば、出会って一週間の他人にはまずそんなもの買ってやらないだろう。他人にそんなことをしてやる余裕があるのなら、自分が集める記憶に使う。

 この世界では、大体の住人が『あちら側の生活』に憧れを抱き、『あちら側で生を受けること』を目標にこちらでの日々を過ごす。

 だが、サイは自分の転生よりもキリネの転生を優先する。その理由をエイゲンはなんとなく知っていた。


「──キリネちゃんは転生したら料理上手になるんだろうね」


 そのことについて、エイゲンは触れる気はない。だから代わりに、そんなことを言うのだった。

 勿論、その言葉は嘘ではない。転生前に集めた記憶は、転生後才能としてその身に宿ることになる。料理に関する記憶を集めて転生すれば、将来料理が得手となり、集めた記憶が多ければ天才料理人にだってなれる。記憶を集める上でのもうひとつの楽しみだ。


「楽しそうでよかったよ」


 もう一度キリネの頭を撫でて、エイゲンはキリネと別れようとする。が、そこで一瞬だけキリネの表情が曇った。


「何かあったか?」


「うん、あのね……」立ち止まったエイゲンにキリネは口を開く。「マスターさん、よく夜に居なくなっちゃうの……」

 キリネが居るの嫌なのかなぁ、とキリネは悲しそうな表情で言った。その表情を見ているだけで胸が締め付けられそうだ。

 エイゲンはサイが夜に出ていく理由を知っている。そして、サイがキリネにまだ何も言っていない理由も知っている。だがエイゲンはキリネを優先する。その不安を取り除くためにこんな提案をする。


「じゃあ今夜、サイのあとをつけよう」


 エイゲンは今夜のサイの行き先も知っている。





 月明かりが辺りをほの暗く照らす頃、サイはいつも通り雑貨カフェ『(イロドリ)』をカウンター側の扉から出ていく。その後ろをエイゲンとキリネはこっそりとついていく。


「ここって……」


 扉の先には冷たい世界が広がっていた。

 冷たい夜空に冷たい月、そして一面に広がるコンクリートとアスファルト。人の気配はしない。とても静かだ。


「ここは『あっち側』さ。この扉はあっち側に繋がってるんだ。店にもうひとつ扉があるだろう? いつも出入りする方の扉はこっち側専用で、今来たのはあっち側専用。そうじゃないと客が呼べないからな」


 そして、こちら側の住人はあちら側の生きた住人を認識することはできない。生きた人間が死人を認識できないように、あちら側の住人はこちら側には見えない。あちら側の住人でも、死んでいれば別なのだが。

 サイの姿は見えない。だが、エイゲンは迷いのない足取りでキリネの手を引いてどこかへ向かっていた。

 それから暫く歩いてたどり着いたのは、オフィス街の中でも一番大きなビルだった。その入り口は固く閉ざされているのだが、エイゲンとキリネはその扉を、もっといえば壁を難なくすり抜けることができる。


「ここはどこ?」

「ここはあちら側の人間が働いてる場所さ。たまーに、俺たちの職場にもなる」


 ほら、こっちだ。とエイゲンはあまり詳しいことは話さずにエントランスの中央にある階段を登り始めた。エスカレーターやエレベーターは動いていない。だから歩くしかない。空でも飛べればよかったのだが、生憎そんなことは二人にはできなかった。

 暫く階段を登ったり長い廊下を歩いたりすると、次第に暴れるような物音がどこからか聞こえてくるようになる。その音は上に行けば行くほど大きくなっていく。

 階段が途切れる。行き止まりには扉があるだけだ。

 そこをすり抜けると、扉の外は屋上だった。

 屋上の中心では、黒い影と異形の者が戦っている。

 黒い影は目と思わしき部分が白く光っていて、あとは何となく人型というのが分かるだけでそれ以外は分からない。

 異形の者は頭から二本の長い角を生やし、腕は大きく変化して鱗のようなものと、手には大きな爪がついていた。角は鬼のようで、腕は竜のようだ。

 二者は腕を、脚を振るって互いに互いを倒そうと戦っている。だがどう見ても異形の者の方が優位だった。

 やがて、黒い影が倒れる。すると異形の者はどこからか黒い箱を取り出した。見覚えのある箱だ。


「……この恨み(きおく)はアタシが預かって置いてやる。ほしけりゃ買いに来な」


 最後に異形の者はそう言って箱を地面に置いた。それからタバコを取り出し口にくわえて火をつける。ふぅっと白い煙を吐くと、黒い影はすっかり消えてそこには黒い箱と青色の小さな宝石だけが残っていた。

 いつの間にか異形の者からは角が消え、竜の腕も人間のものへと変わっていた。そして()()は、箱と宝石を回収するとタバコを吸いながらくるりと半回転する。

 そこでやっとキリネたちに気がついた。


「マスター、さん……」


 キリネもその顔を見てやっとその名を呟く。その表情が何を語っているのか、サイからは暗くてよく見えない。ただ、そこにキリネがいるということだけは確かに分かっていた。その後ろにエイゲンがついていることも。


「なんで連れてきた、エイゲン」

「キリネちゃんが不安がってたからさ。隠したい気持ちはわかるが、黙って出てくのは良くないぜ? オジサンってこういう時はちっちゃい子の味方になっちまうもんなんだよね」


 怒気を孕んだサイの声に、エイゲンは悪びれもせず答えた。キリネと同じくその表情は見えないが、きっとニヤリとシニカルな笑みを浮かべているのだろう。

「さ、キリネちゃん」それからエイゲンは黙り込んでしまったキリネに言う。「これが()()()()()()のもうひとつのお仕事だ。あちら側にしがみついて悪霊と呼ばれる存在になっちまった輩をしばいてその魂と記憶を回収すること。サイは回収屋の俺なんかよりもずっとハードにああやって戦ってるのさ」

 キリネは何も言わない。サイも何も言わず、タバコを吸いながらエイゲンをじっと睨み付けている。そんなサイをエイゲンは鼻で笑った。


「改めてようこそ、こっち側の世界へ」

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