風景カクテル②
それから一時間経過した頃、ジェンヌは完成しつつある目の前の酔っ払いの相手に悩んでいた。
「それでさー、キリネってば『マスターさんは口から出るのッ!?』なんて言い出すの。本ッ当に可愛いのなんのって」
ケラケラと普段の様子からは想像もつかないくらいの笑顔と饒舌さでキリネが可愛いという話をするサイ。因みにこの話は既に五ループ目だ。
話がループし始めた辺りから適当に相槌を打つことで流していたジェンヌだったが、流石にもう聞き飽きた。そろそろ話の流れを変えてループを断ち切りたいところだ。
「キリネちゃんってば本当に可愛い反応をするわね」
だが、これといって良い返し方も思い浮かばず、適当に話を合わせることになってしまう。ダメだ、この返しでは六ループ目に突入してしまう。せめて、話を合わせるにしても話がそれるような合わせ方をしなければ。
「可愛い上に料理も出来るだなんて最強よね。まっさか、サイちゃんが幼女にまで養われるとは思わなかったわ」
なんてことを考えているうちに、自然とこんな言葉が口から溢れていた。ジェンヌもそれなりに酔っているらしい。これは日頃から思っている本音だ。
それに対してサイは反論するわけではなく「そうなんだよねぇ」と日本酒を一口飲みながら肯定した。それから何かを思い出したのかフッと笑って「そうそう」と切り出した。
「この前、とうとうキリネがラーメン作ってくれちゃってさー」
「あの子本当にラーメン作ったのッ!?」
いつか買った本に載っていた筋骨隆々なオジサマとは真逆のキリネに果たしてラーメンは作れるのかといささか疑問ではあったのだが、どうやら作れてしまったらしい。やろうと思えばなんだって出来るんだなぁという感想を抱くしかない。そして、幼女の作るラーメンに俄然興味が湧いてくる。是非とも目の前で作ってもらって、その後舌鼓を打ちたいものだ。
「飲んだ後の締めのラーメンって最高なのよね……」
「あー、いいねぇ」
ラーメンの話をしていると、ラーメンが食べたくなってくる。特にどこにいくという相談もしていないが、二人の中でこの後どこに行くかという予定が完全に決まってしまった。
キリネが作ったラーメンの味を思い出したのか、サイは幸せそうなにやけた笑みを浮かべる。それからお猪口に入った日本酒を一気に飲み干して、表情を一変させた。
「そういやイロハにも飯の世話してもらってたっけ」
目を伏せてサイは言う。ジェンヌはあえて何も返さなかった。代わりに、空になったサイのお猪口に日本酒をなみなみ注いで、自分はカクテルに口をつける。
「ジェンヌは食べたことあったっけ? イロハの手料理」
「いーや、どっかの誰かさんが食べさせてくれなかったから無いわね」
「そうだっけ」
「嘘よ。豚の角煮とか食べたわ」
注がれた日本酒をまた一気に飲み干した後で、サイが柔らかな表情で言うのでジェンヌもそれに合わせて答えた。
七年以上前、イロハがまだいた頃はイロハが今のキリネのようなことをしていたのだ。当時のイロハは今のキリネよりもずっと料理の腕がよく、掴んだ胃袋の数は知れない。サイとジェンヌは胃袋を掴まれた者の筆頭だった。
「角煮かぁ……あれは確かに最高だったな。もつ煮も好きだったよ。串揚げを作ってもらったこともあったっけ」
「全部お酒のつまみじゃない。どんだけ飲んでるのよ。いや、私も一緒に飲んだこともあったけど」
むしろ一時期、毎日のようにイロハにおつまみを作ってもらって飲んでいたような記憶さえあった。人に対してとやかく言える立場ではなかった。
「唐揚げも美味しかったなぁ……」
「あ、それは私食べたことないわね。私がいない時に作ってもらってたの?」
「……いや、唐揚げはイロハじゃなくてキリネか」
「あんたキリネちゃんにまでおつまみ作ってもらってるの?」
「いやいや、夕飯で出てきたんだって。飲みたかったけど飲んでないよ。飲みたかったけど」
相当飲みたかったのだろう。そして、相当麦酒に合いそうな唐揚げだったのだろう。本気で悔しそうな顔をしている。サイのそんな表情を見て、ジェンヌは思わず唾を飲み込んだ。そんなに美味しいのなら是非とも食べてみたいところだ。麦酒のお供に。
「つくづくアタシってダメな大人だね。子どもにまで世話されて」
しみじみとサイは言う。否定は出来なかった。記憶さえあればなんだって出来るようになるとはいえ、絵面的にどうなのだろうと思わなかったことは決して無い。
「それに」とサイは続ける。ふうと深いため息をついた姿は、今にも崩れてしまいそうだった。「物の声が聞こえるなんて言っててさ。アタシってばそれを利用することしか考えてないの」
本当に最低だね。とサイは頭を抱えた。
ジェンヌはその言葉の意味を全く理解出来ないので、サイが傷付いていると分かっていながらもその話を深く掘り下げることにする。適当に流せるワードではないものが聞こえてしまったのだから仕方ない。
