記憶色の宝石②
夕暮れと夜の間。この世の終わりでも見ているような真っ赤な空の下でサイたちは戦っていた。
サイと、黒髪で紺色の袴を着た女と、着物の男。
サイは頭に包帯を巻いておらず、夕陽のような左目が輝いている。
そう、これは夢。或いは、過去の記憶だ。
サイが勢いよく地を蹴り、男へ突進する。だが男はその行動を読んでいたのか、一振りの小刀を空間に置くように投げた。小刀の位置は丁度サイの左目の辺り。勢いよく駆け出したサイにはそれを認識することは出来ても、回避するということはできない。
直後、小刀は男の狙い通りサイの左目を潰し、サイの獣のような絶叫が響き渡った。
当然のことながらそれを目にし、耳にした袴の女の動きが鈍る。サイの方へ、駆け寄ろうとしてしまう。
男はその隙を見逃さなかった。
サイの左目を潰したものとは別の小刀を取り出すと、男は袴の女に襲い掛かる。それに気付いた女は咄嗟に下がって避けようとするが遅く、小刀が喉元を切り裂いた。
鮮血が舞い、血溜まりの中に女は沈んでいった。
「うああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
絶叫と共にサイの意識は覚醒した。呼吸と心臓が跳ね回るように暴れている。嫌な汗が滝のようにどっと噴き出していくのが分かった。
どうやら絶叫ついでに飛び起きたらしい。捲れた布団を見て初めて、自分がさっきまで布団に寝かされていたのだということを知った。
大きなため息を吐きながら、ぐしゃりと髪をかき混ぜるように頭を掻きつつ顔をあげる。するとサイの視界に飛び込んできたのは、先程見た光景の中で最後に血溜まりに沈んでいった黒髪の女だった。
「イロハッ……」
気付けばサイは彼女に手を伸ばし、その身体を強く抱き締めていた。彼女の名前を何度も呼び、右目からは雫が溢れる。
「マスター、さん……?」
だが違った。彼女は彼女ではない。姿も声もほぼ同じだというのに、彼女はイロハではなくキリネだった。
それに気付くと、サイは消え入りそうな声で一言「ごめん」と吐いて、両手でキリネの肩を持ち自分から離した。その一連の行動にキリネがどんな表情を浮かべたのか、サイは知らない。
「お目覚めかしら、サイちゃん」
気まずい空気の中、複雑そうな表情を浮かべつつ口を開いたのはジェンヌだった。一仕事終えたジェンヌは、キリネが作ったおじやを食べながら「美味しいわよ、これ」なんて言う。
「キリネ、マスターさんの分のおじや持ってくるね!」
ジェンヌを見てハッとした表情を浮かべると、キリネは慌てたように立ち上がって台所へ走っていった。その背中を見送ると、ジェンヌはわざとらしく深いため息を吐き、「で、どんな夢を見てたのかしら?」と問う。少し間を置いてから、「まあ、大体想像がつくけどね」と言ってサイの右手に握られた小さな宝石を指差した。
そう、さっきまでサイが見ていたのは宝石となったイロハの記憶だ。仕事の報酬にとエイゲンが持ってきたのは、よりによってイロハのこちら側での最期の記憶だったのである。酷い嫌がらせだ、と力無く笑うことしかできない。
「……イロハちゃんは転生出来たのかしら」
「さぁ……アタシには、死んだようにしか見えなかったよ」
ポツリとジェンヌが呟いた一言に、サイは出来るだけ感情を殺して答えた。実際はどうだったのかは分からない。宝石の中の記憶は、イロハが斬られて倒れたところで終わってしまっていた。だからその先があったとしても分からない。
この最期の記憶から七年。最近までずっと、イロハは死んで、イロハの魂は永遠にこの世から消えてしまったものだと二人は信じて疑っていなかった。でもそれは、キリネが現れたことによって揺らぎ始めている。
自嘲的な笑みを浮かべるサイに、ジェンヌは言いかけていた言葉を引っ込める。だけど、引っ込めたそれはどうしても確認したいことだった。だから少し悩んで、躊躇った末にジェンヌは意を決して口を開くことにする。
「ねぇ、サイちゃんはキリネちゃんのこと、どう思ってるのかしら? キリネちゃんはイロハちゃんの生まれ変わりだと思う?」
あちら側の世界で死んだ魂はこちら側の世界にやって来る。そして、こちら側の世界で一定以上記憶を集めると、あちら側の世界へ転生することが出来る。そのあと、またあちら側の世界で死ねば魂はまたこちら側へ戻ってくる。世界を移動するときに記憶を喪うことになるが、こうやって魂は廻り続けている。
さて、七年前に死んだイロハにそっくりなキリネ。彼女は一体何者なのだろうか。死んだと思っていたイロハがあちら側へ転生し、再び死んでこちら側へやって来たのだろうか。それとも只の他人の空似なのだろうか。だとしても、二人は余りに似すぎている。
それに、キリネの年齢が七つだという点においても引っ掛かる。偶然だというには出来すぎている。一致しすぎている。初対面のサイに対してすぐになつき、尽くしてくれるようになったのも気になるところだ。子どもだからだろうか? だとしても、もう少し警戒していても良さそうなものである。
だが、いくら考えたところで結論が出るわけではない。まだイロハが転生したかどうかすらも分からないのだ。前提が確定しないことには答えなど出しようもない。
だからサイは、ジェンヌの問いには答えなかった。その代わり、自分にも宣言するようにこんなことを言った。
「今後、アタシはキリネの死ぬ前の記憶を探そうと思うよ」
どうしてキリネは死ぬことになったのか。気にならないと言えば嘘になる。キリネの正体が誰であれ、だ。幸か不幸か、キリネはサイが加工した記憶の一つに反応を示していた。あの桜のペンダントの記憶と同じ人物の記憶が見つかれば、その謎は解けることだろう。そして、もしかしたらキリネはイロハなのか、そうでないのか、その答えも分かるかもしれない。
「はは、やることが増えちゃった」
サイはそう言って笑った。相変わらず自嘲的な笑みだった。
ジェンヌはその笑みを見て、「じゃあ私も付き合うわよ」とは言わなかった。「そうね」とも言わなかった。ただ何も言わず、サイの表情を見つめるだけだった。