バースデイ@男子トイレ
◇
日が上って間もないような、淡い紫色の時刻。
皇立高等学院の一画にある温室で、人目を憚るように三人の生徒が集っていた。いずれも最高学年のタイを締め、貴族位を示す襟章を着けている。
そこへ眠たげな、やはり貴族子女がもう一人加わった。
「周辺に見張りの騎士を配置するなんて、いくらなんでも気を遣いすぎではないかい? 私はこの時間帯の温室をきちんと押さえたよ」
遅れてきたすらりとした容姿の女子生徒は、控えめに欠伸をしながらぼやいた。
「全く、貴女ときたら……。万が一にもこの会議の存在が漏洩してしまっては、これまでの準備が台無しだとわかっているでしょう」
甘い顔立ちに隠しきれない愉悦を乗せて、先に来ていた男子生徒がぼやいた女子生徒を窘めた。随分と親しげだ。
「おはよう、いよいよだね!!」
「おはよう。君はいつも楽しそうだね。今は何をしているんだい?」
「スカートにかかる遠心力を測定する魔法の開発~♪」
「スカートである必要性が見えませんが」
比喩でなくくるくると回る少女に、遅れてきた女子生徒と話していた男子生徒はやや呆れていた。
そこで使用人に淹れさせた紅茶を豪快かつ優雅に飲んでいた男子生徒が、やおら立ち上がった。獅子を思わせるような、立派な体躯の持ち主だ。
「今日の昼休みに、ついに作戦決行だ! お前ら、不備はねえな?」
彼の真剣な声に、弛緩した空気がピンと張る。他の三人の目が彼に向かった。
「ああ、カティの耳に入る情報の制御は完璧だよ。家名にかけてもいい」
先程までの眠気は飛んだらしく、凛とした風貌の女子生徒はきりりとした表情で請け負う。
「舞台は押えましたし、教師や他の生徒への根回しも万全です、殿下」
男子生徒は軽薄に唇を弓なりにしならせ、恭しく頭を下げた。
「わたしも機材は全部セッティングしたよ! 動作確認も昨日の夜に済ませたし!」
桃色がかった茶髪の小柄な女子生徒は、自信満々に胸を叩いた。
「よろしい。俺たちの最愛の幼馴染に、とびっきりの誕生日をプレゼントするぞ! クソ真面目なあいつの健気な願いを、叶えてやろうじゃないか!」
「「「はい、殿下!」」」
揃った返事に満足げに頷いて、彼は三人を解散させた。
◇
「お誕生日おめでとうございます、カテリーナさま!」
「これ、我が領自慢のプリザーブドフラワーなんです。ぜひ受け取っていただけませんか?」
「カテリーナ先輩、うちの自慢の職人が手掛けたアクセサリーです。気に入っていただけたら、何かの折にお使いください!」
指導室に向かう途中、同級生や後輩から誕生日への祝辞を受け取る。
この中で何人が、純粋に私の誕生日を祝ってくれているのだろう。下心の見え隠れする祝福は正直なところ願いさげだが、努めて顔には出さない。
一度くらい、仲のいい身内だけの、幸運だけをつめこんだパーティーをしたいものだ。
「ありがとう。プレゼントは放課後にいただきますわ。この子を指導しないといけませんの」
そう言って私が手を繋いでいる小柄な少女に目をやった。彼女はそっぽを向いてむくれている。
彼らは私たちを見て、またか、と納得したように苦笑した。頭の痛いことに、彼女への説教はもはやお馴染みになってしまっているのだ。
ため息を噛み殺して、目の前に座らせた少女を睨みつける。
柔らかいピーチブラウンの髪の彼女は、私から目を逸らして吹けもしない口笛を披露している。
私は苛だたしい感情をそのままに口を開いた。
「ちょっと! 聞いてますの!? ユーカ・セレット!」
「えー? キコエナーイ」
たとえ風紀委員長だからといって、たとえ皇子の幼馴染みだからといって、たとえ元皇子妃候補であるために淑女の鑑レベルの礼儀作法を身につけているからといって。
なぜ私が、この反省の色がない少女のマナー指導をしなければならないのだろうか。
「私、貴女に何度、授業中はきちんと起きていなさいと注意をしたのか、覚えておりませんわ」
「えっ、カティったらボケちゃったの? 大変、保健室行く?ちなみに今のでその注意は99回目! あと一回で100回達成だよ!」
「居眠りするなと言っているのがわかりませんの!?」
私の小言は今に始まったことではない。
