65話 岐阜城完成と不穏な空気
新しい城の建築作業も城下町の準備もすこぶる順調だった。
「半兵衛。城下町の準備は順調だな」
「ええ。藤吉郎様が書面で残してくださっていた、小牧山城下町の計画書と実行記録や改善点をまとめた報告書が非常に参考になっております」
うんうん。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)ってね。基本に忠実に。業務は継続的に改善していかないとね。
なんて、悦に入っていると不意に半兵衛が再度口を開いた。
「しかし、ちょっと懸念が……。流通している銭についてなのですが、小牧山もしばらく残しつつ、こちらの城下町も立ち上げるとなると、現状ですとまだ良貨の量が足りないかと」
「ああ、そうか。それは、まずいな……」
俺は、少し考える。
「……美濃の国には金山とか銀山、銅山はないのか?」
ふと、思いついて半兵衛に聞いてみる
「金山、銀山、銅山ですか……。北部の畑佐城近くで銀が出るとの噂を聞いたことはありますが……」
「畑佐城?」
「はい。畑佐六右衛門というものの居城です。畑佐氏は特に斎藤家に敵対する訳でもなかったので、どちらかというと飛騨の姉小路氏との緩衝地帯としてほとんど関与していなかったのです」
なるほど、現時点で本格的に開発している鉱山はないってことか。けど、たしかに飛騨との国境沿いの山からは何かしかの鉱山資源は出そうな気がするなぁ。一度、治田の神屋源三に相談してみるか。
「半兵衛。俺、ちょっと北伊勢の治田に行ってくるわ。城下町の事はしばらく任せる」
城下町の準備をしばらく半兵衛に預けても大丈夫そうだと判断し、治田行きを決断する。
「北伊勢の治田? ああ、銀を産出している場所ですね! 分かりました。城下町の件は任せてください!」
半兵衛の心強い返事を聞いて、俺はすぐに治田へ向かった。
長良川を下って、桑名城まで行き、そこから治田へ向かうルートを取った。船で最短距離を行けるので、早く付くことが出来るだろう。
二日後、俺は治田の地についた。久しぶりに訪ねる治田屋敷は随分活気があった。銀の産出は順調のようだ。
「兄ちゃん! どうしたの? 急に?」
小一郎が喜んで出迎えてくれた。
神屋源三も仕事の最中だったが急遽呼び出して貰い、訪問の目的を話した。
「――という訳で、美濃の国でも鉱山開発をしたくてな。神屋殿に鉱脈を探して貰いたいんだ」
「なるほど」
俺が一通り説明し終えると、神屋源三は呟いた。
「銀が出るという噂のある場所はあるそうなので、まずはその辺りから探って貰いたいと思っているのだが」
俺はそう言って、源三を見つめる。
「そういった話があるということは、可能性は高いですね。そういう場所は鉱脈が露出している『露頭』が簡単に見つかる場合が多い」
源三は楽しそうに語った。なんだかんだいって、この人は鉱山が大好きみたいだ。
「任せても良いでしょうか?」
俺が改めて依頼すると、神屋源三は頷いて言った。
「よし。すぐに出立する準備をしましょう」
こうして、俺は美濃の国でも鉱山開発を進めることにしたのだ。あ、もちろん信長に許可を取ってからね。これからちゃんと取りますよ。
当然、信長からはすぐに許可が下り、畑佐氏への根回しも俺の権限で進めていいことになった。
城下町作りと鉱山開発と、なんだか自分で自分の仕事をどんどん増やしている気もするが、信頼できる優秀な人材の手が使えるようになってきたので、仕事の進め方は以前よりもずっと楽になっていた。
こんな感じで、主に内政的な面でしばらく忙しく過ごしていたのだが、そのような日々もじきに終わりを迎えることになるのだった。
・・・・・・・・・・・・・・
――本当に、戦国の世では平和な生活は長くは続かないものだ。
