魔女の花冠②
戦場に来てみると思っていたよりも多くの回収屋たちが戦っていた。
「なんだ、結構いるじゃないの」
回収すべき幽霊たちを百としたら、回収屋は大体その半分程。これだけの人数がいれば、サイとジェンヌを呼ばずともどうにかなりそうなものだが、どうしてエイゲンは苦戦を強いられたのだろうか。
「……? なんでこんなに増えてんだ?」
そんな疑問がサイとジェンヌの中で浮かんでいたのだが、エイゲンのその一言によって打ち砕かれた。そして二人は同時に思う。「お前も知らないのかよ」と。
あまりにも目の前に広がる光景が不思議だったらしく、エイゲンは「ちょっと俺聞いてくるわ」なんて言ってどこかに消えていった。出来ればそこは、聞きに行く前に仕事を片付けていただきたかった。
「待っていても仕方ないから始めましょうか。この感じじゃ思ってたよりもすぐに終わるのかしら?」
「アタシ達が出る幕でも無いような気がするけど……」
なんて言いながら二人は準備を始める。サイは両腕を竜の腕に変化させ、頭からは二本の黒い角を生やす。ジェンヌはサイにもらった花冠を被り、何もない空間から羽ペンと分厚い本を取り出した。
こちら側の世界では、誰でも一人ひとつ、なんらかの能力を持っている。サイの場合は『変化』、ジェンヌの場合は『魔術』がそうだ。そして、この能力の強さは集めた記憶の量に比例する。
「ちょっと見ない間に随分と分厚くなったね、『記憶の書』」
竜のような腕でジェンヌの手にある本──『記憶の書』と呼ばれている──を指差してサイは言う。
記憶の書はその名の通りジェンヌの記憶を記した本だ。ジェンヌはこの記憶の書から使いたい魔法を羽ペンで書き出して魔法を打ち出す。本の厚みは、サイが最後に見たときから三分の一程増していた。それはジェンヌがかなりの量の記憶を集めたことを意味する。
「私もビックリしたわ。昨日まではこんなんじゃなかったもの。多分この花冠のせいね。もしかしてこれ、とんでもない魔女の記憶だったんじゃないの?」
ジェンヌの言葉に、サイは「なるほどね」とだけ返した。この花冠の元となった魔女が生前はどんな人物だったのかなんてサイには知る由もない。分かるのは魔女の記憶。ただそれだけだ。
「──さて」魔女の話を打ち切って、サイは地面を蹴った。それから武器を持った幽霊たちの群れの中へ突っ込んで、近くにいた数人を薙ぎ倒す。「さっさと終わらせて帰ろうか」
サイが突っ込んだ辺りにも回収屋たちは居た筈なのだが、流れるようにサイが幽霊たちを薙ぎ倒した後は誰も居なくなっていた。どうやら、サイの邪魔にならないように、或いはサイに巻き込まれないように移動をしたらしい。
そこから少し離れたところでは、両手の刀を振るって暴れるエイゲンの姿があった。回収屋たちが集まった理由を聞きに行ったのではなかったのだろうか。
「あーあ。すっかり『狂気の人斬り』になっちゃってるじゃないの」
まだここに来てから少ししか経っていないが、エイゲンはすっかり血で赤く染まっていた。ちなみに、勿論全て返り血だ。
肉体がなくても血って出るのね、なんて前から分かっていることを改めて呟きながらジェンヌはエイゲンから目を離した。あれはあまり長時間眺めていられるようなものでもない。キリネにはとても見せられないような光景だ。子どもに良くないものが目に優しいわけがない。
『ウオォォォォ! 俺たちも伝説と並ぶんだ!』
『伝説がここにいる! 最高だ!』
『見ていてください、俺たちの勇姿を! ユイト様ッ!』
激しく何かがぶつかったり、爆発したりする中からそんな雄叫びが聞こえてくる。どうやらこれが理由のようだ。伝説として語り継がれる人物、『ユイト』がこの戦場で回収を行っている。伝説が伝説をつくるような現場に、回収屋として行かないわけにはいかない、と彼らは集結したのだ。
「『ユイト様』はどこにいっても人気者ねぇ」
理由を知るとジェンヌはつまらなさそうに笑って、それからペン先を適当に開いた本のページに突き立てた。それからペン先を前に向かって突き出すように払うと、ジェンヌの視線の先に居た幽霊たちがバラの蔦のような植物に絡め取られて動けなくなる。
「『黒バラ』花言葉は──『束縛』……なーんちゃって」
動けなくなった幽霊たちに黒い箱を投げつけて魂を回収していく。ついでにサイが薙ぎ倒していった幽霊たちも回収しておいた。このペースなら想像よりもずっと早く終わりそうだ。やはり、頭数は大事ということだろうか。
「……ねぇ、サイちゃん?」
「……っは、何?」
それから何時間が経過しただろうか。
想像していたよりも早く終わるはずだった戦いは一向に終わる気配を見せなかった。それどころか、回収しても回収しても幽霊たちが減っていく気がしない。むしろ増えているような気さえする。
サイとジェンヌは背中合わせになって、やけくそのような笑みを浮かべながら辺りを見回す。二人の周囲にはうじゃうじゃと武器を構えた幽霊たちがいて、その全員が二人に武器を向けていた。
「これってどういうことだと思う?」
「どうもこうも……っ、絶賛戦争中ってことでしょ。知らないけど」
「やっぱりー?」
何時間もぶっ続けで動き回っているため、サイは大分息を切らしていた。魔法をずっと使い続けていたジェンヌの表情にも疲労が色濃く出ている。