この残念な誤魔化しを披露する天才発明家、ユーカ嬢が第三皇子の婚約者に決まってからというもの、毎日のように叱っている。
昨日は教室中の机の足を五本にしたし、一昨日は職員室の扉を、ドアノブをそのままに引き戸に変えていた。
それを考えれば、今日の居眠りはまだ大人しいと言えるが、そうも言っていられないのが指導係というものなのだ。
思わず眉間に寄った皺をぐりぐりと指で平す。
「まったくもう、失礼しちゃうな。わたしの寝顔ってばウルトラぷりぷりプリティーちゃーみんぐなんだから! 見られたらラッキー、吉兆のユーカとはぁ、あ、わたぁしのことぉ!」
「貴女、白目で居眠りしていてよ、ご存じないのかしら」
「だってつまらないんだもーん」
ユーカはいかにも不満げに頰を膨らませる。見た目だけは愛らしいが、態度を改善する兆しはない。
ユーカ本人の根は悪くないのだが、礼儀はともかく貴族作法の必要性を全く認めていない節がある。
「貴女は全国の女性の模範でなければならないと理解しておいで?未来の皇子妃でしてよ」
「ぶーぶー。ブタさんにしちゃうぞー?……カテリーナ・ピッグ、なんだか高級そう」
こんなのが皇子妃で本当に良いのだろうか。
先が思いやられて、堪えきれなかったため息が零れる。
この天才を確保しておきたい皇室の思惑は知っているが、躾のプロを用意すべきだ。
「だいたいカティも公爵令嬢なんだし、怒る前に笑いなよ! 笑顔笑顔!」
「怒らせているのはどなたですの!?」
「きゃー、カティの金色ドリルが天を突くっ!、ッブハ。お、お先〜、ぷぷッ」
「お待ちなさい!」
噴き出しながら逃げ出したユーカを追いかける。
あの娘、逃げ足がとにかく早いのだ。
「校内では走るなと、っどこですの!?」
サッと目を走らせると、翻る学園指定のスカートの裾が化粧室の入り口に消えたのが見えた。
「そこかっ、えっ!?」
そこには見慣れない形状の便器が。
私としたことが、男性用の化粧室に入ってしまったようだ。それもこれもユーカのせいだ。
急いで誰も居ないかを確認する。見つかったら末代までの恥だ。
「おや、カティ?」
「リゼ、貴女まで何故こんなところに居ますの?」
思わぬ先客に脱力した。
彼女はリゼーレ。凛とした見た目や中性的な言動から、女子生徒からの絶大な人気を誇る、れっきとした侯爵令嬢である。私のよき友人でもある、のだが。
どうやら私が見たスカートの裾は彼女のものだったらしい。ちらと自分やユーカと同じ濃紺のスカートを見てため息をつく。
「なぜって、ユーカ嬢が男性用化粧室に入っていったから、追いかけたんだよ」
おかしそうに涼やかな目元をくずして、リゼーレは掃除用具入れを指差した。
ユーカはそこか。
息を吸って掃除用具入れの扉に手を掛ける。
「大人しく出てきなさい、ユーカ・セレット! 男子トイレに居たなんて知られたら、貴女の評判が下がりますよ! そもそもなぜここに逃げ込んだのですか、はしたない!」
押しても引いても開かない。
内側から押さえているらしい戸をガンガンと叩く。
「丁度、リゼっちが女子トイレから出てきたとこだったんだよ! ぶつかりそうだったから! いきおい!」
「思慮深く行動なさいと、何度も言いましたでしょう。貴女に次期皇子妃の自覚はおあり!?」
「思慮深くないとか、心外なんですケドー!男子トイレなら常識人のカティは思いつかないし、ましてや入らないと思ったんだもん」
「さっき『いきおい』って言いましたわよね!?絶対何も考えていなかったでしょう!?」
「細かいことを気にしていると、若いうちから円くハゲるよ?」
「私は先に胃に穴が開きそうでしてよ!」
「盛り上がっているところ、悪いけど」
リゼーレは思わせぶりに人差し指を唇に当てた。
「誰か来ている」
その一言に、ザッと血の気が引く。
「リゼ、な、貴女なんでそんなに落ち着いて……!?」
いるの、と続けようとしたその時。
「…で……よー」
「……ですね」
……ものすごく聞き覚えのある声が。
「第三皇子殿下と私の婚約者だね」
だからっ!
なんでリゼーレはそんなに冷静なのかしら!? 私たちの社会的地位が危地に陥っているというのに!