その次の年(永禄8年)、京都で大事件が起こった。
河内の大名である三好義継らの軍勢によって、室町幕府の現将軍『足利義輝』が突如殺害されたのである。
その後、三好らは義輝の従弟の『足利義親』を擁立し将軍にしようとしたが、それに対抗して義輝の弟で大和興福寺一乗院の門跡であった『覚慶』が『足利義秋』と名乗って還俗し、将軍職を巡って対立を深めていった。
『足利義秋』は六角家に協力してもらい南近江の琵琶湖付近に矢島御所と呼ばれる居城を置いた。
そして『足利義秋』はそこから京都へ上洛するために付近の大名たちに上洛に協力するよう、各地に書状を送ったのだった。
当然、尾張と美濃を支配した信長の下にも義秋からの書状が届いた。信長は義秋からの書状を、完成したばかりの『稲葉山城』改め、『岐阜城』で受け取ったのだった。
岐阜。馴染みのある地名が出てきた。
『岐阜』という名は中国の文王が天下泰平の世を築いた岐山の「岐」と、学問の祖である孔子の生誕地である曲阜の「阜」をとって名付けたらしい。へー。
しかし、俺としてはそれよりも更に特筆すべきことがあった。
その足利義秋からの書状を持ってきた人物のことだ。丹羽長秀がその場に同席していたということで、長秀にその時の話を聞いているときに不意に出てきたのだ。
「書状を運んできた使者の名は『明智十兵衛光秀』と言う者でな。胡蝶様の従兄妹らしい」
それを聞いて俺は思わず聞き返してしまった。
「明智光秀ですか!?」
長秀が不思議そうな顔をする。
「おや? 藤吉郎殿は明智殿と知り合いであったか?」
「あ…。い、いえ。何となく聞いたことがあるような無いような……」
慌てて誤魔化す。
「ふむ。明智殿を使者に立てられた理由としては、病で臥せっておられる胡蝶様の見舞いという意味もあるようでな。左馬頭殿もなかなかに考えられた人選をされたものだと思ったのだ」
「なるほど、殿に対する特別の気遣いを表しているということですか……。しかし、これで胡蝶様も少し病状が改善されると良いのだが……」
実際、智に聞いている限り、胡蝶の病状はだいぶ良くない様だった。最近は食事もあまり取らなくなり、意識も朦朧としているとのことだった。
「ずいぶんお世話になったのに、何もお助けすることができないの……」
と智が涙ぐみながら話していたのをちょうど先日に聞いたばかりだった。
それにしても、明智光秀は信長の正室『胡蝶』の従兄妹だったとは。どうも織田家内にはそれらしい人物が居ないと思っていたら、足利家に仕えていたんだな。……ってことは、これから信長の家来になるのか?
うーん。本能寺の変が近いってことかな? どうしようか。明智光秀に気を付けろって言っておいた方がいいのかな?
けど証拠も無いのにそんなこと言ってもなぁ。もしかして歴史が変わって本能寺の変が起きないかもしれないし。
あー。また、頭が痛くなってきた……。とりあえず、明智光秀の動向には極力気を付けておこう。
「で、殿は上洛についてはなんとおっしゃっていたのですか?」
気を取り直して、丹羽長秀に確認する。
「うむ。もちろんすぐに協力するということであった」
そうか。信長は足利義秋につくことにするのか。
「では、近江を通って京都へ向かう形ですか? 浅井と六角はすんなりと領地を通してくれるでしょうか?」
更に丹羽長秀に聞いてみる
「ふむ。それについては左馬頭殿が話をつけているそうでな。まあ、浅井家とは既に同盟を結んでおるし、六角家も今は家中がごたついているようだからな。下手な動きはできないだろう」
そしてさっそく、この会話のあった日の午後、正式に信長から『足利義秋を奉じて上洛する』という命令が織田家家臣たちに伝えられたのであった――。