今ここでは死者たちの戦争が巻き起こっている。と、同時に生者たちの戦争も続いている。だから回収しても回収しても幽霊は減らず、逆に生者たちの戦いで命を落とした者たちが死者たちの戦争、こちら側の戦争に参戦してきている。それがサイとジェンヌがたどり着いた結論であり、事実だ。
生者たちの戦争が終わらない限り、こちらの戦争が終わることはない。そして困ったことに、こちら側では生者たちの戦争を止めることはできない。いつ終わるのかもわからない。
「なんか、どこかで百年間戦争したって歴史見たことあるわよ、私」
「冗談じゃないって。アタシはさっさと終わらせてキリネのご飯が食べたい」
「私も食べたいわ……呼びなさいよ、キリネちゃんのご飯」
軽口を叩き合えるからまだ元気。二人は自分にそう言い聞かせながら戦い続ける。だが、いい加減動きも悪くなってきた。気付けば二人は少しずつ幽霊たちの攻撃を受け、身体中に傷を作り始めていた。
それでも戦いはまだまだ終わらない。
「……ッ、ぐ」
サイの肩から鮮血が舞い、サイの表情が歪んだ。
腕を竜の腕に変化させる際、自分の身体とうまく馴染ませるために、サイの身体には肩から首、そして頬の辺りまで、腕と同じ竜の鱗が生えている。鱗は固く、刃は基本的に通さない。鎧のような役目を負っていた。
だと言うのに、傷はその鱗が生えた肩に走っている。
何故そうなったのかといえば、サイを斬りつけた兵士の持つ剣が竜殺しの剣だったからなのだが、そんなのサイには知る由もない。ただ起こった事象に戸惑うだけだ。
目に見えて動きが鈍ったサイは格好の的だった。矢が、銃弾が、剣が、魔術が、札が、様々なものが飛んできてサイの身体を蝕む。
「サイちゃんッ!」
それに気付いたジェンヌがサイを助け出そうとするのだが、疲労しきったジェンヌ一人では四方八方からやってくる兵士の集団を捌くことはできず、サイを助けることができない。
「こんッの……! 『黒ユリ』!」
花冠から流れ込んできた魔術を発動させると辺り一面に黒ユリが咲いた。黒ユリの花言葉は『呪い』。呪われた幽霊たちは武器を捨てると、頭を抱えて苦しみ始めた。その隙にサイを救出する。
「……、ごめん、助かった……」
「このぐらいどうってこと無いわよ。そんなことよりも、今のうちに逃げるわよ! こんなのやってられないわ!」
「……だね」
叫ぶように言うと、ジェンヌはぐったりした様子のサイを抱えて走り出した。一目散に、逃げるように。
逃げることだけを考えて、幽霊たちの間を縫って戦場を駆け抜けていく。このままいけば、これ以上傷を負わずに済みそうだ。幽霊たちは戦うことに夢中で、駆け抜けていくジェンヌには気付いていない。
「……やっぱり上手くいかないカンジ?」
このまま逃げ切る……筈だったのだが、現実はそう甘くなかった。戦場が甘くないと言うべきだろうか。
ジェンヌが走った先には一人のゴリラのような厳つい男が立っていて、彼はジェンヌとサイをしっかりと見つめていた。
男はその辺の兵士たちとは違った雰囲気を纏っていて、一目見ただけで彼が強者だということが十二分に感じ取れる。逃げることも難しそうだ。
ラスボス戦かな、とサイは呟いてジェンヌから降りる。傷は決して浅くないが、死んでしまうほどではない。まだまだ戦える。両腕両足がついているんだから、戦うには十分だ。なんて心の中で吐き捨てて、真っ直ぐにゴリラのような男を見つめる。
そんなサイをみて男は口を開いてこう言った。
「……俺は、死んだのか」
それは思っていたよりもずっと静かで落ち着いた声だった。
男は辺りを見回して、今も尚戦い続ける兵士たちの顔を見ていく。そうして確信したのか「ああ、俺は死んだんだな」と納得したようにため息混じりに言った。
武器を構える様子は無い。
「なあ、お嬢さんたち」男は落ち着いた様子のまま二人に問う。「あいつらはなんで死んでまで戦ってるんだ? もう、戦わなくたっていいだろうに」
男がこんなにも落ち着いているのは、戦う理由がやっと無くなったからだった。戦争が始まってから、ずっと死ぬ覚悟はしていたのだろう。だから自分の死が分かっても取り乱すことはなかった。
二人は男の問いに大して明確な答えを持ち合わせていなかった。男もそれを察したらしく、答えを待たずに一つの願いを言った。
「……それならお安いご用よ 」
男の願いにジェンヌは頷いて本を開く。それから目的の文字列を見つけると、そこを羽ペンでなぞって静かに唱える。
「──『ネモフィラ』」
刹那、淡い青色の可愛らしい花が咲き乱れ、戦場を青く染めた。青い花に気づくと、兵士たちは一斉に動きを止め、そして静かに涙を流し始めた。
「ああ……これだ。俺はこの青が見たかったんだ……」
男は眩しそうにネモフィラを見つめ、ゆっくり溶けるように消えていった。すると、それに習ってその他の兵士たちも消えていく。成仏したのだ。
男が願ったのは『故郷の花』。男の故郷には一面にネモフィラが咲く、美しい青い花畑があったそうだ。
「……みんな、許されたくて戦っていたのかしら」
回収屋以外に誰も居なくなった戦場を見回して、ぽつりとジェンヌは言った。それがどういう意味なのか、花言葉に詳しくないサイには分からない。
なにがともあれ、こうして五日間に及んだ戦いは美しい青色によって幕を閉じたのだった。