夏祭りとキャンプファイヤー①
色とりどりの提灯が紐にくくりつけられ並べられている。その下では様々な露店が立ち並び、食欲をそそる匂いをあちこちから漂わせていた。
「マスターさん、すごいよ! いろんなお店がいっぱいある! すごいよ!」
白地に細かい金魚の柄が入った浴衣を着て、走り出したい気持ちを抑えながらはしゃいだ様子でキリネが言う。キリネが跳ねるたびに赤い兵児帯が後ろでぴょこぴょこと動いてそれも金魚のように見える。
先日飲みに行った後、サイはすっかりその時の記憶が抜けてしまっていた。しかし、そうではなかったジェンヌに「あら? キリネちゃんを夏祭りに連れてくっていったわよね? 浴衣買わないの?」と言われて慌てて買った浴衣だったのだが、買って正解だったと思うしかない可愛さだ。ジェンヌには感謝しても仕切れない。可愛さに溢れすぎてサイがどうにかなってしまいそうだ。
「いい? キリネ、アタシとの約束をちゃんと覚えてる?」
だけどサイは大人として振舞うことを忘れない。キリネと手をしっかりと握ったままサイは落ち着いた声でキリネに問う。
キリネは「おぼえてる!」と元気に言うと、ここに来るまでの間にサイとした約束を復唱し始めた。
「いち、『絶対にマスターさんと離れない』でしょ? に、『知らない人に話しかけない』。んーと、さん、『マスターさんの言うことをきく』」
「よん、『ジェンヌちゃんの肩に乗る』!」
「おい」
どこからともなく現れた声は、下から急に伸びてきてキリネを肩に乗せて上に伸びた。それをサイが拳でどつくと、ニンマリと笑いながらジェンヌはひらひらと手を振った。
ジェンヌも浴衣を着ていて、右半分は赤く、左半分は黒いアシンメトリーなデザインのインパクトは絶大だ。切れ長の目を赤いアイシャドウが色っぽさを、血を啜ったような赤さの口紅が妖しさをそれぞれ際立たせている。
「やーだ、サイちゃんってば自分の浴衣は買わなかったわけ?」
「自分の着付けが出来ないからね」
「そんなの私がやってあげるわよ?」
「絶対に嫌だ」
以前にも着ていたサイの唯一のちゃんとした服装に、ジェンヌは心の底からがっかりしたような声で言う。が、サイはピシャリと一蹴した。これは普段のジェンヌの行いが悪いので(出会い頭に胸を揉む等)仕方のないことではあるのだが。
「ねぇねぇ、なんで誰もいないお店もあるの?」
ジェンヌの肩の上で辺りを見渡すことが出来るようになったキリネがふと気付いたのか尋ねた。
確かに、途切れることなく並べられた露店には誰もいない店もある。それが一つだけならまだしも、二軒に一店舗ぐらいの割合であるのだからおかしいと思ってしまう。しかしそうではない。この光景はおかしいのではなく、こうであることが通常なのだそうだ。
「本当は誰かしらいるし、その店にも誰か並んでると思うよ。ただアタシたちには見えないだけ。一応あっち側だからね」
キリネの質問にサイはそう答えた。
そう、ここはあちら側の世界。夏を迎えたこの世界では、この時期死者を迎え入れる風習を持った地域がある。その風習のおかげで、この時期はあちら側とこちら側が混じり易くなる。すると、普段はお互いにお互いの側の住人が全く見えないのが、何人かは見えるようになってしまう。それを利用してサイたちはあちら側の祭りに参加したのだった。
「ま、アタシとジェンヌは仕事で来てるんだけどね」
心底面倒臭そうにサイはそう締め括った。
こちら側の住人があちら側の住人にも見えるようになる。こちら側の住人も、あちら側の住人を見れるようになる。すると、どうしてもこちら側から馬鹿が沸く。良からぬことを考え、後先深く考えずに実行する輩が出てくる。ついでにあちら側に留まった死者の魂も集まってくる。回収屋はそういった輩を取り締まり、回収するためこの時期は大忙しなのだ。
ちなみに、この前者の中でもかなり悪質な者は死者の魂と同様に再回収されることになる。今まで集めた記憶は勿論、こちら側での記憶も全て回収されることになる為、強制リセットとも呼ばれている。
「リセット連中は面倒だから相手したくないんだよね」