「隠れますわよ!」
どんどん明瞭になってくる会話に小さく叫んで、慌ててリゼーレを一番近い個室に連れこんだ。
息を潜めて耳を澄ませる。
「貴族用のトイレって遠いよな、これ次の授業に間に合うかな」
「あと五分ほどあったはずです。それに、殿下は大変足が速いので問題ないかと。私は遅刻するかもしれませんが」
「お前を置いていくわけないだろ」
なんとか間に合ったらしい。
そして扉を閉めようとして、気づく。
もしも、手元が見えてしまったら?
もしも、靴が見えてしまったら?
もしも、スカートが見えてしまったら?
ブレザーの袖口も、上靴のデザインも、勿論制服全体のシルエットも、男女で異なる。また、この付近には貴族用の設備しかない。
おまけに、貴族用の設備を利用できるのは、当然貴族の子息や令嬢のみ。この辺りに平民階級の者たちは近づきすらしない。
つまり、貴族女性が男性用の化粧室にいることが露見してしまう。そうしたらあっという間におもしろおかしく噂が広まるだろう。
個室の扉を閉めるかどうか躊躇っているうちに。
かつ、かつ、とタイルを踏む音が近づく。
ピタリと壁の陰に体を寄せてはいるが。
もしもの可能性がぐるぐると頭を巡る。
ばくり、ばくり、と心臓が軋む。
見つからないよね? 見えてないよね?
「ん? なんかいつもより良い匂いしないか? 具体的に言うとユーカとカテリーナとリゼーレの匂い」
殿下ァーーー!!!
その無駄に高い身体能力、発揮する場所ぜったいに違う!
急速に喉が渇きカサつきはじめる。
どくどく、と心拍が速度を上げる。
「ここは男性用トイレですよ、勘違いでは?」
よく言った、チャラ男!
常識的に考えれば当然そういう結論になる。
全くその通りだ、おねがいだから騙されてください脳筋殿下!
ああああ、布同士の擦れる音まで聞こえる。
板一枚隔てたすぐ横を通っているのだ。
手にじんわりと汗がにじんできた。
耐えきれなくてリゼーレに抱きついて顔を埋める。
「ん?」
チャラ男、お前もかぁぁぁい!?
目をぎゅうと瞑りながら心の中で絶叫する。
そういえば二人が進む方向には鏡があった気がする。
全身の毛穴という毛穴が開く。
角度的に見えるか見えないかの瀬戸際だ。
ガクガクと歯の根が合わない。
私が抱きついているリゼーレも、身じろぎして小刻みに震えている。
ここにいることが発覚することへの恐怖は同じはずだ。
醜聞に塗れた令嬢の行き着く先なんて、修道院か後妻待ちのロリコン糞じじいくらいしか無いのだ。
「ふっ、」
リゼーレ、頼むから声出さないでっ!?
ますます力を込めてリゼーレの腹を締める。
だが、余計に彼女の震えが酷くなっただけだった。
今、私史上最高に切実に神に祈っている。
早く通り過ぎてくれ……!
「どうかしたか?やっぱりフローラルな匂いする?」
黙れ殿下!
思っていたよりも近くに聞こえる声に、肺と胃がキリキリと絞られる。
もう本当に吐きそう。
「……いえ、気のせいみたいです。芳香剤を変えでもしたのでしょう。それより漏れそうとか言ってませんでした?」
「言ってねえよ」
しかし、神は私を見捨てなかったようだ。暢気な会話が少し遠ざかった。
ほっと息をつく。
「だいたいさー、トイレが男女で近いってのもどうなんだ?」
それは私も激しく同意だ。
離れていればこんな事態になっていない。
じょぼぼ、という水音に耳を塞ぎたい。
「設備設計的に合理的ですからね」
それも理解できる。
しかし今の状況は理解したくない。
午後の講義が終わったら、自室で誕生日のためにと用意させた菓子をほおばるんだ……。
「個室の数も無駄だよなー」
たしかに女性用の化粧室も、貴族女子生徒一人一人に専用個室があてがえそうな数の便器がある。
とりあえず二人には喋ってないで、さっさと化粧室から出ていってほしい。
ところで今は何時だろう。時計は侍女に持たせているのだ。次の授業に間に合うかな。
「そうだ! 無駄に金があるんだから、今度は変形合体するトイレ作らせようぜ!」
「それいいね! 今度開発するよ!!」
殿下のバカバカしいほど無駄な提案に、ユーカの能天気な賛同が化粧室内に響き渡った。
あまりの唐突さに息が詰まる。
イヤな予感に内臓がひっくり返りそうだ。
掃除用具入れの戸が開く音はしなかったので、おそらく掃除用具入れが話しているような状態だろう。
ドッドッドッ、と血液が脈打つ音が耳でこだまする。
「え? ユーカ? オレがユーカの気配が感じとれない筈がない……。まさか、幻聴!?」
神よ! ユーカに幻聴を装うように啓示してください。もしくはユーカの口を塞いでください。
一生に一度のお願いだ!