「物の声が聞こえるってどういうこと?」
「さあ……アタシにもよく分からないけど、アタシが作ったものとかがどんな記憶を持っているのか、それをものから教えてもらってるんだってさ」
記憶を加工したものだから聞こえるのか、それとも全てのものに宿った記憶の声を聞くことができるのか。それはキリネじゃないと分からない。ただ、もし後者なのだとしたらイロハとの記憶を探す上でこんなに便利なものは無いと、そこまで考えて嫌悪に陥ったことをサイは素直にジェンヌに吐露した。
ジェンヌはサイの言葉を静かに聞き入れ、それから自分の中で繰り返して、今サイのために答えてやれる自分なりの結論を探す。それが見つかると、持っていたグラスを静かに置いて言った。
「それはもう、仕方がないんじゃないかしら」
確かに良くない考え方だ。私利私欲のために幼女を使おうなんて、幼女に養ってもらうことよりも道徳的に良くないことだ。良くないことだと、そう感じる。だけど一方で、利用したくなってしまう気持ちも分からないわけじゃない。むしろ、痛いほど分かってしまう。誰だって便利なものは使いたいのだ。
「だから、利用するって考え方をやめればいいんじゃないかしら」
目的を本人に黙ってその力を使おうとするから問題なのだ。素直に本人に話して理解してもらった上で、協力してもらうのなら、問題はないのではないか。
「でも、話せばキリネは絶対に協力する。それが分かり切ってる時点で、もう……」
今までのキリネのサイに対する言動を見ていれば、ほぼ確実にキリネはサイに協力するだろうと想像に難くない。それを分かった上で話をするのは、黙って利用するよりもタチが悪い。
「それも含めて仕方ないのよ。だったらもう、素直に話して手伝ってもらっちゃいなさいよ。それを咎められるほど偉い人なんてここには誰もいないわ。で、キリネちゃんがやりたくないって言った時に諦めればいいのよ」
ジェンヌの言葉はどこまでも甘く、優しい。話しているだけでどんどん自分がダメにされていくような錯覚すら覚える。アルコールでグズグズになった状態だから尚更だ。もう、そんなことを考える理性も殆ど今のサイには残っていないのだけれど。
「……じゃあ、手伝ってもらえることになったらそのお礼として新しい浴衣でも買ってあげようかな」
「いいじゃない、それ。夏祭りも近いことだし」
着物と浴衣ではまた雰囲気が変わる。それに、キリネはいつも赤い着物を着ているから、たまには違う色のものを着せたっていいだろう。暑い時期になれば、浴衣を普段着にだって出来る。
「何色がいいかな……前に見た青い浴衣もにあってたんだよね」
「青い浴衣? そんなのいつ着てたのよ」
「ん? アンタも見たでしょ? ほら、ユリの柄の入った……」
はて、とジェンヌは記憶を辿る。青い浴衣。ユリの柄。そういえばそんな浴衣を見た記憶が無くもない。でも、だけど、それを着ていたのはキリネじゃなかったはずだ。
「それ、イロハちゃんよね、着てたの」
「あれ? そうか……」
イロハが似合っていたのだからキリネも似合うとは思うが、そういう話ではない。まず、それよりもなによりも、
「キリネちゃんを利用するとかしないとかそういう前に、まずはちゃんとキリネちゃんとイロハちゃんを分けなきゃダメよね。キリネちゃんはキリネちゃんだし、イロハちゃんはイロハちゃんよ」
咎めるようにジェンヌは言った。それはサイに向けつつも、自分に向けた言葉でもあった。
確かに、二人はあまりにも似ている。だけど、だからこそ、二人は別人なのだ。キリネはイロハではないし、イロハはキリネではない。頭の中では分かっていても、中々難しいことではあるが。
サイがとっくりを傾ける。だけどそこにはもう日本酒は入っていない。仕方がないので店員を呼び、新しく飲み物を注文した。次に注文したのは風景カクテルの『記憶』だ。
「そうそう、夏祭りってこんな雰囲気だったっけ」
届けられたカクテルを一口飲むと、先程までの話に引っ張られたのか、サイの目の前には夏祭りの風景が広がっていた。色とりどりの提灯の下には風景と化した大量の人で賑わっていて、出店からは今にも匂いが漂ってきそうだ。
「連れてってあげればキリネちゃん喜ぶんじゃない?」
「大はしゃぎだろうさ。ねぇ?」
クスリと笑ってサイは隣を見た。隣に誰かがいると、そう思い込んで、自然な動きでそうしてしまったのだ。だけど今は隣には誰もいない。目の前にジェンヌがいるだけだ。
「ッ、」
それに気付くとサイは慌てたように前を向いて「それで」と無理矢理話を続けた。
サイが平常心を保とうとするので、ジェンヌはそれに合わせることにする。サイが一瞬、夏祭りの時のイロハの姿を隣に見ていたのだろうと分かっていても、決して悲しい表情を出す事はせずに。