「誰だってそうよ。記憶を積んでそこそこ力を持ってるんだもの。だから私やサイちゃんに依頼が来るのよ」
辞めて七年も経つのに、とサイは嘆くように言った。だが、回収屋を辞めている以上この依頼には強制力がない。だというのに嫌々ながらも依頼を受けてしまう辺り、サイの断れない性格か、はたまたこの依頼の報酬の良さが伺えてしまう。
決して『彩』が儲かっていないわけではない。回収屋だった頃の貯蓄もまだまだたんまり残っている。だけど報酬の良さには心惹かれてしまうものなのだ。それに、今後どんな大きな買い物をするかも分からない。キリネに色んなものを買い与えたいという欲もある。稼いでおいて損はない。
「この仕事が来ると、夏だなって感じるよ」
なんてお金の話は全て建前で、ただ単にサイが仕事中毒なだけなのかもしれなかった。
「マスターさん! すごい、これフワフワしてる! 甘くておいしい! とけちゃった!」
こちら側にはあまりない食べ物が夏祭りでは食べられるので、食べたいものはなんでも言いなさいとキリネに言った結果、サイは真っ先に綿あめを買わされた。おかげでいつになく興奮しながら嬉しそうに綿あめを食べるキリネを堪能することができたので、大満足のサイである。
ジェンヌの肩から一度降ろされたキリネだったが、綿あめを食べ終わると再度ジェンヌの肩に乗った。キリネの身長では人混みに紛れてしまって万が一はぐれてしまった場合、見つけることが困難になるからだ。それに、こうしていた方がキリネにとっても景色がよく見えて良い。
「ねぇねぇ、あそこはなぁに?」
またキリネが何かを見つけた。しかし二人は今キリネよりも低い視線にいるため、キリネが見つけた物を中々見つけることができない。
「そこに何があるのかしら?」
見渡す限り人の頭しか見えないので、ジェンヌはキリネが指差す方を確認しながらそちらに向かって歩きつつ問う。するとキリネから返ってきた答えは「わかんない」だった。
「わかんない?」
「うん。なんかね、そこだけちょっと赤いの。赤くて明るいの」
「赤くて明るい……?」
聞いてみれば、何か光っているものが見えるわけではないらしい。何か光っているものがどこかにあって、その光が漏れたものがうっすら見える程度の赤い何かが見えるそうだ。
やはり聞いてもよく分からないので、二人はズカズカと人混みの中を突き進んでキリネの言う赤い光らしき何かの方へ行く。すると、目的地が近付くにつれ祭りの雑踏に紛れて全く別の音が聞こえてくるのが分かった。
そして目的地が目の前に現れる。
それを目にした途端、キリネの身が硬くなり小さく震える。きっと、その目には恐怖の色が浮かんでいただろう。
「こりゃあ……」
「ええ、やりやがったって感じね」
三人の目の前では、そこそこ大きかったであろう建物が巨大なキャンプファイヤーと化して、ごうごうと真っ赤な光と熱を放っていた。夏祭りの催し物ではないだろう。こんな催し物は嫌だ。
炎は建物を燃やし尽くそうとするが、周囲の他のものに移る気配は全く見せない。明らかに建物に被さっている木が全く被害を受けていないというのはかなり違和感を覚える光景だ。
こんな訳の分からない現象を起こせるのは、こちら側の住人だけである。こちら側の住人はあちら側で何らかの力を行使するとき、必ず対象を決めなければならない。そして、対象以外は影響を及ぼすことができない。
今回の場合、この建物が対象として選ばれたのだろう。だから他のもの、建物に被さっている木は燃えることがない。
しかし、この建物の中に誰かがいた場合無事なのか、と問われればそれは微妙だ。多くの場合、対象に触れていたものも対象として扱われる。だから、奇跡的に建物が対象に認定され燃やされた瞬間、中にいた人間がジャンプなどをして建物に触れていなければこの中にいても焼け死ぬことはない。だが、そんな都合のいいことはそうそう起こらないだろう。
ジェンヌが『記憶の書』を取り出し、建物に大量の水をぶっかけて鎮火させ、炭と化したその中を探してみると、そこから同じく炭と化した人型の何かが出てきた。
「さーて、夏本番ね」
ジェンヌが気だるげに言う。
これから楽しい楽しい、強制リセットのお時間だ。