全身全霊をかけて祈るも虚しく。
「ごきげんよう、殿下。幻聴じゃないよ! いま研究中の『にんにんしのびん試作3号ちゃんEx.』を使っているだけ! それよりも新型便器に関して、変形合体もステキだけど、わたしは分離浮遊もロマンだと思うの! どっちがいいかな?カラーリングは思いきってメタリックにピカピカ……電飾を付けて、いやそれなら普通にライトをつけた方がイイよね!空飛ぶ流線形もいいけど、貫禄のあるゴツゴツメカニックも捨てがたい! 配管も最高にロックにして……きゃーっ!」
「おお! オレは武器を内臓してほしい! 基本のエストック、浪漫的にファルシオンとかフランベルジェ、カウンター用のソードブレイカー! っ、コレ最強の相棒じゃね!?」
便器が?
ダメだこのバカップル。
いや、助かったと言うべきなのだろうか。私とリゼーレの存在に関しては、ユーカはなにも言っていない。
ジャー、と流水音が聞こえる。大方手を洗っているのだろう。
よかった、コレで男二人が去ってくれれば、大手を振ってここからおさらばできる。
「ところでユーカ、今日は一人なのか?」
ノォォォォォ!
殿下なに聞いてくれちゃってるの!?
バクバクバクと高速で心臓が拍動し、呼吸は浅くなる。
緩んでいた腕ももう一度強張り、リゼーレに再びすがりつく。
隠れている個室が妙に暗く狭く迫ってくる。
今にも飛び出していきそうな悲鳴を必死でのみこむ。
頼む、居ないって、一人だって答えてくれ……!
「えっとね、リゼっちとカティもいるよ!」
終わったァァァァァ!!!
私の人生、終わった……。
せめて修道院行きがいいな。友人たちときゃっきゃウフフなるものをしてみたかったし、恋人の一人くらい作ってみたかった。
泣きたい。
うっ、涙出てきた。鼻をかみたい。
「ふっ、は、あはははは! もう無理、我慢できない! ッ、あははは、ヒーッ!」
リゼーレは先程までの震えるほどの緊張もどこへやら、腹を抱えて笑いだした。目尻には涙まで浮いている。
私は呆然と、顔を赤くして笑いに苦しむ彼女を見つめた。
「リゼ、笑っては、っカテリーナ嬢が可愛そ……クククッ、ぶはッ」
間をおかずにチャラ男も爆笑した。
壁を叩いているらしい、バンバンとひどい音がする。
しかしそんなことはどうでも良くて。
バレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレ……。
「いやァァァァァァァ! 」
こみ上げる羞恥と不安に耐えられず、私はその場から逃げ出そうとした。
グイッと襟首を掴まれ、逃走に失敗する。
「離してくださいまし、リゼ! 一生の恥ですわ!」
「まあまあ、落ち着きなよ」
リゼーレは後ろからとんとんと肩を叩いて暴れる私を宥める。
「もう、いったい何なんですの!?」
私が逆ギレ気味に涙目のまま振り返ると。
『ドッキリ☆大成功!』
デカデカとそう書かれた垂れ幕を、ユーカと殿下が満面の笑みで持っていた。
「「「「誕生日、おめでとう!」」」」
声を揃えた四人の声が鼓膜を叩く。
「ドッキリ……? ドッキリってなんなんですの!?」
「カティが以前、庶民の誕生日に憧れていると言っていたのを思い出してね。身内だけで楽しく、だったね? 学生最後の誕生日だから、叶えてあげようと思って」
「庶民風サプラーイズ!」
私が憧れていたのは。
和気藹々とした雰囲気で、こぢんまりとして、胸が弾むような……。
達成感を感じているようなリゼーレと、褒めてほしそうにこちらをニコニコと見つめるユーカに、私は何も言えなかった。
「どうだ、ドキドキわくわくしただろう? 俺が発案して、ユーカが詳細を詰めたんだ!」
「思い出に残る誕生日祝いをしたかったのです」
胸を張る殿下の言う通り、心臓が破裂しそうなほどだった。
さっきの爆笑は嘘のように胡散臭く微笑むチャラ男の言う通り、今日のことは一生忘れないだろう。
祝おうとしてくれた気持ちは、確かに嬉しいのだが。
「こんな、こんな誕生日、御免ですわーー!」
整理できない感情をそのままに、私は叫んだ。
廊下からは始業のチャイムが無慈悲に漏れ聞こえていた。
男性用の便器って音姫とか付いてんのかな?